2005年10月

正しい姿勢「地球の真ん中ってどこ?」

私は姿勢が良くなくって、猫背ぎみです。歩く時もちょっと前掲ぎみです。
長年来、整体してもらっている先生が、「立った時は足の裏で、座った時はおしりで、地球の真ん中を捜して見て下さい。思いたったら、いつでも」

一ヶ月前のことです。できるだけ心がけました。台所仕事している時も、歩いている時も・・・
足の裏で地球の真ん中をさがしますね、すると、地球の真ん中と足の裏線上にちゃんと上体をおけるんです、自然と。今まで猫背を治そうと、無理に背筋を伸ばすと、逆にそれが疲れたりしました。でも、この方法は、ホントに自然な形でまっすぐになれます。そして、多分その形で地球の真ん中捜している時、スーッと気が下に向かって流れるような気がします。ですから、変に肩もいかってないし、腰も反っていないんです。呼吸は自然と丹田を意識できます。

これはお奨めです。是非試してみて下さい。


こんな状態を1日の内、できるだけ多く持つと、自然にいい姿勢になるような気がします。

叔父の話

ネタに困ると、身内の話を持ち出すクセがあります。
今日は、私が初めて子供を産んだ時お祝いに来てくれた時の叔父の言葉をご紹介します。


「子供はな、5つか6つまでに一生分の親孝行してるんや。こんなちっちゃいまだ物言わん子でも、この子が笑っただけで、家中みんながニコニコや。これが歩いた、しゃべた・・・じいちゃんなんて言われたら、もうメロメロや。この子のおかげで一生懸命働く気にもなる。そやのに、中学や高校になって反抗し始めると、誰のおかげで大きなったんやの、文句の1つもでてくる。もう、それまでに子供からいっぱい幸せもらった事忘れてな。子供はな、20才か、大学卒業したら社会にお返しするつもりで、育てなあかん。親の為やない、社会で充分通用する人にするために・・・と考えたら、おのずと躾ないかん事、教えないかんこと、はっきりしてくる。今は親の思う道に進めたいがために、躾もようせん親が多い。ずーっと自分の子と思ったらいかん。」


確かこんな事を話していたように思います。その時は実感ありませんでしたが、この言葉は子供の成長の節目節目に思い出します。いくら優秀な頭脳であっても、社会性が育っていなければ、その子は不幸です。私はなぜか、親が死んでもちゃんと生きていける子に育てようーと言う思いがありました。だから、小学生の頃、雨が降ると学校へ傘持っていく親さんもいますよね。歩いても10分足らず、一度濡れて帰ってくれば、こんな時は用意がいるということも、身を持って知ります。又、友達に頼んで一緒に帰ってきたりします。車で送って行ったりも、もし私が死んでやってもらえなくなったら、子供は余計に不幸と思う。ならと、余程の事がない限り、他のことについても、これは自分の判断で、親がでるべき、手を貸すべきでないと思う事はしませんでした。自分でするのが当たり前なことに、親が手を出す必要ありません。


おかげさまで、子供3人とも独立精神旺盛です。叔父がお祝いにきてくれた時の長女も来月で30才になります。もう充〜分、親孝行してくれました。だからそろそろ・・・と思うのは、親の勝手な思いでしょうか。

報恩講

そろそろ、ご家庭で「今年のほんこさん、いつにしようか」「お寺さんに連絡せないかんね」・・・こんな会話がされる季節です。「ほんこさん」ー耳にされた方も多いと思いますが、詳しくご存じですか?


正式には、「報恩講」といい、宗祖親鸞の忌日に、その師恩に報いるためにおこなう浄土真宗の最大の行事です。親鸞聖人の遷化(死去)は1262年11月28日、新暦では翌年の1月16日です。この新暦、旧暦の選択によって、西本願寺派と東本願寺派、高田派の行事日程がちがってきます。因みに、本山では西本願寺派が1月9〜16日、東本願寺派が11月21〜26日に行われます。


このご満座の日までの7昼夜は1日3回の法会をし、親鸞の90年にわたる恩に感謝し供養します。本山以外の各別院、本寺でも報恩講は重要行事ですが、本山との重複をさけ、くりあげて行います。これを「御取越(おとりこし)」とよびます。報恩講の中日には、覚如上人の「御伝承(ごでんしょう)」をよみ、聖人の生涯をふりかえります。


お寺さんに行くと、報恩講の予定が掲示されています。10〜12月で行われますので、たまには、お手継ぎのお寺さんはもちろんですが、お近くのお寺さんにも、おまいりの機会をもたれてはいかがですか。おまいりの後、ご法話もあります。お寺さんは、門徒に関係なく「ようこそ」の世界です。是非、お出かけ下さい。

ガン検診してますか?

今日、半年ぶりに検診でがんセンターへ行ってきました。
手術して2,3年は、もっと頻繁にきてましたし、自分の庭のように誰か知ってる人いないかと思いながら闊歩してました。それが、5年経ち、半年に1度になると、久しぶりのせいか、フッとこわさを感じます。色んな科にいる多くの患者さんを見ていると、この人たち一人一人にドラマがあり、涙があったんだろうな、ここに入院している患者さん(すごい数ですが)すべてに、いろんなドラマがあるんだろうな・・・と思うと、自分の身近にいないのが、不思議なくらいです。今3人に1人はガンになると言われています。でも、ガンは発見が早ければ、そんなにこわい病気ではなくなりました。


私自身も、再検査要という友達の話を聞いた翌日、市民病院の近くに仕事があり、ちょっと気になる事があったので、その帰り診てもらおうと立ち寄ったら、即答「ガンです」と言われたんです。ガン家系でもないし、本当にひっくり返るぐらいショックでした。でも、今思うと、友達の話やその仕事がなかったら、多分病院へ行かなかったし、もっと発見が遅れていたと思います。ですから、皆さんも検診をちゃんと受けて下さい。寿命はあると思いますが、悔いは残したくないですものね。

「聖人の和讃を歌う集い」

10月14日、岡崎の「コールアーバー」という合唱団主催による、「聖人の和讃を歌う集い」が岡崎教務所にて開催されました。


そもそも、「和讃」という言葉ご存じですか?これは親鸞聖人がうたったもので、500首を超える、阿弥陀如来の徳をたたえ、人間としての自己のを傷み、そして七人の高僧方の徳や教えの尊さを誉め讃え、又、社会や人間の悲しみをうたったものです。


今回、地元の作曲家平田聖子先生が、この和讃の中からいくつかに曲をつけられました。先生ご自身もお祖母さま、お母さま・・・と信心あるご家庭でご縁をいただいてみえます。今回のその楽譜本も出版され、その中で5曲を歌唱指導していただきました。平田先生直々、ピアノ伴奏をしていただき、又どういう思いでこの曲を作曲されたかという、エピソードなどもお話いただきました。テーブルに7〜8名、140名ほどの方が参加されましたが、休憩時・昼食時には交流をもつことができ、たいへん和やかな雰囲気の集まりでした。


メロディーをつけることで、「♪弥陀の名号唱えつつ、信心まことにうるひとは〜♪」・・・フッと口ずさむことができます。こんな形で和讃の世界へ入らせていただけるものいいと思います。少しずつ、この輪が拡がっていくこともすばらしいですね。

老人に携帯メール。

昨日、私の入っている会の親睦旅行があり、車中隣りの席の方と、ずーっとおしゃべりをしていました。その中で、これいいなーと思ったお話をご紹介します。


その方は、ご主人の両親も看取り、最近は大阪から引き取ったご自分の両親を近くに住まわせていました。そして、78才になるお母様に携帯のメールの仕方を根気よく教えました。最近はお年寄り用の操作しやすい携帯電話も売られてます。お父様はされないそうですが、お母様は段々慣れてきました。
すると今度その奥さんは、お母様の姉妹にも同じ携帯電話を贈って、操作の仕方を教えました。すると、遠く離れている姉妹同士、親子、孫・・・いろんな形でメールが行き交います。お母様は外に出るのは苦手でお家にいることが多いそうですが、メールのおかげで交流が密になります。


確かに、手紙は苦手という人もいます。電話も何か用事がある時はかけますが、何でもない時、相手先がどんな状態かわからないと、かけづらい時もあります。でも、メールなら、こちらも送りたい時送れるし、相手先も見たい時見れば良し、返事もすぐにでも送れる。それに手先を使うので、ボケ防止になるそうです。孫さんが「元気?」と入れてくれたり、娘さんが「今日は○○に来ています。おみやげ何がい?」・・・こんな簡単な言葉でも、かけてもらえることが、お年寄りにしてみたら、うれしいでしょう。ウチの親にも教えようか、でも覚えるかな?・・・やっぱり二の足踏む私です。根気よくコツコツ教えたこの奥さんはすごいと思います。

義父のこと。

先日は、私の祖母のお話をしました。今日は、義父(主人の父)ことを話します。義父は15年前、74才で亡くなりました。地位や肩書きの関係ない、農家のお父さんでした。お酒が入って、気分良くなると戦争の話になりました。多分父の人生の中で一番スリリングなスポットを浴びた時期なのでしょう。いくつかのエピソードの中で、父の人となりを知っていただきたいと思います。


今も展示会は行なっていますが、父が元気な時、いなべ方面(主人の実家方面)で開催すると、その搬入搬出に手伝いに来てくれました。父と私で下働き程度のことをやりまして、「お父さん、一段落したら、送っていくからね」「おいおい」・・・そんな会話をして、しばらく、「さあ、帰りましょか」という時には、父はこっそり帰っていないんです。


長女の入学祝いをいただいた時も、孫を連れて、自宅から15〜20分自転車に乗り、そこから電車で1時間かけてきてくれました。車なら30分程でいける距離です。「帰りは途中で自転車も車に乗せるから、送っていくよ」といっても、「ええよ、この子も電車乗るのを楽しみに来たから」・・・まだ寒い時期でしたが、桑名駅まで送って、孫と手をとって帰って行きました。


元気な頃は、古仏壇の焼却も頼んでやってもらいました。それも「あいてる畑でやってくれる?」「オイオイ」。すぐに実行です。本当は結構大変なことです。大きさも色々、そのままでは、炎が大きくなるので、ある程度分解して、金物もはずしてから焼却します。焼却後も灰と金物などちゃんと分けてありました。
でも、お父さんの口から、大変だとか、やってあげてるという言葉はありませんでした。


まだまだ色々なエピソードがありますが、本当に自然体で、いっしょにいてもすごく気楽に接せれる人でした。「我が、我が」のない人でした。私も子を持ち親ではありますが、こんなにも見返りも評価も求めず、義父のような親業ができるか?自信ありません。ですから、この遺伝子は、是非主人から子供たちへ、受けついでいってほしいと願ってます。

法話『はかってばかり』

10月1日桑名別院にて三重教区桑名組同朋大会があり、大垣教区西向寺住職飯山等師の法話がありました。演題は「はかってばかり」です。


案内の文章が、すごく解りやすいので、ご紹介します。
(前略)私たちもまた、実に多くの「はかり」(社会的価値基準)を使って相手のことをわかったつもりになっています。自分に対する世間や他人からの評価も気になってしかたがありません。評価のズレに苦しむこともしばしばです。人として生きていく以上、とりあえず「はかり」があった方が安易で便利なのだと開き直ってみたり、しょせん、お互いの本当の姿などわかるはしないのだとあきらめたりしています。人を「はかる」ことの罪業性に目をそむけながら、「はかってばかり」の私たちです。「はかってばかり」の私たちに「はかりしれない」智慧の光がさしています。


「う〜ん、確かに・・・」そう思いませんか?
「でも結局世の中それでしょ?」その声もわかります。というか、自分もどっぷりその体質です。人からよく見られたい、評価されたいが行動基準になってます。だから、がんばれる時もあります。でも、結果が満足でなかったり、人から批判されるとガックリきます。法話を聴きながら、そんな自分が大きく浮き彫りにされてきました。ドーンと疲れたり、気持ちに波があったり・・・


先生はお話の中で、「はかる」にも、頭ではかる場合と、胸ではかる場合がある。
頭ではかる時は「性能」をもってしている。道具はもちろんですが、人までも性能の部分でみている。優秀だとか、やり手だとかー。でも頭で受け止めれないものがある。それは「生・老・病・死」です。これには、いくら優秀な人でも、いくらやり手の人でも、「頭」だけでは乗り越えれません。

でも現実に今、そうようなことで悩んだり苦しんだりしていなければ、確かにピンときません。ではどのようにしたら、その心が育つか。それには、自分が何かしてもらった時、何かいただいた時、それを表面的な捉え方や、いただき物の善し悪しでなく、送った人の「心」をちゃんと受け取る。また、時々「自分は頭でいきてるなー」と自分自身を時々振り返ることが大切だと思いました。


余談ですが、ご法話ではいいお言葉をたくさん聴かせたいただけて、ありがたいんですが、1つの文章にまとめようと思うとたいへん難しいです。

祖母のこと。

今日は私の祖母のお話をします。22年前、82才で亡くなりました。
父は10人兄弟。貧乏人の子沢山です。
祖母は子供が病気になっても治療費が払えないから、病気や怪我をしないよう
必死で祈りました。それが信仰に入るきっかけです。
私は一緒に住んでいましたが、私が物心ついた頃は、毎朝食事前に1〜2時間かけてお参りしてました。別院さんの役もしてました。おかげさまで、叔母が1人50代で亡くなりましたが、後は83才を頭に9人みんな元気でいます。


このばあちゃん語録がいくつかあります。3つ紹介します。
�@人間にはみんな生まれた時から決まった「おだい」がある。 
       ※「おだい」って、食べたりお金使ったり、生まれていただくものという
         意味と思います。
    だから、若い内に使い過ぎないように、分相応で使うように。
�A「物には慣れよ、人には添うてみよ」
    人は接してみないと、性格は解らない。
�B「人のために汗流せ」
    自分のことや、金儲けで汗流すのは当たり前。
    他人さんのために汗流すことが、「徳を積む」ということ。
    このお徳は自分の為やない。子や孫の代になるとちゃんと出てくる。


そして、信仰を持っていたせいか、老いや死の受け入れ方も見事でした。旅行も好きだったし、元気で明るい社交的な人でしたが、最後の数年は、ほとんど部屋で糸紡いだり、裁縫したりしてました。でも、元気な頃と比べて情けないと愚痴ることもなく、「お与え」が口癖の人でした。 
 老衰で亡くなりましたが、余程体がつらい時は往診もお願いしましたが、最期の時は、医者もいいと言い、朝「おだいがなくなった」とポツリと言って、その夜、引き潮の時、本当に眠るように息を引き取りました。お見事でした。当時幼稚園児だった息子が、焼き場の鉄の扉を閉められた時、天国へ行く扉だと、ふっと言った言葉が印象に残っています。


私も、私が生まれた頃の祖母の年齢になりました。だからでしょうか。最近よく祖母のことを思い出します。少しでもあやかりたいです。