2006年3月

ここまで必要ですか?

先日テレビで一人暮らしの老人を見守るIT関係の技術を紹介していました。
例えば、ガスやポットを利用した場合、遠く離れた子供さんが、携帯電話を通してその利用状況が時間で克明にメールで知らせる、また、居間・台所・寝室等にセンサーを設置し、家の中で動いている状況が一目でわかるというものです。最初はすごい、こういう使われ方もあるのかと感心しました。でもよく考えると、その前にすることあるでしょうと言いたくなりました。当のご老人と何の会話もなく、見守ることの不気味さ。こんなことより、毎朝「おばあちゃん、おはよう!」と電話の1本も入れる、もし電話にでなかったら、様子を見に行ってもらうご近所の方とのパイプを日頃から持つ。そのことの方が大事で、だからご近所のおつきあいも必要になってきます。やはり他人さんに世話になったり、お世話したり…。それを抜きに、「いや、ウチはちゃんとやってます」と関わりを持つことを拒否する人が多い現代に、人情が薄くなるようで、「こんな風でいいのか、いいのか」とさびしくなります。


文明の利器は、今後もどんどん開発されていくでしょう。そしてそれが、案外手に届く範囲にあります。でも、特に子供を育てている間は、「これは本当に必要?いや、なくてもOK。我が家では、こうやっていこう」と判断基準を持つこと、そして、それにも優る心のふれあい、ぬくもりを一杯伝えることが大切だと思います。私自身、子育てに関して、決して十分ではなかったという自戒の思いの中でのメッセージです。

WBC“日本優勝!”

WBC、優勝しましたね。感激しました。試合もドラマチックでしたが、ワイドショーなどで見る一人一人の人間模様にも、すごく興味を持ちました。今回彼らの経験したことは、地位や名声でなく、ものすごい宝物だと思います。王監督のように、巨人時代日本一九連覇やホームランの日本記録を持つ人が、こんな感激は初めてだし、1番うれしいとコメントしています。外国で短期決戦、多くのプレッシャー、そして1度は負けを認める経験をした後のこの優勝です。感慨もひとしおだと思います。


イチローの言葉もいつも心に響きましたね。インタビューされてすぐ出る言葉。「うれしい」とか「感激」だの薄っぺらくありません。多分、彼は常にどの状況でも、理ぜめで物事を考えている人だなと思いました。ちゃんとした表現力があります。そして優勝した時の想像以上のはしゃぎよう、多分マリナーズに入団してのこの4,5年、孤独だったと思います。力の評価しかない世界ですから、黙々と自分を磨くことしかできません。人種の違いが理解できなかったり、理解されなかったり…。それが、言葉の壁もない、国民性の違いもない、1つの目標にむかって、いっしょにくやしがったり、喜んだり…。日本を離れてから久しぶりに味わった輪を離れる寂しさを、翌日メンバーと別れる時の彼の表情に感じました。


昨日のあの歓喜と、今日の祭りの後のような寂しさ…
1時間ほど前、チームは成田空港に着きました。到着・そしてインタビューが放映されました。その時のメンバーの表情を見て、私はびっくりしました。凱旋の喜びは伺えますが、昨日のように浮かれた表情はもうないのです。多分来週始まるシーズンにモードが切り替えられているようです。オリンピックの受賞者とやはり違うように思います。プロですね。

〈モヤモヤ〉の霧が晴れて

3月3日に共立病院でペットCTを受け、先日がんセンターの主治医から検査結果を聞きました。「ペット検査は今のところ異常なし、マーカー数はまた上がっているけどね。」「・・・異常ないんですよね?だったら異常ないと言う所を大きな声で言って下さい。モゴモゴって言わないで。私はその言葉をずーっと待っていたんですから」思わず言っちゃいました。医者の言葉って、「今はね」とか「先はわからん」とかネガティブですよね。


明・暗、天国と地獄…帰りの車の中では、うれし涙が出ました。生かされてる命を実感しましたし、何でもやらせてもらおうと心底思いました。あれから5日間、たったの5日です。モヤモヤが晴れて、スカッとしたら、そのスッキリにもう慣れてしまっている自分がいるのです。「喉元過ぎたら…」と言いますが、本当にそうです。だから、時々トントンと肩を叩かれるのですね。


昨日、「マザーテレサ」のDVDを観ました。あれだけ献身的に相手の立場を思いやる人は特別でしょうが、「神が云われることをしているだけ」「してあげているのではなく、受けた人の喜びが私の喜び」
…すごい人だと改めて思いました。


私も「異常なし」という先生の言葉に、思わず手を合わせて「ありがとうございます」と言った瞬間の、あの時の思いをいつまでも忘れずにいたいです。そして、今までは仕事・家庭・楽しみなど、すべて「私の…」から始まっていたものを、少しでも視点の巾を広げられる生き方をしたいと考えています。


PS:コメントしたいけど、文章苦手で公開されるのは…という方がいらっしゃいました。
   コメントいただいた時は、まず私のファイルに入り、読まさせていただきます。
   今までは、皆さんのご意見をこのブログで反映していきたいという私の思いで
   全部公開させていただいてました。でもご希望で公開×の方は、コメントの中で
   お伝えいただければ、公開致しませんので、その旨お書き下さい。
   私と致しましては、一人でも多くの方とお話したいという思いだけです。

「千住家の教育白書」

 著者の千住文子さんは、長男・博は日本画家、次男・明は作曲家、娘は・真理子はヴァイオリニストと世界的な芸術家を育てた母で有名です。さぞかしすごい英才教育されたのではと想像しがちですが、この本を読んで、精神の豊かさを育てることがまず第一で、そのベースはまず家庭であることを改めて感じました。
 

 お子さんが、7才・5才・2才の頃から、紙で作ったメガラッパを片手に、母親が隊長になって、即席の歌を歌いながら、手を洗ったり、食事の準備したり、4人で美しい夕日を見ながら、物語を作りそれに曲がつく…感受性豊かに感動したり楽しむことは、子供の目線というかお母さんがまず楽しんでいるのです。生活の中に遊びの中に、自然に絵も音楽もあるのです。習いに行くのはその先です。
 

 でも子供が選択した後は、親は見守ることに徹します。ご主人も学者とはいえ、決して裕福ではありません。でも子供が希望した道には全面的に応援します。あとがきにも書かれてますが、「なんて一所懸命な家族だろう。なんてがむしゃらな家族だろう。そしてなんて仲良しな家族だろう」─私もそう思いました。そして、お母様のご両親・ご主人の最期は、居間の隣の部屋にベッドを置き、その頃まだ20代だった3人の子供も、ベッドの横で、絵を描いたり作曲したりヴァイオリンの練習したり…みんな自分たちのできることを一生懸命するのです。多分才能だけではない何かを育てるとは、こういうことなんだと思いました。子供を育てることとは、ここをちゃんと育てることだと思います。
 

 「子供の才能を伸ばす」なんてことは、たいへんおこがましいことで、心を細胞レベルで暖かく育てることが、親や私達の役目だと思います。