2007年1月

今年も1ヶ月過ぎました。

念頭に自分で立てた「今年の信条」=面倒がらないこと、守ってるかなとフッと思いました。テンションは確かに下がってます。でも、もう少し巾を持って考えようと思いました。例えば、何かをしようとした時、理科の力学かなんかで学んだように、こちらに向けてひっぱると、反対方向に向かう力が生まれる、それと同じで、誰かに何かしようと思いついても、いや、余計なおせっかいと思われるかな…そんな考えがフッとよぎります。そんな時は、直感で感じたことが大事、二次・三次というのは、理性だったり、常識だったり、でもその人がその時フッと思ったことって、結果の善し悪しでなく、やるべきことのような気がします。逆に、何か乗らない、いやだと感じるときは、止めた方がいいみたいです。


面倒がるということは、何だかんだ理由つけて止めようという自分の気持ちです。理屈つけて止めるより、いつでも一歩足を踏み出すことの方が生きていて大切だと思います。悔いも残りません。そんな意味もこめて、「面倒がらない」生き方したいと考えてます。


今月の初め、奥さんがアトピーのリバウンドでひどい状態という方が突然訪問されました。自宅からそんなに遠くない方で、私もアトピーだったということを誰かに聞かれたそうです。初めは病院や治療法の情報をということだったのですが、私もご本人やご家族の思いが手に取るようにわかるので、色々ご主人とお話しました。ご本人はすごくひどくて、外に出て人に会える状態ではありません。でもご本人に私の経験した思いをお伝えしたいと、その夜、長いお手紙を書きました。そうしたら、その後二度電話いただいて、又話がはずみました。先日、ある会合でご主人にお会いした時、治療法もだけど、同じような体験をして、自分の気持ちを解ってくれる人がすぐ近くにいるだけで、気持ちがホッとすると言っていたと云われました。私も同感です。私も完治したわけではありません。当事者しか解らない思いを話せる人がいる、そして、治りかけて横着になりかける自分を、彼女のおかげで思い直させてくれる、そんな人にめぐり会えたことは、すごく幸せです。もう少し良くなったら会う約束をしていますが、すごい楽しみです。


誰かが云っていましたが、きれいな花の種も、引き出しにしまっておけば、ただの種。それを土に蒔き水をやることできれいな花は咲くのです。土に蒔き水をやることが、ご縁を作る行為だそうです。

子を育てるということ

先日、ウチの娘が知り合いのお母さんの買い物におつき合いした時、お肉屋さんで息子にお値段の高いお肉を、ご主人には並を買うと言うので、娘は思わず「違うでしょう、いいのはお父さんでしょ」と言ったらしいのです。私はそれを聞いて、ニンマリ、この子はちゃんと育ったと確認した思いでした。


子を育てるということは、花を育てるように水やって大きくすることだけではありません。愛情はどれだけ一杯かけてもかけすぎることはないです。でも子供が一生もつ判断基準を、その物差しを親が作るのです。その子が何か事に当たった時、「ありがたい」とか、「もったいない」とか「当たり前」とか...とっさに思う元になるのです。ここを間違えると、いくら賢くて成績が良くても、いくらやさしいいい子でも、手遅れになることもあります。逆に一見悪そうな子でも修復可能です。


親自体が価値観まちまち、子供に託す思いも違います。2月・3月の受験時期になると、やれ、受かった、落ちた、医学部だって、すごい!...受験に関する話題が飛び交います。私は3人の子供を育てて、確信として思っていることは、学歴なんて「屁」みたいなものです。(まずい表現でしょうか)、実際「林さんは学歴に関係ない職業だからそう思えるの」という声も聞こえてきそうです。でもね、いい学校出たから、一生安泰なんてありますか?お医者さんになったからって、一生食いっぱぐれがないって、二十歳の子供に保証できますか?医者になった人が苦しんで苦しんで精神的にまいって辞めたという話もあります。昨日もテレビで言ってました、うらやましがるなら、その対象の人の苦労も受ける気があるのなら、うらやましがりなさい。どんな人も職業に限らず、仕事・家族・健康・性格...何かかかえています。だから人は人、自分は自分なのです。(かく言う私も揺らぎっぱなしの人生です、半分そう思える人になりたいという願望です)


今は子供をどうこう言う前に、親である私たちが、今一度こういったことを改めて考える時なのではないでしょうか?難病をかかえたお子さんのご両親は、子供に対してあれもこれもと要求しない分、段々気持ちが研ぎ澄まされていかれます。しっかりと子供に向き合い、この一瞬の有り難さを感じて生きてみえるように思います。比べたりするものではありませんし、大変失礼な事と思いますが、この親子の人生が終わる時、どっちが本当に幸せだったのか...一瞬一瞬を大切に生きてきたこの人たちじゃないでしょうか?

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
穏やかなお天気の元旦、私は主人と2人、8:30スタートでゴルフを楽しみました。朝は芝も霜で堅くなっていましたが、風一つない小春日和で、雪化粧の鈴鹿の連峰を眺めながら、ひたすらボールを追う至福の時でした。


今年はどんな年になるか、両親も健在でで、31歳の娘、28歳の2人の息子、何の変化のない事はすごく幸せな事なんでしょうが、何か今年は変化がありそうなそんな予感がします。楽しみです。


そして、私の今年の信条は「面倒がらないこと!」...と決めました。
昨年末掃除をしながらこんなことを思いました。ちょっと5分手間をかけたらこんなにはならないな。洋服でも着た後1日したらすぐ畳めばいいものを、ちょっと面倒がると次から次へ重ねていきます。玄関を通った時ちょっと靴の向きを直せば、いつの整然として玄関になる。ちょっと、ほんのちょっとの一手間で状況は全然変わるのです。お料理もだしをちゃんととったり...心がけ一つで習慣は変わる、それが続けば無理ではなく当たり前になると思うのです。


この歳になると(今年55歳になります)言い訳や開き直りはおてのもの、自分でも感心するぐらい自分を正当化する言葉は口から出ます。でも姿も心も座敷ブタにならないようにするためには、いつの尻軽、面倒がらない...これを心がけようと思いました。有言実行でやっていきます。
今年もよろしくお願いします。