2007年8月

優しさ

昨日従姉妹と友人と話していた時に、「先日のコンサート(6月にお寺でチャリティーコンサートしたんです)の時のえみちゃんよかったよ」と言ってくれました。ちょっと説明しますと、私のその中で司会進行をしました。でも持病のアトピーが出てて、身体は元気だけど、見た目と心はズタズタだったんです。続けて曰く、「見た感じ調子悪そうだったけど、あんな状態であんな笑顔で、自分自身演奏に感動しながらの司会素敵やったよ」・・・ありがとう!ありがとう!


この3ヶ月の間に、3回大きなイベントがあり、私自身も一生懸命関わって、やっと迎える晴れの舞台。そんな時に限って調子悪くなるんですよね。本当は肝っ玉がちっちゃくて、プレッシャーに弱いんだと思います。身体は全然つらくなくって、見た目だけなんです。只でさえ、美から程遠い顔です。「いやだな~、これでは人前に出るのいやだな~」・・・思い出したら、ドンドン滅入ってくるのです。そこへもって、司会したり挨拶ししたり、前日ぐらいから、「どうしよう、行けるかな? 欠席できないかな~?」気持ちは引きまくりです。


それがですね、不思議なことにギリギリ間際になると、何とか化粧もできて行けるぐらいにはなるんです。気の張りでしょうか?私はいつも「私の心情を試されている、見かけの状態に右往左往する私自身を、気にする場所が違うよ、受け入れるもっと大きな心を持ちなさい!」と叱咤激励されているように感じます。でもダメなんです。それでも引け目を感じて、パワーの出せないひねた自分がいるのです。


ですから、文頭のような言葉を聞くと、すごい励みになります。自分の気にしていることと、人が受ける印象は違うこともある。だったら、そんな表面的なことを気にしない(すぐには無理ですが)自分になろう・・・そんな思いを会話の中で感じました。


優しさには、つらさを一緒に感じてくれる優しさもあります。でも、全然違う切り口を発見させてくれる言葉、そしてだまって放っておいてくれる優しさ・・・色々あるなと思いました。

「こそ」の2文字の置き所

先日ある会の食事会の雑談の中で、その中のお1人の方のお話です。
彼女が嫁いで20年間、お姑さんは60〜80才まで家事全般を受け持ってされたそうです。「あなたは息子の会社手伝って、私は家事を受け持ちます」と。お姑さんは元々お料理も家事もお得意だったそうです。お嫁さんの彼女も、お姑さんの方が上手と思い、すべてお任せしました。(食事の後片づけは彼女の担当だったとか) 「お母さん、おいしい、おいしい」「今度これ、作って」  お布団も干して下さったそうです。 「寒い季節、温かいお日さんの匂いのするお布団で寝れるって、幸せよ」―さらりと話します。


確かにこれだけの話を聞けば、「そうだ、そうだ」と思いますが、嫁姑の関係で20年そうやって過ごすというのは、すごいと思いました。(色々あったとは思いますが)  「私だって、出来る、やりたい」 「私たちの寝室に入って、そこまでしなくても」・・・絶対色々思います。


私はこんな言葉を思い出しました。ある住職の言葉です。 「世の中は、“こそ”の2文字の置き所、乱るるも“こそ”、収むるも“こそ”」
“こそ”を相手に向ける、あなたが居るからこそ、やってくれるからこそ・・・と思えば、相手もうれしいし、いい関係が作れる。 “こそ”を自分にむけると、私がいるからこそ、私がやるからこそ・・・となると、押しつけがましく、別に頼んでやってもらっている訳でないと、関係がおかしくなってくる。自分に思い当たることも一杯あります。物事考え様、取り様で全然空気は変わります。


「やってもらえば、助かるし、楽だし、まあ、いいか・・・そんな私、回りは色々言ったけどね」とカラッという彼女ですが、回りにも良く見られたい、自分の思い通りにしたいと思ってしまう私には、本当に心洗われる話でした。

普通に育てることの難しさ

お盆休みに次男が帰省し、彼女と近くを観光に行ってすごい人だったと話していました。駅に送る車の中で、「今度は人が少ない時にゆっくりおいで」と挨拶代わりに話したら「サラリーマンだったら、これが当たり前」と返されました。「確かに・・・」


私自身育ちも今も商家で時間の自由はききます。子供も3人いて次男だけが環境が違います。でも環境の違う次男から学ぶことは多いです。車も持っていません。必要な時も少ないし、駐車場や維持費だけでも安サラリーマンには大変です。彼はデートも車なしなんだ・・・でもそれで2人とも何とも思ってない、これが普通なんです。


世の中、7割は普通の庶民です(普通の線引きは難しいですが) その普通から少しでも楽な恵まれた環境を作っているのは親なのかもしれない。少し前の事になりますが、更迭された赤城元農相、多分いい人だと思います。名士の家に生まれ、成績も優秀、トントン拍子に出世されたのでしょう。でもどこかで普通感覚がマヒしていた。阿部首相も育ちの良さがあふれてます。でも今の世の中をまともに見たら「美しい国」なんて言ってられません。あの言葉は撤回されたそうですが。朝青龍のゴタゴタを見ても、やはり親方の弟子の育て方、(今更遅いですが)鉄は熱い内です。


育てるべき時に身につけさす、それも先生や本では学べません。甘い甘い親の元にいたら、子供は楽な方へ、楽しい方へいってしまうのは当然です。今CMで、携帯の家族割引だとか、クレジットカードを家族で使えばポイントも合算されるなど宣伝してます。そういうシステムにして、子供からちゃんとお金返してもらっている親どれぐらいいるでしょう?「これぐらいマアいいか」ですましている親も多いと思います。


クレジットカードなんて、自分に支払い能力ができ、自分もそろそろカード持ってもいいと自覚できて、そして自分で手続きして初めて持つものです。(海外へ行く場合は別として) その自覚もないままに与えるバカ親もいる。20代でゴールドカードなんて「バカモン!」です。ポイントが貯まっての利点以上に、失うものが多いような気がします。若い内は普通・人並みで上等、華やかなことは自分の稼ぎで覚えていけばいいんです。若い内贅沢して、中年になってそれが出来なくなるほど惨めなことはありません。


厳しい親というのは、自分にも厳しくないとダメなわけですから、親にとっても大変です。でも子供にすること1つ1つに対して、「これはいいかな?」と自問自答することです。先日も長男のあまりの部屋の汚さに、(本当にゴチャゴチャなんです。それにお盆前で忙しそうでしたので)「お母さんかたづけようか」と言いましたら、「結構、いいです」と無碍に断られました。これでいいんです。離れて住んでいたら関知せずですもん。大人のつきあいですから・・・

爽やかさん!

今日もホントに暑いです。その暑い暑いお昼前の出来事です。
ウチの店の前に「長島屋」という履き物屋さんがあります。ご夫婦だけで営んでいます。(お歳は68才と60才かな?でもお二人とも若く見えます)私はそのお店の前を通り過ぎました。その時です!


店先で奥さんはしゃがんで履き物を並べていました。その奥さんに少しかがみながら、ご主人が何か話してします。その笑顔が何ともいいんです。天皇陛下が美智子妃殿下を見つめる時のあの穏やかな微笑みです。そして奥さんもニコニコしながら話しています。そんなおもしろい話で「ギャハハッ」てな雰囲気ではありません。


この時期、店番している人もお客さんがいれば別ですが、まして家族だけなら「暑いな〜」「売れんな〜」・・・笑顔とは程遠い表情の人が多いです。お話のお二人の前を通りがかった私も、いつもなら「ご両人仲良くって・・・」と声をかけそうですが、さすが今日は見とれてしまいました。60も過ぎて、この暑い最中、素敵です。


改めて、私たち夫婦はどうだろうな・・・?って、思い返しました。相手が話す前から、「エエ〜ッ?何〜?」そんなリアクションが目に浮かびます。見習おう!見習おう!町内の爽やかさん見習おう!

お盆

今日はお盆の入りです。
昨日お盆前の仏壇の掃除を初めてしました。
「仏壇屋の奥さんが初めて掃除?エーッ?」
おはずかしい話ですが、そうなんです。というか、両親まかせ、ちゃんとやってもたっていたものですから、それ以上私も手を出しませんでした。又、今頃は店も一番忙しい時期です。商売では関係していても、お内仏(我が家の仏さん)まで気の回る余裕はなく、すべて両親任せでした。それが何か心境の変化というか、やってみようかなという気になり、父と私と娘の3人で、お仏壇の大掃除をしました。やっている間父が「あの世のばあさんたちがうれしがっとる」と何度も何度もつぶやいていました。本当にうれしかったのだと思います。私も娘も終わって何とも言えない清々しさを感じました。親子孫三代が黙々とお磨きする姿、これが一番の先祖供養かなと思いました。


私共仏壇の販売に携わってお客さんと接していると、手間いらず、また代行してお掃除するなど、これがお客様をおもうサービスと考えがちですが、昨日の体験から、面倒なことでも家族みんなですると、心も通い合うし、自分自身の気持ちもよくなる、そしてそれが、お盆だから命日だからとお寺さんにお経あげていただく、それ以上の供養かな、手を合わす気持ちにつながる行動かなと、初めて思いました。


「お盆休み」...いい言葉ですよね。「ゴールデンウィーク」とは何か意味合いが違ってるように思います。一昨日から帰省している息子にも、「墓参り行っておいで」「仏さんお参りした?」―そんな会話が出るのもお盆です。普段全く縁のない生活していても、やはりこの時期は行ってこうかなという気持ちにさせるようです。大切に伝えていきたいですね、私たちがちゃんと踏襲して・・・

石 vs 水

時々話に出てきますが、私はアトピー体質で時々症状が出ます。多分回りが想像する以上に落ち込みます。昨日たまたま会った友人から電話がかかってきました。私が1年前から使っている化粧品がすごくいいからどう?・・・「またか」内心思いました。
「色々やっているから、今のところ変えるつもりない」
「私も使って調子いいし、アトピーも改善されるらしいよ」
・・・
化粧品の説明はまだ続きます。
・・・私は切れました。
「アトピーの人がこれ使って良くなったというのなら、まだ説得力はある。でもあなたのようにきれいな肌の人が1年使って調子いいと言ったら、何年も苦しんで色々やっている私たちの気持ち逆なでするよ。それでリベート入るようなことしているのなら、本業頑張ったら」(違う商売を営んでます)


言ってしまいました。言った後自己嫌悪に落ちました。なんてひねくれた根性なんだろう・・・友達だからホントに心配して言ってくれたのかもしれない。「ありがとう、でも今のところいいわ」って、なんでさらりと言えないのだろう。電話の後、悶々とした気持ちでした。


その夜「心の元気塾」がありました。お話の終わりの方で「我執」という言葉が出てきました。自分で自分を作り上げ、自分の思い描いたものと違うことに腹がたつ。そのこだわりは例えて言うなら「石」です。まさしく、今日の電話での私です。確かに経験したことにない人には解らないつらさがあり、「なんで、そんな風に言えるの?」と悲しくなります。でも素直にありがとうと言えたら、それは「水」です。


我執(自我) vs 無我 = 石 vs 水 です。
“仏法は無我にて候”

祭りが終わって

「天下の奇祭」「日本一やかましいお祭り」と言われる桑名の石取祭が3日の夜中の12時から始まり昨夜終わりました。「祭りの後」といわれるように今日は桑名の人が「あ〜疲れた」という感じ、静かな1日でした。でも今年の石取はちょっと想い出に残りそうです。


私の住んでいる町内は石取祭のある神社の氏子ではありません。でも長男は3才から近くの町内に入ってずーっとやってます。そして、今年はその青年会長をやりました。父も私も桑名生まれ桑名育ちで石取が大好きです。でもいつもよそのお祭りでした。毎年息子の太鼓や鉦を叩く姿は見ていますが、今年はもうちょっとカッコいいです。


山車が神社の前に近づくとそれまで元気で叩いていた太鼓や鉦を止め、全員でお囃子を唄います。
「町屋川原の 撫子 野花
   昼は萎れて 夜は開く ああ でんや でんや」
その後、水引のかかった撥をパッと破って、一番に息子が太鼓を叩き始めるのです。今年その町内の山車は最終番で、11時も回っていましたが、家族で見守りました。父もうれしそうに眺めています。私も感動もの、こんな親孝行、じいじ孝行もあるんだと、幸せなひとときでした。


このお囃子、山車を練りながら折々に唄います。子供も幼い時から耳にし覚えます。私も何となく知ってはいましたが、このブログを書くにあたり、HPで調べてみたら、ホントに粋な唄なので、ご紹介します。

 お勝さんは うちにか
   蟹が 桃を はさんで はさみちぎって ほったった
   ほったった なんにもかも ほったった
 町屋川の 撫子 野花
   昼は萎れて 夜は開く ああ でんや でんや
 めでた めでたの 若松様よ
   枝も栄えて 葉も茂る ああ でんや でんや

 桑名の石取祭は 鉦や太鼓で ゴンチキチン
   叩くときゃよかったが 後でお手々が 肉刺(マメ)だらけ
 町々の宿では 笹を立てて 注連張って
   飲んだり 食ったり 飛んだり 跳ねたり
 山形に ちょいと付けたる 十二張
   子供は浮かれて お勝さんは うちにか ・・・

なんか粋ですよね、町民が念に1度 何もかも忘れて祭りに興じる姿が目に浮かびます。
  
 

普通でいることの大切さ

赤城農相が更迭された。当然でしょう。でもこの人も6月に前松岡農相に変わって任命されてからいいとこなし。すぐに事務所経費問題が浮上し、日替わりメニューのように出てくる始末。本人はついてないと思っているかどうかはわかりませんが、でも、彼は多分成績も優秀で、家も代々政治家ということで、何かマヒしている所もあるような気がします。阿部首相もいい人そうにみえますが、やはり生まれながらのエリートですね。「美しい国」こんな言葉を何の違和感もなしに使える神経は普通じゃないです。この国、明日をも生活保護打ち切られる人もたくさん居ます。


仕事で役職でいくら偉くなっても、その人個人は普通の人でしょう?普段の生活の中でお付きの人や運転手の人達がついている生活、観劇でも見物でも常に一番いい席にさっと案内される立場、先生先生と云われるのに慣れてしまって、プライベートな時間でも「先生!」と云われて何の違和感もない人、「今は先生じゃないです。○○(名前)です」とけじめをつけることが必要と思うのですが・・・案外これが普通・当たり前の人回りにいませんか?


世の中、8割の人はこんな風なんだ

資源を大切に ―初めの一歩―

「省エネ」というと、知ってる知ってる!、「クールビズ」それも知ってる知ってる…
じゃあ、自分たちは具体的に何してる?  知ってるけど、何してる?

2ヶ月ほど前、中村文昭さんの講演でわかりやすい話を聴きました。電気ポットって、どこのお家でもありますよね。でも寝てる間は必要ないです。日本中の電気ポットの電源を夜中切るようにすると、現在15箇所ある原発の2つは必要なくなるそうです。加熱ですから相当な電力になるのでしょう。割り箸もほとんど中国で製造されるそうですが、植林が間に合わなくなってきている。だから黄砂も年々日本にまで影響及ぼすようになったでしょう?なかなか「マイ箸」持って外食するには勇気いりますが(それも意識持ったら若い人の方が実行力あるそうです)、必要以上にお店でもらうことも、家庭で使うことも少なくすることなら出来ます。ポットもその話聞いてから、従来の普通のポットに変えました。朝お湯を沸かせば、夜まで充分熱いです。逆に電熱ポットだと、底に塩素が固まって見るとゾッとしましたが、毎日お湯を変えるので衛生的です。冷房も28℃に設定とよく云われますが、我が家はほとんど使用しません。健康面を考えると、「冷え」ほど病気の元はないのです。

講演を聴いて、こんな事から始めてみよう、できるできる…大切に生きることの1コマを実感するような気がします。文明の利器の快適さは、先日のような台風・地震などの災害に見舞われたら、お手上げです。温暖化現象なんかは人間自ら、自分で自分の首を絞めているようなものです。「私の生きている間ぐらいは何とかいいんじゃない?」―私もその類でしたが、やっぱり子供・孫…もっと長いスパンで将来を見据え、今少しずつでも自分のやれることやろう。そんなことを意識するこの頃です。