2007年9月

♪しゃぼん玉♪

 しゃぼん玉 飛んだ     しゃぼん玉 消えた
 屋根まで 飛んだ      飛ばずに 消えた
 屋根まで飛んで       生まれて すぐに
 こわれて 消えた      こわれて 消えた
       
     風 風 吹くな  しゃぼん玉 飛ばそ

誰でもご存じの童謡です。 作詞 野口雨情  作曲 中山晋平
この歌の誕生の裏に悲しいエピソードがあることを、昨日お参りに伺ったお寺さんでいただいた小冊子に載っていました。心をうつ文章だったので、そのままご紹介させていただきます。


野口雨情という童謡詩人をご存じでしょうか。
皆さんも良く知っておられるたくさんの童謡をつくられています。
「七つの子」  「赤い靴」  「兎のダンス」  「青い眼の人形」・・・
雨情の時代はテレビもラジオもありませんでしたから、彼は童謡を普及させるために、歌手や作曲家と共に日本中を旅しました。そんな彼が、徳島の町へ旅に出かけた時のことです。徳島の宿に着くと、彼のもとに一通の至急電報が届きました。その電報は、雨情が非常に可愛がっていた幼い娘が、流行りの病で急死したという知らせでした。彼はその電報を握りしめると、どしゃ降りの徳島の町を走り回ったそうです。居ても立ってもおられなかったのでしょう。


一説によれば、その悲しみのすべてを込めて、後に書いた歌が『しゃぼん玉』という歌だと伝えられています。「しゃぼん玉飛んだ」のしゃぼん玉は人のいのちです。「屋根まで飛んだ」の屋根は、人間の寿命でしょう。二番の「生まれてすぐに こわれて消えた」というのは、幼くしてこの世を去っていった自分の愛娘のことではないでしょうか。

   わが子よ。
   生まれてすぐに消えたわが子よ。
   父さんは、おまえが可愛かったよ。
   それなのに、どうして・・・。


「人は皆、無情の風の中を漂うしゃぼん玉のように儚いいのちを生きているんだ。だからこそ、今のいのちをいとおしんで生きなさい。必ず別れてゆくんだから、今の出会いを大切に、大切にして生きなさい。生きても死んでもあなたを捨てないという阿弥陀さまをたのみなさい。そして、お浄土といういのちの行方を聞き定めておきなさい」


どうでしょう? 私はこの歌の簡単なやさしいやさしい歌詞の中に、大きな大きな思いを感じれるようになりました。。

                 

引き際の美学

昨日「阿部首相、突然の辞任!」というニュースがテレビから流れてきました。「なぜ?どうして?」その理由も色々憶測が飛びます。健康面・金銭のトラブル発覚か・・・


でもあまりにも間が悪すぎます。そして、無責任です。思うのですが、誕生は本人の力だけではありません。回りの人が押し上げたり、時期や運もあります。でも引き際は、辞めさせられる事もありますが、時期を決めるのは自分です。「終わりよければ、すべて良し」とも云います。

そこで思い出すのは父の引き際です。65才でリタイアしました。(本当は60才でと思ったそうですが、銀行さんからも待ったがかかったそうです) 会社の年度替わりが9月、父の誕生日も9月なので、65才の9月と前々から考えていたのでしょう。主人は稲沢店とか営業面を主にし、経理は父と私でやっていました。その2・3ヶ月前でも、資金繰りで相談したら、「○日頃○○からいくら、○日頃○○からいくら入る」と帳面も見ずスラスラと言えました。それが9月を迎えた引退を宣言した途端、ピタッと店に出なくなりました。店・経営に関して口挟むことも1度もないです。その後は自分の趣味やお寺の役員など積極的に出向き今に至ってます。よく70才を超えたような人が「息子が頼りないから辞めれん」と。でも主人曰く、「1人しか立てない頂上には、退かないと次の人は上がって来れない、親父さんの引き際は見習わないといかん」と。父はいつも何に対しても引き際を考えているような人です。邪魔にされてまでもとか、老体をさらしてまでも…というのは止めようという思いがいつもあります。でも「美学」というからには、自分のプライドや生き様・・・大事な要素です。


そう考えると、阿部元首相のプライドは・・?生き様は・・? それ以上に健康面の問題があったのかもしれませんが、ここで倒れても本望という意地はないのでしょうか?父を見てていつも思います。この人はコロッと亡くなる
だろうな・・・と。

文化を受け継ぐということ

昨日、前から行きたかった京都老舗のある料理旅館の「ミニ料理教室とお食事会」に行きました。ミニなんてとんでもない、先付・椀物・蒸物・揚物・炊合・焼物・汁物・御飯とフルコースです。それも2時間近く丁寧に、料理法はもちろんその食材の扱い方など、色々教えていただきました。食材・手間のかけ方・盛りつけやその器・・・日本料理は奥が深いです。それが終わると2階のお座敷に通されて、先程と同じメニューでお食事会です。作り方を見た後だけに、おいしさもひとしおです。


お食事中、時々ご主人がみえてお話しされます。食文化を広く伝えていきたいという思い、そして食育。地元の小学生を招いてお話されるそうです。高学年には昆布と鰹節のおいしいお出しを味わってもらって、「慣れ親しんだ味」を復活したい、季節の野菜を料理して季節感を感じてもらう。低学年には、少々残酷ですが、目の前で生きた魚を料理して食べてもらう。「おいしいでしょう?でも魚だけじゃない、牛も鶏も野菜も皆いっしょ、だから食べる前に手を合わせて"いただきます"するのは当たり前やね?」


私はお料理だけじゃなく、ご主人のお話にも感動しました。お店の経営としての企業努力も必要でしょう。でも老舗中の老舗7代目のご主人が、こういった形でご自身の職を通して世の中に貢献してみえる、本当に体にも心にも栄養をいただいた1日でした。


他にも、本堂でコンサートをされたり仏教讃歌のコーラス活動をしているお寺さんもみえます。きっかけは音楽であっても、まずお寺に足を運んでもらう、歌の好きな方が仏教讃歌を口ずさむ、その歌詞をとおして、命・心・・・それぞれに何かを感じてもらう。そんな思いでコツコツと続けてみえる姿、共通の信念を皆さんから感じます。


話が全然外れますが、マスコミで国が財政負担といいながら、公務員の横領や自分たちの利権の為の事業など、次から次へとどこまでつづくのかとウンザリするほど報道しています。ここまでくると、国のシステムや法律の問題だけではない、人ひとりひとりの常識良識のレベルの問題です。お役所のこととなると、個人に危害を与えていないからか、なぜか罪の意識が軽いような気がします。もっと厳しくしてほしい。


でもそれ以上に、そんな人種が少しでもなくなるよう、人間らしい教育・環境が大切です。私なんか思ってばかりですが、具体的に実行されている先述の方たち、素敵だと思いませんか!

認められる

昨日主人が言いました。「先日の会社でのミーティングで、常務(私のことです)は、あまり店には出てきてないが、いろんな役やったり、お寺さんの行事に参加したり・・・ちゃんと人脈作りという仕事をしているとみんなに言った」と。私は自分がすごく認めてもらえたようで、すごくうれしかったです。


ちょうど3年前体調をくずし、身体に自信が持てないまま、私なりに自分の仕事との向き合い方を考え、主人にも話し認めてくれていました。私自身人が好きで、人との関わりの中で生かせてもらうことが喜びになっているので、仕事という意識はあまりないのですが、パートナーである主人がそうやって見てくれていることは、本当にうれしかったです。


夫婦、20年も30年も経てば、口に出さなくても認め合ってるし頼りにしているでしょう、お互いに。でもね、何年経ってもやはり口に出して言うということは大事です。日本人は「暗黙の了解」とか「あ・うんの呼吸」とか言いますが、やはり言葉に出す、特に感謝の思い、褒めることは尚更です。


私の両親も大正13・14年生まれで2人とも健康です。父は外にもどんどん出、交友関係も広いです。その点母は商売一筋の人だったので、趣味といっても特になく、ほとんど家にいます。最近その母が身体の不調ばかりを捜し毎日のように病院へ行きます。先日も色々話してて感じたことは、この人は認められたいんだ。特に父から。大正生まれの父、そんな褒め言葉、感謝の言葉は決して口にしません。対する母も家族に仕事に大変苦労しましたが、この15年程は父も持てあます程のガンコさで、どっちもどっちなのですが、やはり女の一生、特に自分で選択もできない一生をおくってきた人には、「苦労かけたな、ごくろうさん!」の一言、特に連れ合いからの一言がほしいんだあ・・・と思いました。


世のご主人、勇気を出して照れずに言いましょう!
女って単純だから、「おだてりゃ、ブタも木に登る」です。

子育て

昨日病院の待合室で素敵な若いお母さんを見かけました。8ヶ月ぐらいと3才前の2人の男の子を連れていました。何がいいかって、お母さんの表情が穏やかなんです。子供の問いかけにもゆったり答えてます。ボクたちも元気だけど落ち着いています。久しぶりにこんなお母さん見たなという思いでした。


その帰りにスーパーへ寄りました。7才ぐらいの女の子がエレベーターの4階のボタンを押すと、傍にいた母親がすごく怖い顔で「何押してんのオ~、3階や!」子供の目はビビッてます。何を言われるか目がオドオドしてます。3階に着くと、その母親はカートでその子を押すように出ていきました。彼女は自分自身がイライラしているのでしょう。多分その子が何しても気にいらないでしょう。あの病院であったような接し方をしたら、この子ももっと性格ものびのびと、いろんな面が育つ時期なのに・・・自分の自戒をこめて思いました。

私は娘が2才半の時、双子の男子を出産しました。やはり双子の育児は想像以上に大変でした。あの頃の私は半分保母さん感覚、この3年間何とか乗り切ろうという思いだけで、前述のような穏やかな気持ちで子供に接する余裕はありませんでした。(だから、余計にそんな親を見ると引き込まれるのだと思います) 同じ子供でも3才の姉に私はお手伝い頼んだり、やっと2人を寝かせた後、姉の声で泣き出すと「静かに!もーオ!」叱る対象になってしまいます。スーパーで見かけた女の子の目、娘もいっしょの目をしていました・・・


娘はいつも何かにオドオドする、回りの状況ばかり気にする世話のかからないおとなしいこでした。小学1年生の頃、たまたま通っていたスイミングスクールで少し進級が早かった娘に、選手育成コースへいくことを薦められました。私は彼女は何か1つ自信をつけたら変わるような気がして入会しました。毎日毎日1キロ以上泳ぐのです。でも私だけ必死だったようです。3年生に彼女はひどい中耳炎にかかり、医師からも1ヶ月以上の水泳禁止が出ました。その時娘は、小さいしぼるような声で、「もう行きたくない、やめたい」と訴えました。ここまでやってと思いましたが、彼女はずーっと思っていたんだ、中耳炎は心の叫びだったんだと、やっと解りました。


親の反省も含め、色々あって今の彼女ができてると思います。今よかったなと思うことは、彼女が早くに結婚しなかったことです。(30才も過ぎていますが・・・)早くに結婚して子供もいたら、彼女は自分の受けた育て方に影響されたかもしれません。ここ数年、親の闘病も看、対等に色々話し合う時期があったから、心豊かになっていったことも多いです。多分いい母親になるなと思います。


自分の反省もこめて、今の若いお母さんに言いたいです。ゆったり、ゆったり・・・子育て楽しんで!