2007年10月

おせっかいおじさん・おばさんになろう!

昨日、桑名市民会館でピアノのコンサートがあり出かけました。
レフレールという兄弟の連弾です。手拍子もありのコンサートでしたが、当初から子供の泣き声がするわ、奇声を発するわ、聴いてても気になって気になって…演奏家って、スタート時気持ちはピリピリでしょう?それも泣いてる子供やうるさい子供をすぐロビーに連れ出しもしないんです。会場にいっしょにいる人間として恥ずかしいと思いました。席は離れていたので、その親子の様子はわかりませんでしたが、席立って注意に行きたい気持ちに何度もかられました。途中、彼らの演奏活動が学校など訪問して子供たちに聴かせているという話を聞いて、これもありなのかと多少納得しました。


今日もたまたま知り合いの園長先生と話をしました。「子育て支援」ということを国をあげて展開してます。それは長時間保育とか、働く親さんのフォローと思っていました。でもそればかりではないそうです。今の親では子供にちゃんとした躾ができないから、幼稚園や保育園でもやっていこうという研修が先日もあったけど、ベースは家庭でしょ・・・という話です。でも本当に親からなってない。先日の運動会でも、ドンドン中に入って、ビデオや写真を撮っているから注意したら、「すみません」って戻る親はいい方、ジロッとにらんで、また撮り続ける、特に母親。


昨日のコンサートといい、今日のお話といい、日本の未来のためにも、私たちは見かけたらドンドン注意することは大事です。(中学生以上だと危険もありますが)  やはり育つ中には、おせっかいおじさん・おばさん必要です。亀田兄弟のような人を作らないためにも・・・

偏見の改革

親しくおつきあいのあるご夫妻に昨年赤ちゃんが生まれました。とってもかわいい男の子です。でも、生まれた時から片方の手の指がありません。でも、2人には待ちに待った赤ちゃんの誕生で、今でもそのかわいがりようはすごいし、住職という仕事柄もあるでしょう。お説教でその子の話をされたり、正面から向き合っています。私も「その子のおかげで深く生きれるね」なんて偉そうな事言いながら、まだ2回しか会ってないので、今度会う時その手を見て自分はどんな態度でいるか・・・自信ありません。多分全然気にしてないように振る舞いながら、心の中で「そんな事は気にしない、関係ない」なんて一生懸命自分に言い聞せている自分がいると思います。バリバリの偏見です。


逆の経験もしました。2004年9月、その頃、アメリカにいた次男に会いに主人と2人出かけました。その年の8月から、アトピーが段々ひどくなって、薬ではすぐに治らないような状態でした。でも次男は6年近くアメリカにいて、その年の12月には帰国するので、チャンスは今しかありません。前々から計画立てていたので、息子もどこへ連れて行こうかプランをたてていました。フロリダのクリアウオーターという町でツアーでなく、主人からも「誰も知り合いがいる訳じゃないし」と言われ泣く泣く出かけました。デトロイトに着いて乗り換えて行くので、待ち時間も合わせると丸1日かかりました。機内は乾燥するし最悪の状態でした。そして旅行中にハリケーンの到来で、1日外出禁止になってホテルに缶詰状態にもなりました。。


前置きが長くなりましたが話はここからです。ハリケーン中、ホテルの宿泊客は大きなホールで、結婚式のように一同で食事をします。私は人に顔を会わせたくない心境でしたが、そこでしか食べ物がないので渋々いきました。200人はいたと思います。でも誰も私の顔をしげしげと気の毒そうに見る人いないんです。テーブルの正面に来た女性でさえ全然なんです。それまで日本で「かわいそう・・・」という目で見られたことありますから何となく解りますが、ホントに気にかけないのです。これはやはりその国民性・環境でしょうか。色んな人種の人と一緒に暮らしている環境、そして障害に対しても前向きです。ディズニーランドでも車いすの人をいっぱい見かけました。世話してる方も、されている方も明るいんです。


自分がそんな体験をしているにもかかわらず、人に対して偏見を持つ自分が情けないです。でも前述の赤ちゃんは、世直しを含め、いっぱいお役目持って生まれてきたと思います。赤ちゃんからお年寄りまで、多くの人と関わり合いながら、深く考え、変えれるところは変えていきたいですね。

環境

私が入っているコーラスのお寺さんには、3才~11才まで4人のお子さんがみえます。そして会員のお子さんが2,3人きています。コーラスの練習中、別の部屋や境内で遊んだり、本堂へきて一緒にいたりします。慣れてくると、指導しているお庫裏さんの横へきて、一緒に歌ってます。休憩時間になると皆さんにお菓子配ったり、お茶碗を片づけたり...私は子供にとってすごくいい環境だなと思います。子供が阿弥陀さんにおしり向けて寝ころんだりすると、お庫裏さんが指揮とりながら、子供のおしりをピシャリ「阿弥陀さんにおしりむけて」注意します。こういった環境の中で学び身についていくんだな、環境の大事さを改めて思いました。コーラスの案内のハガキにこのような言葉がありました。
   「共に」ということが、現代は崩壊しています。
   事実は様々な違いをもって「ともに」生きています。
   コーラスというご縁を通して、
   「共に」を回復できればと念じています。


私は仏壇屋に生まれ、職人だった祖父の仕事場が幼い時の遊び場所でした。金箔にはさんである薄い紙でこよりを作ったり、漆をヘラで器用にこね少しずつ木地に塗る・ニカワをとかす・夕方になると道具を1つずつ丁寧に手入れして片づける・・・祖父のそんな様子を見ているのが好きでした。お寺での子供たちの様子を眺めながら、私の幼い時の環境は祖父の仕事場だなと懐かしく思い出しました。


金子みずゞの歌にこんなのがあります。
    散って すがれた(枯れた) たんぽぽの
    川原のすきに  だアまって
    春の来るまで  かくれてる
    強いその根は  目に見えぬ
       見えぬけれども  あるんだよ
       見えぬものでも  あるんだよ

子育てでも、親は見える所ばかりに一生懸命になってしまいます。でも歌のように、目に見えない根は、もしかしたら前述したような環境の中で作られる、育つのかもしれません。

童謡 part.2

金子みすずという詩人ご存じだと思います。
今コーラスの練習曲にこんな歌があります。

   ♪こどもが こすずめ つかまえた
    そのこの 母さん 笑ってた
    すずめの 母さん それ見てた
    お屋根で・・・泣かずに・・・それ見てた♪

簡単な言葉で音符をおいながら歌っているときは、何とも思わなかったんですが、家でこの歌詞ながめていたら、光景が浮かぶんですね。
   意地悪している子供、それを平気で見ている母親
   いじめらられている子供、それをじっと、何も言わずに眺めている母親

私なら、すずめを捕まえた子の親なら、「そんな事したらいかんよ!」と言います。そして、すずめのお母さんなら「ウチの子に何するの!」・・・言うでしょうね。
でもそれ以上に、この簡単な詩の中に深い思い、深い問いかけをしている、その作家の金子みすずという人に感心します。彼女の詩の中で、私の一番好きなのは、
   ♪すずと小鳥と、それから私、みんな違ってみんないい♪

何かの会でも仲間内でも人が何人か寄ると「あの人はどうだ、こうだ・・・」そんな話が出ます。「悪い人じゃない」と解っていても、人は自分の物差しで評価しがちです。そういう私もそうです。でも少しでも、みすずさんのような大らかな思いで人と接したい・・・いつも思うんですが・・・