2007年11月

象の背中

「象の背中」という映画を見ました。余命3ヶ月という診断を受け、手術や延命治療を拒否し、自分の納得する生き方で最期を迎えるというストーリーです。ドラマにはよくある内容、設定や展開もドラマならではという箇所もあります。(愛人の存在)でもおもしろいなと思ったのは、病人本人に焦点を合わせていることでした。家族みんなで頑張る看病の姿はドラマにはありますが、家族の感情はあまり深入りしてません。サラッという感じです。それが又今井美樹の奥さん役とピッタリ合ってます。


なぜそこに興味持ったかというと、ガン告知も今では当たり前になってきましたが、余命○ヶ月というのは、今でも言いにくいし聞きたくない。だから本人が「もう私ダメかも・・・」と言えば「何言ってるの、治る治る・・・」って言葉をにごして「死」と直面することを避けたい思いは誰にでもあると思います。でもそれは「死」「別れ」というつらいつらい現実から逃げているだけ、いつかはある「死」にちゃんと向き合えば、別れるまでの時間はもっともっと充実したものになる。


生きている内にしか言えない、伝えれない事はいっぱいあります。そして残された人にはそれが今後の糧になることもあります。亡くなるまでの数ヶ月を「だまし」「だまされたふり」で終わることの無意味さ・・・でも人はそんなに毅然と死を迎えれるものでありません。ドラマの中でも主人公は実の兄の前だけ「死ぬことはこわい、別れたくない・・・」自分の気持ちを吐露します。


私自身えらそうな事言ってますが、家族に自分にそんなことがふりかかったら、どう対応するか自信ありません。でも「死生観」は人の話を聴いたり、本を読んだりして持つ方がいいなと思います。そして何よりも回りに人がいないとダメです。愛する家族・友人・・・。 その人たちがいるから、「別れ」がつらくなるのでしょうが・・・

それも、年齢が50代・60代・70代・・・となれば、自分も回りの思いも変わるでしょうね。

文明の利器に振り回されている私たち

今時、「文明の利器」なんていう言い方も古いですが、今日は前回の運動会の話の続きです。


前回の話を娘と話していたら、保育士をしている友人の話をしてくれました。今はカメラはもちろんですが、ビデオカメラも普及してます。お父さんがビデオ、お母さんがカメラという家庭も多いそうです。そして、それは運動会だけでなく、行事には必需品になっています。


だから子供から見れば、見つめられているのは、いつもカメラやビデオのレンズをなのです。肉眼ではないのです。うれしそうな親の目、感激してウルウルしてる親の目は見えないのです。目、目線、視線って大事ですよね。それって、相手に色々な感情を伝えますよね。でもいつもレンズなんです。


今の機種は性能もよくって、すごいズームもできます。でもそれだと、親は自分の子供しか見えないんです。写真ならまだしも、ビデオならズーッとでしょう?その間子供と親だけの世界なんです。回りは見えないんです。これなら、ドンドン前の方に進み出ても、自分がどんな場所で撮影しているか、夢中になるほど解らなくなりますよね。ビデオライブラリーが出来るほど、いつの時も記録に残している親御さんもいらっしゃいますが、子供がそんなに喜ぶでしょうか?程ほどでいいんじゃないでしょうか。声や仕種も少しずつ忘れていくことも必要です。


それより何より、親が子供に残す事、もっともっとあるような気がします。親の私たちがどうやって生きたか、ビデオにもノートにも記さなくても、良くても悪くても子供のスクリーンにはしっかり残ると思います。