2008年2月

仏壇はいつ買うの?

私の通っている病院は養老町にあるのですが、ちょっとユニークで、内科の他、漢方・「痛みの外来」「Non病外来」・・・いろいろあり、2ヶ月に1度、「フナクリ通信」という広報誌も出されてます。その中に、院長先生ではないですが、もう1人の先生が書かれた文章が「仏壇」というタイトル。ちょっといい感じだったのでご紹介します。

仏壇をひとつ、見繕っていただけますか?
立派なものでなくてよろしいです。いえ誰かが亡くなったというわけでは
ありません。
強いていえば、これから亡くなるというか。
思えば、たくさんの方々にお世話になりました。
して差し上げたことよりも、していただいたことの方がずいぶんたくさんです。
誇れることよりも、恥ずかしいことの方がずいぶん多い、そんな人生でした。
それでもこの身に余る、私にしては充分な人生でありました。
そのことを、ただ感謝したいのです。
私の望みはただ一つ。感謝の気持ちを天に届けたい。
ほかに何も望みません。
良く生きることも、良い死も、誰かのしあわせも。
ただただ念仏を唱えます。つたない念仏ですが、一生懸命唱えます。
そういう気持ちで、仏壇を求めに参った次第です。


「仏壇はいう求めたらいいかわからない」
「何にもないのに買ったら行けないそうで…」
―お店にいらっしゃても、そんな事を言われる方もみえます。
仏壇買ったら何か悪いこと起こるんですか?
逆に、私共の方がおたずねしたいぐらいです。
前述のような先生の思いを読むと、なんだかすごくうれしくなりました。

頼まれ事は、試され事!

年度終わりが近づいて、私の入っている会も広報誌の製作が進められています。今年は印刷業者も替わり、広報担当のスタッフもみんなノンキャリで、初めてづくしです。今日ゲラが出来上がって2度目の業者さんとの打合せがありました。出来上がったゲラを見て、表紙・レイアウト・カラー・・・など、私共の要望も様々です。印刷の場合、確かに不可能な事もあるでしょう。でも話を積み重ねる中で、担当者は私達の要望・好みをくみ取り、どれだけデザイナーに上手く伝えられるかが実力だと思います。


でも、どうも今日の担当者に限らず、その相手の意向をくみ取る努力、その為のひと手間・・・何か足らない事が多い。満足いくものを作ればいいと言う結果主義?  「終わり良ければ、すべて良し」とも云いますが、営業力・人間力は、そのプロセスで培っていくものだと思います。検討する上で参考になるツールは何か、自分で捜して提供する。・・・色々不満が残りました。


タイトルの「頼まれ事は試され事!」・・・これは、よく講演されている中村文昭さんの受け売りですが、私も同感です。人に何かを頼まれたら、想像された以上の出来になるよう頑張ります。それは物とかお金とかではなく、自分の手間、ちょっとした心配り、こんな風にしたら喜ばれるだろうな…等、思いつくことは最大限考えます。それが人間関係・信頼関係に繋がると思います。


前述の広報誌の出来ももちろん大切ですが、「よかった、よかった」は数日の思い。でも、「彼らはよく動いてくれたね。頑張ってくれたね」・・・これはずーっと心に残ります。出来上がりまでに、あと何回彼らに会うか分かりませんが、どうやって接して、私の思い伝えようか、楽しみです???

大切なのは実行です!

昨日の委員会がありました。
前月私の入っている会で環境問題についての研修会を開催し、打ち合わせと称し講師の先生と昼食をとり6名で同席しました。その時点で大変盛り上がり、自分たちのできることは・・・色々案がでました。その中に最近ブームになりつつあるマイ箸の話になりました。1日トータルするとすごい量のわりばしが使われ捨てられます。そのほとんどは中国で作ることが多いそうですが、大量の伐採もここ数年黄砂が日本まで渡ってくる要因にもなっているそうです。焼却に燃料も必要です。そんなことを説明しながら「マイ箸運動」を奨めている団体もあります。私たちも色々な会合で食事の後片づけをする時など、「もったいないな」と思います。でもマイ箸を買っても、いつも携帯する、それを使うということがなかなかできません。だったら、この会の食事の時は持参しては・・・みんなに提案しては・・・そんな意見が出、実際その研修会の最後の方で会員の方から提唱されました。


そして1ヶ月ほど経ち、昨日その研修会を担当した委員会の食事会がありました。私は挨拶の中で、先月「マイ箸」の提案があったのに、ちゃんと買ったのに、今日忘れてきました…述べると私も、私もと皆さん、その中で1人、少し年配でよく研修には参加していただきますが、(仮にSさんとします)静かで隅の方に、いつも目立たずいる方が、「私はあの話を聞いて買って持っているんです。でもなかなかお店で出す勇気がなくて・・・」


私はこの婦人に再度感心しました。車に乗られないので、いつも最寄りの交通機関と徒歩で来て下さいます。委員会でも全体の研修会でも、ご自分が行ける日は必ず出席です。そして前述のように、良いと思われたことは即実行。私なんか会長していて、その時は大いに「いいね、いいね」とのっているクセに、実際食事の時に、コロッと忘れてくる。本当に物静かなSさんに敬服です。


どんな団体でもそうですが、いろんなタイプの方がみえます。普段目立たなくてもキラッと光る、Sさんのような方、大切にしなきゃいけませんよね。

針供養

1年の中で2月8日を「御事始(おことはじめ)」、12月8日を「御事納(おことおさめ)」とする伝承が全国各地に残っています。この両日は「事八日(ことようか)」といわれ、いずれも物忌みの日にあたり、徘徊するさまざまな魔物を退治・歓待したり、針を持つことが戒められてきました。この日は針仕事を休み、使えなくなった古い針を集めて豆腐やこんにゃくなどに刺し、神棚に供えたり、川に流したりしました。使った針に感謝の気持ちを込めて供養すると共に、「針仕事が上達するように」「ケガがないように」と祈願します。


日本では日頃仕事や暮らしで使っている道具に感謝します。これって海外にもあるのでしょうか。そんな心のある風習が少しずつなくなってうることは、何か残念というかもったいないと思います。もちろん針仕事をすることも少ないですし、道具を使ったり手仕事をすることもない分、針供養のような風習と重なることもありませんし、そういう暮らし向きも少なくなるのだろうなと思います。昔からの言い伝えや歳時記をその折その折に知って、子供や孫に伝えていくことも必要でしょうね。

立春〜春のおとずれ〜

季節の変わり目「節分」の翌日が立春で、実際の感覚では、一段と厳しい寒さが加わりますが、暦の上ではこの日から春が始まります。

このブログも始めては一服、始めては一服という状態ですが、旧暦の元旦に当たる今日から又再開しようと思います。ブログをやってて良いことは、自分の生活や回りの状況を丁寧に見るくせが付くことです。ちょうど短歌や俳句の好きな方が、四季を感じ、草花の少しの成長にも気づくように、ネタ捜しではないですが、「アッ、このこと…」と思い、だいたい同じような文章の量にまとめる、これは日々の出会いを丁寧に受け止める訓練になります。だから、お休みしていると、フッとは感じるんですが、ちゃんと受け止める前に、サラーっと流れるんです。心に引っかからないんです。自分のための再開です。


次男が勤めを辞めて、今日からアメリカへ旅行にいくそうです。(大阪に居るので話だけ)。ちゃんとリセットして、又次の仕事を捜すそうです。30才近い大人ですので、親の出る幕はありませんが、もう、一人の大人として認めて放任することと、親として生きてる内は、これだけは伝えておきたい…その選別が難しいと思います。どうやって生きるかは自由だけど、こういう事は忘れないで生きてほしいと思うことは、折々伝えていきたいと思ってます。


今年は我が家も状況が変わっていきそうで、「東風解凍」(春風が吹き氷が解け始める)とか、「魚上氷」(割れた氷の間から魚が飛び出す)…立春の今日、感じるおもいです。

節分

日本に伝わる歳時記を1年間ご紹介します。

 節分とは文字通り、節(季節)の分かれ目のことで、本来は立春、立夏、立秋、立冬の前日を指します。しかし現在では、立春の前日(2月3日頃)のみを云うようになりました。
 節分が特に立春の前日を指すようになったのは、きゅうれきでは立春が正月と同じく新年の初めとされていたためです。立春前の節分は、春という新年を迎える前日、つまり大晦日とも共通する特別な日でした。そのため、立春前の節分には他の節分にないさまざまな年迎えの行事が執り行われ、現在に残りました。
 節分の夜、豆をまいて厄を祓うのはおなじみですが、その由来とされるのが宮中の年中行事「追儺(ついな)」です。もともと追儺は、新年を迎えるにあたり邪気を祓うために行われた古代中国の宮廷儀式で、日本には奈良時代に伝わりました。
 ただし、当時は豆をまく風習はなく、現在のように豆をまくようになったのは南北朝時代からで、江戸時代になると一般庶民の行事として広まりました。