2008年7月

母のその後

母は先週22日に退院しました。
食事は部屋まで持って行こうか、お風呂はしばらくシャワーかな?・・・とか、毎日の生活の細々したことを思い浮かべると、内心しばらくは大変かと覚悟しました。しかし退院の1週間前頃から病院内を結構歩いていたこともあって、介添えすれば歩くことも入浴することもできました。退院前にベッドを入れたり、廊下やトイレに取っ手を付けたりしたことで、本人もあまり病院とのギャップを感じないようでした。我が家にはエレベーターがあり、あまり段差もないことで、昼と夜は4階から3階に自分で降りて食事をとるようにもなりました。


母の退院後の様子を見て、これなら出来るということは、どんどん実行していきました。まずデイサービスです。病院内にある介護支援センターの方と相談して、週に2回通う手続きをしました。一応介護度の認定も進めていますが(まだ出てませんが)、そのレベルに関係なく有料になっても通わせようと計画しました。というのは、入院中、病院内のデイサービスに通っている母の知人が、わざわざ病室に訪ねて下さって、退院したらおいでと誘ってくれ、母もその気になっていたのです。デイサービスも先週26日と昨日と2回行きました。母はずーっと店に居たので、顔見知りの人が多く、結構スムーズにとけ込むことができました。又、昼休みには担当医の先生が顔出してくれたり、リハビリしたり...母も病院との接点があることも心強いようでした。


もう1つ、母用の携帯電話を購入しました。父は以前から使いこなしていますが、母は全くの機械オンチです。覚える気があるかどうか迷いましたが、受信だけでもできればいいと思い購入しました。そしてお見舞いに来て下さった方に退院の報告のお礼状を出し、その文面に母の携帯番号を記しました。「皆さんとお話しすることが母の元気の素になるので、お暇があったらお電話して下さい」と・・・


ボチボチ電話もいただくようです。時々操作を失敗するみたいで「かけてもお母さんでないよ」と私の方へ言われることもありますし、初めの頃は母も話す時、トランシーバーのような持ち方で話すので、「それでは向こうの話が聞けへんよ」と笑い話のような事もありますが、いつも枕元において「この電話にかかってくるのは私の知り合い」・・・という、独占という感じが心地よさそうです。


まだまだ1週間しか経っていないので、これから母自身気持ちの波も来ることでしょう。でも今回のケガ・入院のおかげで、「どんな環境にして、何が必要なのか?」折々に考える機会を与えられました。一番必要なのはお話する相手。もちろん家族が一番身近でやってますが、身内ばかりでは私たちも疲れるし、第一、母にも緊張感が必要です。そのためにはデイサービスや携帯電話を利用して、本人が無意識の内にもいい声出す場を作ることだと思います。よくありませんか?電話かかってきて一張羅の声で「林です~。」と出たのに、「俺や!」というダンナの声に急にトーンが落ちて「なに~?」・・・身内はそんなもんです。お年寄りでもよそ行きの声を出す機会は必要です。


話が逸れてしまいましたが、母の同室で入院してみえたおばあちゃん、点滴うってずーっと眠ったままのその姿に色々考えさせられました。寿命をまっとうするということは、こんなことも含めての事。なら、声も出せ身体も動く内は、明るい気持ちで動かせる環境作らんと・・・泣き顔より笑い顔、泣き声より笑い声、いただいてるこの身を、いいようにいいように使わせてもらわんと・・・眠り続けているおばあちゃんのメッセージだと思います。かっこいい事言いながら、1ヶ月には愚痴っているかもしれませんが、今は充実した毎日を送っています。

母の入院ーその3ー

そんな病人気分どっぷりだった母に心境の変化が現れました。きっかけは色々あります。
�@ リハビリの研修生のお兄ちゃんが母のお気に入りになったことです。病室までの送り迎えを車いすでやってくれ、「頑張ったね。明日はもう少し長くね」・・・てな調子です。
�A 従妹の近所の母より2つ年上のおばあちゃんが、母とも何度か会っていたので、わざわざお見舞いに来てくれました。病室で研修生とのそんな会話、そしてその5分後回診の先生との会話をずーっと聞いていました。研修生とは「頑張ろうね」「あいよ!」と交わしていたのに、先生が「どうですか?」と聞くと、痛そうにするのです。そしてその後一喝!「あんな言葉先生に言ったらダメよ、娘さんがそばに居ることもあって、アンタ甘えすぎ、多少は我慢しなきゃ!」ーと、東京弁でバシッと言われました。
�B 同室の同じような頃に入院した方、症状は母よりずっと重病の方がバタバタと退院されたのです。母の症状も3週間ぐらいと診断されていたこともあり、俄然「退院」という言葉が母の頭の中で、近い将来になってきました。


こうなると気持ちも前向きになるようです。それまで部屋内の洗面所までの5,6歩がやっと、起き上げるのも難儀な様子で、いつの横になってばかりいましたが、廊下を歩いたり、毎日顔見に行くといつも座っているようになりました。退院したいという思いが母の気持ちのモードを切り替えたようです。


そんな様子を見ると退院したらそうしようとブルーだった私も思いも変わってきました。「これもできる、あれもできる」という可能性が、取り組むことを楽しくさせていったのです。そして、私の友人でケアーマネージャー掌握する立場にいて、自身でも施設を経営している彼女のアドバイスも大変有効でした。今まで縁がないと、公共のシステムを利用することの詳細にもほとんど無知でした。色々アドバイスももらいました。手続きの段取りも教えてもらいました。いかに人ごとだったか・・・


その母が今日退院します。今から迎えに行きます。さて、どうなることやら???

母の入院ーその2ー

いよいよ母が入院しました。2年前腸のポリープ切除で3日間入院したことはありますが、ここ30年以上初めての本格的な入院です。母も前回1人部屋で寂しかったので相部屋希望、私も人の出入りのある方が母のタイプにはいいと思って6人部屋に入りました。でも入ってビックリ。お1人の方は、同じような症状でしたが、他の人は寝たっきり、始終点滴でずーっと眠ったままです。内心えらい所に入れてしまったと思いました。2日目訪ねた時は、皆さんオムツ替えた直後だったようで、部屋に臭気もあります。段々母がかわいそうになってきました。(ご本人は自分の痛みが先決問題であまり苦にならないようです)


その夜、ヘルパーのボランティアをしている従妹に電話して思いを話しました。彼女曰く、「私の見る限りおばちゃんは幸せなお年寄り、だんなさん・娘夫婦・孫の囲まれて幸せなのは判っているんだけど、自分以外みんな元気で飛び回っているから自分が情けなくなっている。でも入院すれば、自分よりもっと重い病気の人がいることを知れる。3週間ぐらいなら丁度いい時間、今後のおばちゃん考えても、いい体験になると思う」・・・彼女の言葉に心が救われました。


ご本人さんの様子ですが、看護師さんが声かけてくれる、身体拭いてくれる、お見舞いの人が来て下さる・・・久々の主人公になったみたいご満悦です。その証拠に私たちでもお見舞いの方でも、病室に入るとすごい痛そうにするのですが、10分も経つとおしゃべりは母の一人舞台、皆さんこれなら安心という感じで帰られます。でも起きあがったりするコツがつかめるまでは、異常に力が入って余計に身体がカチカチ、それと本来の病巣の痛さがゴチャゴチャになって、すぐ涙ぐんだり・・・毎日行く中で色んな表情を見せてもらいました。本人はオーバーにもウソも言ってるつもりはなく、その時その時自分の正直な思いなんでしょうが、あまりうるさいと、多少の我慢はいるよ、入院してるんだから・・・そう思えて来る時もありました。


年齢から考えても入院前と同じようになるとは考えられません。母がワアワア言った時など、父は家に帰って真剣に「病院出されても施設に入れようか?俺やおまえたちが我慢して犠牲になる生活をすることはない」とか「もし2人だけの生活だったら、病人の奥さん殺して自分も死ぬという気持ちもよく解る」と言うのです。真剣に受け入れ体制を考えることが必要になってきました。親の事だから看るのは当たり前という気持ちと、大した症状ではないのに、自分で自分を重病人にし、その思いで症状も回復させる気のない母に腹が立ってきました。手術したわけでも、ギブスはめているわけでもなし、呆けてもなさそう、もうちょっと頑張ってよ。こんなきっかけで寝たっきりになるの?


1週間目、2週間目は病院へ行くのが憂鬱でした。自分が親不幸にも思えて・・・(続く)

アトピーの神様

私の内には、アトピーの神様が宿ってます。
おだって調子にのっている時、おごっている時、身体に無理をしている時…ご登場されます。そこで初めて「私何かしたかな?言ったかな?・・・」考えます。だいたい思い当たる節があるので、これまた不思議です。


「たかがアトピーぐらい?」「大した辛い体験ほかにしてないからじゃない?」・・・かもしれない、だけど私の中では、あの思いはもうイヤ!一番ひどかった時の状態、絶対したくない!ひどかった時写真が撮ってあります。痒みはもちろんですが、真っ赤でボロボロ、ガサガサ、ブヨブヨ・・・です。身体中です。何かイヤな事があるとその写真を見ます。(めったに見ませんが) すると、今に感謝でき頑張れます。


アトピーとも長いおつき合いになりまして、いい関係が出来てきました。「旅はみちづれ・・・」「おいおい!」と肩をたたいてくれるこのアトちゃんに感謝です。(感謝するから出てこんといて…が本音ですが)

母の入院

6月23日、その朝もそろそろですが歩いてました。
でも終日前から病人モードは強く、父を呼んで何かさせたり、一緒に食べるのを拒否して自分でおかゆ作って食べるとだだこねたり...孫娘が気長に説得すると階下へきて食べ始める、最初は食欲なさそうに振る舞うんですが、元々病気でないのですから結構お箸も進みます。でもその頻度が多くなってきたので、ガス使ったりはあぶないと母のいる部屋をかたづけ始めた時、「起きれない、起きれない!」といざりながら叫ぶので、救急車とも思いましたがそこまでひどくなさそう・・・母が診てもらっている病院が歩いて10分もかからないので、車いすを借りてきて病院に行くことにしました。4階までエレベーターで行けるので楽勝です。車いすに乗せるまでは「痛い痛い」と大騒ぎでしたが、町中動き出したら結構気持ち良さそうです。


病院の診断は圧迫骨折、3週間の入院ということになりました。2年前ポリープで3日入院した時、個室で寂しそうだったので、本人の希望もあり、私ももっといろんな患者さんがいることを母に知ってもらいたくて相部屋を希望しました。そして、案内された部屋は6人部屋。ホントに、あの世の一歩手前という人がほとんどです。ずーっと点滴をして眠り続けています。私はもっと明るいというか希望のある相部屋かと思っていましたので、「ここで~・・・!3週間・・・」内心どうしようと思いました。そこへ母を置いていくのがかわいそうになりました。でも母は自分の事で精一杯みたいでそんなに気にする風もありません。逆に個室より看護師さんやヘルパーさんの出入りが多いので、それが退屈しのぎになるようです。「エ~ツ!ホントに?」・・・何かバタバタと入院生活に突入しました。


我が家はあまり病院の縁のない家なので、毎日見舞いに行く中で色々考えさせられる事が多いです。同室の方で3人、ずーっと点滴をして眠ってたままの人がいます。こんなにまでして長生きしても・・・いつも思います。よく病院側の営利主義等を指摘する場合もありますが、でもそればかりも言えないでしょう。看護師さんもヘルパーさんもホントによく働いています。下の世話もあり頭が下がります。いくら仕事と言ってもこの仕事につく思いだけでも偉いと思います。医師もある程度で断を下すということは非常にむずかしいです。


私自身その事を考えていて思うことは、これは他人任せ、家族任せではいけないと思います。「自分が寝たきりになったら、こうしてほしい」...その具体的な希望をちゃんと一筆書いて、一番いいのは遺言状の正式な手続きを踏むことですが、普通の主婦ではなかなかそこまで考えが及びません。だったら、とりあえず証拠となるよう一筆書いて、常に家族や担当医の先生に話して書状は渡しておく。それぐらいの病んだ時のシミレーションは自分で思い描き、手段を講じる段取りは自分でつける必要があると思います。


長生きも多少不自由の箇所はあっても、自分の意志で動け、食べ、うれしいと思える。・・・それができない場合は自分で対策を考えましょう。元気な内から。

生きざまは老いざま

ずーっとお休みしてました。最近思わぬ所から、「ブログお休みだけど、どうかされました?」との声を聞いて、又やろうという気になりました。(単純です) それと我が家にも色々ありまして、お話ししたいという思いもあった事も事実です。


私は実の両親と同居してます。大正13年生まれと14年生まれ、84才と83才です。この2人が65才頃から全く対照的な生き方を始めました。


父は65才でリタイアすると、待ってましたとばかり好きな碁を上手くなりたくて、月に1・2回は3泊4日ぐらいのセミナーに参加して、色んな所へ行ってました。家に居る時は碁の好きな人が、昼間だけでなく夜も来て、本当に小原庄助さんの碁バージョンのような生活でした。おかげで年々昇段し、今は5段(かな?)の腕前です。月曜日と木曜日は我が家、水曜日は別院の書院で、結構人が寄って楽しそうです。女性クラブの講師役にもなり、バレンタインデーにはチョコレートもらって、まんざらでもなさそうです。そして、真宗大谷派の本山の参議もしているので、京都にも年に30日ぐらい出かけ、たまの京都の滞在も充分エンジョイしてます。


ひかえて母は、結婚からずーっと携わっている商売が大好きで看板おばさんでずーっときました。でも社員さんが増えても全く自分のスタイルを変えない母を見て、73才の時父が無理矢理引退させました。もちろん母は不本意で1年ぐらい店の前も通らないくらい腹を立てていました。実際おなじみのお客さんからは「どうして奥さんを・・・」とよく言われました。でも現実問題として、お客さんの伝言メモも間違えだらけ、お相手していたお客さんとも自分の話す気がなくなると、途中でもどこかへいってしまう・・・正直私たちも手を焼いていたのを父が見ていての進言でした。「店でコロッとは死ねん。俺みたいな生き方しよ」と・・・。


1年ほど経って母も納得し花づくりなど色々しても、73才になってからでは夢中なるほどの趣味にも出会えません。それまでも商売一筋だったので下地もありません。ここ数年前から母のすることは体温を測ることでした。日に10回以上も・・・。そして37度になれば大騒ぎ、病院へ直行です。帰れば「風邪の菌が・・・」多分先生はそんな風には言われないと思うような事を話します。体の悪い所捜しです。本人が意識的にやっている訳ではないのですが、父と違ってダラダラしている自分に言い訳をしているように思えるほどです。この2年ぐらいは骨粗鬆症で背骨が痛いと1日おきのように訴え、毎回「今日が一番痛い」が口癖でした。


自分で思うようにならないのが肉体ですが、この両親の姿、日々の生き方を見ていると、「病は気から」―本当に自分の心持ち、生き方がしっかり反映されます。楽しみ優先に生きていくか、大した楽しみもなく調子悪いところを捜す気にする性格では、雲泥の差が出てきます。年期が入ってくると少々話したところで考え方変わる訳がありません。自分に都合悪い時は耳がシャットアウトします。

こんな状態の母が先月26日から入院することになりました。(次回へ続く)