2009年3月

親からのメッセージ

「泣ける歌」というテレビの歌番組がありますが、半月以上前たまたま見ていたら、樋口了一さんの「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」という歌がありました。彼は作曲家でいろんな人の歌を書いています。この「手紙〜」は倒れて少し気弱になった父親を見舞いに行った折、その枕元にあった詩(作者不詳)で、それに曲をつけたそうです。その詩をご紹介します。


年老いた私が ある日今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解してほしい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守ってほしい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいてほしい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へ
励ましのまなざしを向けてほしい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出してほしい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを
悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げてほしい

いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
あなたがか弱い足で立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせてほしい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないでほしい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていてほしい
きっとそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかり付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添ってほしい


どうですか? 何を思います?
介護する側の大変さはよく話に聞きます。
でもされる側の、変に遠慮しない、素直な思い・・・ジーンときます。
自分が赤ん坊だった頃、まだ小さい子供の頃、覚えてはいませんが、どんな風に育てられたか想像はつきます。色々やってもらった。世話かけた。確かに老いて出てくる現象は、赤ちゃん戻りしていくと言います。この詩を思い出すと、親を暮らしていて、大変だ、面倒だと思っている自分に、ちょっとやさしくしてあげなきゃ・・・という思いが湧いてきます。

再び「おくりびと」

アカデミー賞受賞で再度「おくりびと」が注目されています。
私も昨秋に観て、このブログに感想を書きました。でもその時は職業に対する差別意識を問題にしたように思います。でも今この映画のクローズアップされている観点は、死と向き合うということ、死者に対する畏敬の思いが現れている納棺の儀式、ひいては日本の文化にまで話が発展しています。


あの映画のように丁寧な納棺の儀式をどこもやっているかどうか…?ですが、映画のシーンを観る限りでは、確かに肌を見せないように体を拭いたり、着替えさせたり、そしてきれいにお化粧して・・・それを見ている家族は、その時間の中で、改めて死者が自分にとって大切な存在であったことを実感したり、認められない死を少しずつ受け入れていくのでしょう。


最近では家族の死に際しても、臨終の場に間に合わない(入院している人がほとんどですから)、納棺に立ち会わない(同居の家族だけで済ますことが多いのでしょう)、ともすると、通夜も省略することもあるそうです。でも通夜と告別式は明らかに異なる儀式です。告別式に先立って、死者と今生きてる人との語り合う大切な時なのです。そういった意味合いも理解しないまま省略すると言うことは、如何に死と向き合っていないか…と思えます。


そう考えると、日本で受け継がれている儀式には、ちゃんと意味があり、それを理解した上で受け継いでいくことが、私たち世代の役目でもあるでしょう。冠婚葬祭しかり、茶道や剣道など「・・・道」と名のつくものは全てそうです。茶道のおもてなしの心、客同士の「お先にいただきます」というような、相手を思いやるエチケット…の究極の形でしょう。私も娘の婚礼のおかげで、その儀式を通してその意味合いを強く感じました。家族観・道徳観・美意識・倫理観…世界に誇れるこの伝統を、世界中が厳しい今だからこそ、大切に受け継ぎ、しっかり根を育てることが必要とされていると思います。