老いを見る
昨日母が玄関先で転倒しました。幸いどこもケガはありませんでしたが、本人は非常にパニクリました。転んだまま、うつ伏せ状態で、手足をバタバタさせ、どう起きあがっていいか解らないし腕に力もはいらない。父と2人で部屋へ抱きかかえて、しばらく安静にさせたら、又じっくり起きあがって、そこで昼食をとりました。食欲は変わらない(これが又私には?) その後も立ち上がるのにも時間がかかり、腕をもって部屋へ連れて行きました。その後もトロトロ眠ってばかりで、夕方もちょっと顔がむくれているし、しゃべり方もノロノロして聞こえす。
今まで母は症状以上にオーバーに私たちに訴えていたので、「また~」とか「大げさ!できるできる」と言って接してきました。でも昨日の出来事は「こうやって、1つずつできなくなっていくんだ」ということを痛感ましした。何か病気を持っている場合の方が、やむおえないと受け止めれるかもしれません。多分本人もこんな事がある度にどうなっていくのだろう・・・という不安がいっぱいだと思います。でもこういう事にも慣れて対処していくことが、老いを看取るということなのでしょう。
先日70才前後の3組の夫婦とおしゃべりしていた時、いつ死んでも悔いはないとか、病気になったらコロッと死ねると皆さん思ったいます。偶然その3組とも新家さんで年寄りと生活をした経験のない人でした。この人たちが母のような状態になった時何を思うか・・・?その時、日々老いていく姿を見、世話をした経験というのは、自分自身の生き方にも無駄にはならないと改めて確信しました。
2009年11月28日 09:29 | カテゴリー: 午後のティータイム(私の思い) | コメント(0) | トラックバック(0)
コメントの投稿