人間万事塞翁が馬
昨日あるお寺で新年の会があり、前住職の法話を聴きました。その中に印象深い内容がありました。ある信心のあるあばあさんのお話で、その方のお家では毎日家族揃ってお経を掲げ、お寺さんがみえた時も家族全員でお説教を聴かれていました。そんな中で15才になるお孫さんが急逝しました。それも自ら命を絶ったそうです。息子夫婦は「これだけ家族みんなでお経もあげちゃんとしていたのにこんな事が・・・。もう信仰なんて信じれない!」と言って、一切しなくなりました。初めおばあさんが勧めて始めたものです。でもおばあさんも何も言い換えす事はできなかったというお話です。
この結論はなかったように思います。えてして、真宗では戒律的なものはなく、その後このようにしてチャンチャン、めでたしめでたしと終わる話ではありません。聴いている人に問いかけで、それぞれが考える機会を与えられるという形が多いです。
でもその時の息子さん夫婦の考えも解ります。特にちゃんとすればする程そう思えるでしょう。「お参りしていたら不幸は起きないなんて甘い甘い!」と一概に言い切ることはできません。私なりに色々考えていたら、「人間万事塞翁が馬」とい故事成語を思い出しました。
この話は、昔中国の北方に占いの上手な老人が住んでいました。ある時、老人の馬が胡の方へ逃げてしまった。周りの人たちが気の毒がると、老人は悲しみもせず「この事が却って良い方に転ぶかもしれませんよ」と言う。それからしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさん連れて帰ってきた。近所の人がお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言った。「この事が禍に転じるかもしれません」ほどなくして、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまった。近所の人たちがなぐさめに行くと、老人は落ち着いた態度で、「いや、このことが幸せになるかもしれません」と言った。約1年後、胡が攻め入ってきた。若者はすべて戦いに行き、その多くが戦死したが、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずにすみ、命拾いをしたのだった・・・『運命は禍から福へ、また福から禍へ変わるもの。幸不幸に定まりはない』・・・という意味です。
私なんか何か起きたら、この老人のように落ち着いて考えることはできないでしょう。でもお話を聴くことで、少しでも自分の物差しを変えていく事ができるのではないか、そんな気持ちをもってお寺さんへ伺っています。
2010年1月11日 10:43 | カテゴリー: 午後のティータイム(私の思い) | コメント(3) | トラックバック(0)
コメント
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