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    <title>五大かわら版ブログ</title>
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    <title>人間万事塞翁が馬</title>
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    <published>2010-01-11T01:43:05Z</published>
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        <![CDATA[<p>昨日あるお寺で新年の会があり、前住職の法話を聴きました。その中に印象深い内容がありました。ある信心のあるあばあさんのお話で、その方のお家では毎日家族揃ってお経を掲げ、お寺さんがみえた時も家族全員でお説教を聴かれていました。そんな中で１５才になるお孫さんが急逝しました。それも自ら命を絶ったそうです。息子夫婦は「これだけ家族みんなでお経もあげちゃんとしていたのにこんな事が・・・。もう信仰なんて信じれない！」と言って、一切しなくなりました。初めおばあさんが勧めて始めたものです。でもおばあさんも何も言い換えす事はできなかったというお話です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この結論はなかったように思います。えてして、真宗では戒律的なものはなく、その後このようにしてチャンチャン、めでたしめでたしと終わる話ではありません。聴いている人に問いかけで、それぞれが考える機会を与えられるという形が多いです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>でもその時の息子さん夫婦の考えも解ります。特にちゃんとすればする程そう思えるでしょう。「お参りしていたら不幸は起きないなんて甘い甘い！」と一概に言い切ることはできません。私なりに色々考えていたら、「人間万事塞翁が馬」とい故事成語を思い出しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この話は、昔中国の北方に占いの上手な老人が住んでいました。ある時、老人の馬が胡の方へ逃げてしまった。周りの人たちが気の毒がると、老人は悲しみもせず「この事が却って良い方に転ぶかもしれませんよ」と言う。それからしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさん連れて帰ってきた。近所の人がお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言った。「この事が禍に転じるかもしれません」ほどなくして、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまった。近所の人たちがなぐさめに行くと、老人は落ち着いた態度で、「いや、このことが幸せになるかもしれません」と言った。約１年後、胡が攻め入ってきた。若者はすべて戦いに行き、その多くが戦死したが、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずにすみ、命拾いをしたのだった・・・『運命は禍から福へ、また福から禍へ変わるもの。幸不幸に定まりはない』・・・という意味です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私なんか何か起きたら、この老人のように落ち着いて考えることはできないでしょう。でもお話を聴くことで、少しでも自分の物差しを変えていく事ができるのではないか、そんな気持ちをもってお寺さんへ伺っています。</p>]]>
        
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    <title>大した事じゃありません</title>
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    <published>2010-01-09T01:23:35Z</published>
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    <summary>人は金儲けや遊ぶ時はどんなに忙しくても文句言いませんが、ボランティアになると何か...</summary>
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        <![CDATA[<p>人は金儲けや遊ぶ時はどんなに忙しくても文句言いませんが、ボランティアになると何かと言う事が多いです。自分がトップの立場にいるから何にも思わず出来るのかもしれませんが、私はこんな時お寺で知り合ったＳ子さんの話を思い出します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１２月の報恩講前にみんなで別院のお掃除をしました。枯葉を掃きながら、まだ葉の残っている木を眺めて、「せっかく掃除しても明日はまた落ち葉いっぱいかな？」（私）　「何言うとんの！葉が落ちるから、私ら掃除させてもらえるんよ」（Ｓ子さん）　「ええ～っ？」（私）　　「葉を集めてくれるのは、箒やし」（Ｓ子さん）　「箒動かしているのは私たちです」（私）　　「あんたは分かっとらんね。マメやでやれるの。やらしてもらえるの」（Ｓ子さん）「・・・・・（多少納得）」（私）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このＳ子さんには、本当に学ぶ事が多いです。報恩講の４日間は、３泊詰め所に泊まりです。朝６時半頃行っても、もう泊まりの方４，５人で、本堂の階段拭いたり、境内の掃き掃除、最終日には「楽しかったな～。帰ったらお父さんにありがとうって言おや。又来年も来たいから・・・」　　　Ｓ子さんは７０才前、きれいで肌もツヤツヤ、声も元気いいです。でも腰がくの字に曲がってます。農作業の毎日だからでしょう。でもＳ子さんは言います。「腰が曲がって痛くて辛い事もあったけど、いろいろ見せてもらえた。何１つ無駄なことはない。感謝せんとね」（笑）　この人と知り合えた事だけでもお寺に関係しててよかったと思いました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>なかなかこんな風にはなれません。でも最近心掛けている事は、何か面倒な事をしなきゃいけない時、ちょっと心配事があった時、「たいした事じゃない」と自分に言ってます。これは何かの本で読んだのですが、森繁久彌さんは、インタビューなどで自分の事を話した後に、「大した事じゃありません」と言うのが、口癖だったそうです。過去の事は案外言いやすいかもしれませんが、私はこの言葉に引かれました。以前にもお話しましたが、自分で自分の振り子を振らないという事と同じです。２０００㍍の山と２００㍍の山を登る時って、身構え方違いますよね。でも初めの一歩は同じなんです。ワーワー言わずサラッとやりたい・・・でもこれは私のやり方です。</p>
<p>そして人それぞれです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
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    <title>年頭にあたって</title>
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    <published>2010-01-05T11:26:17Z</published>
    <updated>2010-01-05T11:43:08Z</updated>

    <summary>早、年が明けて５日が過ぎました。アッという間の年末年始でした。でもこのお正月は思...</summary>
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        <![CDATA[<p>早、年が明けて５日が過ぎました。アッという間の年末年始でした。でもこのお正月は思い出に残るでしょう。昨年結婚した次男夫婦が３０日から４日間帰省しました。そして元旦の夕食は、娘夫婦も揃って全員集合となりました。両親、私たち夫婦、そして長男の９名です。一人っ子の私には、こうやって子供が結婚して家族が増えていく事は、本当に幸せです。兄弟も義理の仲ながら段々親しくなっていく様子を見るのは嬉しいものです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>食事をしながら１人１人眺めました。今はみんな幸せですが、長い一生の中では色んな事が起こるでしょう。病気になったり、経済的にこまったり、夫婦仲がおかしくなったり・・・多分色々出てくると思います。そんな事を思っていたら、祖母の話をフッと思い出しました。祖母は１０人の子持ちでした。「子供が１０人いたら、嬉しい事も１０人分、でも辛い事も１０人分、いや、それ以上かな・・・？」　　いい事も悪い事も全部ひっくるめて受け入れるー家族が増えるという事は自分の懐を大きくさせていく努力がいるように思います。見守ったり、手を差し伸べたり・・・</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>かけがえのない子供たちに私のできる事は何かなと考えてみました。３０才を越した子供たちには、手をかす事よりも、私自身が徳を積む事だと思いました。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>一期一会</title>
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    <published>2009-12-17T08:04:14Z</published>
    <updated>2009-12-17T08:25:55Z</updated>

    <summary>先日歌舞伎座へ行った時のことです。その日の席は、２階の桟敷席、前から５番目の真横...</summary>
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        <![CDATA[<p>先日歌舞伎座へ行った時のことです。その日の席は、２階の桟敷席、前から５番目の真横です。役者さんの表情もよく見えますし、舞台を上からみることで、奥までよく見えます。回り舞台の時は本当におもいろいです。靴を脱いで、堀炬燵のようになっていて（暖房はありません）カウンターのようにテーブルもついてます。そこにプログラムやお茶、眼鏡やオペラグラスを置いて、ゆっくり観れます。私はそんな席が初めてで、思わず隣りの方に「この席面白いですね」と声をかけました。お一人でいらっしゃって、群馬からみえたそうです。ご覧なって感激して涙ぐんだり、歌舞伎は結構お好きそうです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>幕間もその席でお弁当食べながら、「いつもどうやってチケット取ってますか？」から、ご贔屓の役者さんや好きな演目の話、最近観たお芝居の話・・・、そして　「来月は久しぶりに友達と来ますが、好みも色々ですから一人がいいです」と言われました。私も全く同感なので　「私もそうですよ」　って相づちを打ちます。幕間の時間があっという間に過ぎました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その方はお都合で、最後のお芝居の途中で帰られました。が、帰られる時握手した手を、何度も何度もにぎり返されました。お名前も連絡先もお互いに何もききません。でも、またお会いできるかもしれませんね・・・そんな思いが感じられました。同じ趣味で、楽しいおしゃべりができた、この場で、このひとときに・・・これが本当の　『一期一会』　ですね。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p>]]>
        
    </content>
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    <title>「てんてこ舞い」はいけません！</title>
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    <published>2009-12-14T00:39:14Z</published>
    <updated>2009-12-17T08:03:01Z</updated>

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        <![CDATA[<p>随分前の話ですが、私が気ぜわしく掃除機をかけている様子を見ていた娘が、「掃除機はね、ゆっくりかけた方がちゃんと吸ってくれるよ」と言いいました。確かにそう・・・。そして何度も動かしている方が疲れます。効果的なやり方とは見た目と違う時もあるってことです。考えてみれば、雑巾がけもそうです。ゆっくり力入れて拭いた方が確実によごれが取れます。ゆっくり拭けばすみも拭けて、丸く拭くことはありません。何度もいうようですが、体の消耗も少ないです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最近、例えばしなきゃいけない事が５つあったとしても、優先順位は〆切順、１つ片づいたら次を始める、一点集中型でやるようにしてます。あれもこれもと思い出したら、大して進んでないのに気ばかりあせって、思った程はかどっていないことって多いです。又、この時間までにこれをすると目算つけたら焦らない。手は２本しかないんだから、それに集中する。時間を気にしたりしない。集中力です。こういう時って案外できる、間に合うものなんです。だから１つやっている時は他の事はできるだけ考えない、ゆっくり扱う掃除機と同じです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そう考えると思い当たることは色々あります。お寺さんの行事の時のお手伝いを何人かの人としている時でも、気ぜわしくバタバタ動いている人が時々みえます。１つ２つの洗い物を何度も行き来してやっているとか。確かにお手伝いの時って、ボーっとしているといけないという思いはみんなにありますが、一人バタバタすると、みんなが何かしなきゃ・・・と思って、余分に疲れるような気がします。ゆったりの人が揃っている時は、何か疲れ方が違うようです。多分家でもこんな風にシャキシャキとは動いていないと思いますが、おおぜい人がいると最高の自分を出そうと、無意識の内に頑張ってしまうんですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私という道具をいかに効率的に使えるかは、案外ゆっくり、でも確実にやる事のような気がします。若い頃は気持ちと体の動きが合わさっています。でも段々、気は急いても体が・・・という事ありません？よく電卓でも慣れてくると手早く指を動かす快感ってあります。でも３回して３回とも金額が違っていることもあります。それより、ゆっくり確実にやった方がピッタリ！・・・「てんてこ舞い」はいけません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これって、所作だけでなく、生き方に繋がるような気がしませんか？</p>]]>
        
    </content>
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    <title>老いを見る</title>
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    <published>2009-11-28T00:29:32Z</published>
    <updated>2009-11-28T00:51:33Z</updated>

    <summary>昨日母が玄関先で転倒しました。幸いどこもケガはありませんでしたが、本人は非常にパ...</summary>
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        <![CDATA[<p>昨日母が玄関先で転倒しました。幸いどこもケガはありませんでしたが、本人は非常にパニクリました。転んだまま、うつ伏せ状態で、手足をバタバタさせ、どう起きあがっていいか解らないし腕に力もはいらない。父と２人で部屋へ抱きかかえて、しばらく安静にさせたら、又じっくり起きあがって、そこで昼食をとりました。食欲は変わらない（これが又私には？）　その後も立ち上がるのにも時間がかかり、腕をもって部屋へ連れて行きました。その後もトロトロ眠ってばかりで、夕方もちょっと顔がむくれているし、しゃべり方もノロノロして聞こえす。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今まで母は症状以上にオーバーに私たちに訴えていたので、「また～」とか「大げさ！できるできる」と言って接してきました。でも昨日の出来事は「こうやって、１つずつできなくなっていくんだ」ということを痛感ましした。何か病気を持っている場合の方が、やむおえないと受け止めれるかもしれません。多分本人もこんな事がある度にどうなっていくのだろう・・・という不安がいっぱいだと思います。でもこういう事にも慣れて対処していくことが、老いを看取るということなのでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>先日７０才前後の３組の夫婦とおしゃべりしていた時、いつ死んでも悔いはないとか、病気になったらコロッと死ねると皆さん思ったいます。偶然その３組とも新家さんで年寄りと生活をした経験のない人でした。この人たちが母のような状態になった時何を思うか・・・？その時、日々老いていく姿を見、世話をした経験というのは、自分自身の生き方にも無駄にはならないと改めて確信しました。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>夫婦の行く末</title>
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    <published>2009-11-23T02:50:19Z</published>
    <updated>2009-11-23T05:03:34Z</updated>

    <summary>裏の堀沿いの遊歩道を毎日散歩する年配のご夫妻がいます。２人とも８０代でしょう。杖...</summary>
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        <![CDATA[<p>裏の堀沿いの遊歩道を毎日散歩する年配のご夫妻がいます。２人とも８０代でしょう。杖をついて足の悪い奥さんの歩調に合わせてゆっくり歩き、いつも同じベンチでひと休み。楽しそうにおしゃべりしてみえます。私はその姿を見る度に、ウチの両親もあんな風になってくれたらいいのにな・・・いつも思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私の両親は２人とも健在で、父は８５才、母は８４才です。父は怪物と言われるほど元気、この歳まで入院するような病気１つしたことなく、いつも趣味や役職で京都や東京へも行きます。母も病気はないんですが、老衰からくる症状を病気と思い、１日に１０回は熱を計りやれ風邪だ熱が背中に回ったと、我慢のない人です。７０才過ぎまで店にいたせいか、元気でいる自分以外は認めたくない、老いを受け入れられない心が病気を作っていうように思います。自分の元気なエネルギーを少しでも母に注いでくれたらと思いますが、母も自分のことしか頭になく父にもあることないこと言うので、父もそんな母にねぎらいの言葉をかける気もないみたいです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「死」という別れはすべてを美しい想い出にしてくれます。許せます。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　よく敬老の日に夫婦揃って長生きしていると、なんておめでたいと世間さんは言いますが、あれは現実を知らない人の言葉です。（先述のご夫婦のようなパターンもありますが・・・）　何故、ウチの両親が仲睦まじくなれないのか・・・考えてみました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>夫婦の会話が少なかったせいだと思います。本当に２人向き合っていなかったと思います。５０年以上一緒に商売をしてきたし家族も多かったので、とりあえずは賑やかな家族でした。両親も仲良くしていました。でも心の話はしていなかったように思います。自分たちが隠居できる年代になった時、自分はこう思っている。おもえはどうなんや？・・・そんな会話はなかったでしょう。又、そういう話を真剣に話せるタイプの母ではありませんでした。深く考えるクセが母にはありませんでした。６５才で商売を引退し自分の趣味の道を見つけた父と、７０才過ぎまで店が唯一の生きがいという母は段々離れていきました。（真の会話がないままという事です）・・・その夫婦のなれの果てが、今の両親の姿です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>やはり夫婦の生き方に関わる話は６０才近くなったら絶対必要です。女性は言いにくい場合もあるかもしれませんが、しっかり考えちゃんと話すべきです。最後の幕をどのように生きたいか話し合う、時には訂正があってもいいでしょう。それが歩み寄りです。昨日１１月２２日は「いい夫婦の日」です。秋の夜長、美味しいお茶でもいれて、ゆっくりおしゃべりタイムです。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>「心の元気塾」での話です。</title>
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    <published>2009-09-28T08:52:10Z</published>
    <updated>2009-09-28T09:35:06Z</updated>

    <summary>今月も２６日にありました。「歎異抄」についてお話伺ったり、色々たずねたりしていま...</summary>
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        <![CDATA[<p>今月も２６日にありました。「歎異抄」についてお話伺ったり、色々たずねたりしています。</p>
<p>話が少しそれて、歎異抄９章で弟子の唯円が親鸞に「念仏をしておりましても、心が躍り上がるような嬉しさをおぼえない時がございます・・・・」と質問をしたら、親鸞が「そうか。唯円、そなたもそうであったか。この親鸞もおなじことを感じて、ふしぎに思うことがあったのだよ」と言っている一節があります。その話を例にとって、講師の先生が「念仏をいただく姿」について話されました。</p>
<p>法話を聞く時の主人公は講師じゃなく聞いている私自身。聞いている人に一言でも心に響く話があったらそれでよし。ウトウト眠くなって何にも覚えてない時は聞かなくていい時なのです。それを「今日のお話は良かった（つまらなかった）、おの先生のお話はいいの悪いの、今日は人の入りが多いの少ないの、今日はあの人来てないね・・・・・・」　そんなことは関係ないと思います。　元気塾も４年目に入ってこのメンバーは古参です。もし初めての人が来て、ウロウロしていたら、「今何頁！」なんてベテランの顔したらいかんのです。</p>
<p>その中の１人が言いました。家の人に何年聞いてても変わらんな・・・て言われたと。これも法話を終身の時間と勘違いしてみえてますね。確かに私もそう思って参加していました。しっかりメモもとって、「こんな時はこうやって考えたらいいのか・・・」など学ぶ気満点でした。でも、同じような内容の話を聞いても、聞く自分自身の状態によっても受け取り方・感じ方も違うでしょう。例えば、大病したり、連れ合いをなくしたり・・・色々な状況で思い方も変わるでしょう。</p>
<p>お話を聞くご縁頂いたことで御の字。ここへ足を運ばせて頂いたもの阿弥陀さんのお力、ウトウトしたら、「まあ、寝ててもいいやろ」という仏さんの計らい、フッと目が覚めてその後のお話の一節が印象に残ったとしたら、それも仏さんが起こして下さった・・・何か自主性のない話ですが、それぐらい気負わずご縁に当たる、仏さんの計らいを素直に受ける・・・これが「念仏をいただく姿」と言うことかなとおぼろげに思いました。</p>
<p>気負って「心の元気塾」をスタートさせた私たちの何か胸のつかえがとれたようなお話でした。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>歴史を観る</title>
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    <published>2009-09-24T02:09:14Z</published>
    <updated>2009-09-24T04:51:45Z</updated>

    <summary>今大河ドラマの「天地人」が佳境に入っています。ドラマが始まった時は、上杉と言えば...</summary>
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        <![CDATA[<p>今大河ドラマの「天地人」が佳境に入っています。ドラマが始まった時は、上杉と言えば上杉謙信、直江兼次―誰？・・・といったレベルでした。前回の内容は「関ヶ原の戦い」、誰もが知っている内容です。でもそれまでの出来事の中での、石田三成の動き、家康の動き、そして何よりも関ヶ原の合戦が「天下分け目の関ヶ原」と言われるように、これが第一目的の戦いと思っていました。でもドラマでは、家康はまず上杉征伐（なぜ上杉なのかも兼次の動きなどが影響しているようですが）、それが石田三成が兵を挙げたことで急遽、いざ関ヶ原となったのです。</p>
<p>このあらすじもフィクションの部分も多いにあると思いますが、このドラマを観て、説は一通りでないなと思いました。例えば、石田三成は茶々に取り入って天下を取ろうとする卑怯なイメージがありました。家康も彼の人生、６０才頃まで忍耐の人、人生５０年と言われていた時代に６０才過ぎからの展開、エネルギーも持ち備えていたんでしょうね。伊達政宗や真田幸村との関わりもわかってきました。</p>
<p>そして通信手段が早馬しかない時代、会津で関ヶ原の合戦を知る、家康が関ヶ原にむかう・・・その通信も早いです。また、関ヶ原を２０万人ほどの人が集結して戦う場所にしようと誰が決定したのだろう？歴史って、色々な角度から見ることで一層興味深いです。</p>
<p>知り合いのご主人が子供の頃からお城を見るのが大好きという人がいます。石垣を見ただけで、「・・城」かわかるそうです。歴史の本を読むのもお好きだそうで、その知識とお城の所々に書いてある説明文を各階じっくり読むと、より歴史のスペクタルを感じるそうです。</p>
<p>私も歴史物は好きです。これから「坂の上の雲」や「坂本竜馬」のドラマも始まります。楽しみです。</p>]]>
        
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    <title>「誉める」</title>
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    <published>2009-09-21T00:56:21Z</published>
    <updated>2009-09-21T02:08:41Z</updated>

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        <![CDATA[<p>先日主人とテレビを観ていたら、たまたま５０代の女性が２０代に見える、そこにいたゲストも「うわー！」「すごい！」・・・絶賛。そんな番組をやっていました。それを観ていた主人がフッと言いました。「あんなのはいかん。自分でも美しいと自信持ちすぎ、あれであの人の成長は止まっている。中身が大事や！心が大事や！」</p>
<p>「そうやねえ～・・・」　（私）</p>
<p>「その点、アンタはいいわ」　　「はあ～？」　（私・・美とは関係ないんかい？）</p>
<p>「ジャズや歌舞伎、アルフィー・・・と、好奇心いっぱい。料理もうまいし、愛嬌満点！」</p>
<p>何かと比べられて言われる時って、誉められているのか、けなされているのか分かりません。でも悪い気はしません。これだなと思いました。</p>
<p>先日も嫁いだ娘と話す機会がありました。彼女なりに頑張っているし多少の苦労もしている。話を聞いて、それは間違ってるとか、それは正しい・・・とか言うのも、実際の状況を知らない私がとやかく口出すことではないと思います。それよりも、彼女のいい所を言い続けることだなと、主人の話を聞いて思いました。「頑張れ！」というのも、頑張っている人には逆に重荷になります。</p>
<p>「励ます」というのは、言っている自分が心地よくなっていてはいけないと思います。相手の心の置き所をちゃんと見て、その時々に応じて適量の誉め言葉・・・そんな才覚がいるんですね。</p>]]>
        
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    <title>幕の閉じ方</title>
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    <published>2009-09-20T01:16:36Z</published>
    <updated>2009-09-20T08:38:50Z</updated>

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        <![CDATA[<p>これは人生の幕を閉じる（＝死）事ではありません。でも老いていく内に１つずつ出来なくなってくることが出てきます。「出来なくなる→やめる→幕を引く」ということですが、それをいつ、自分が引くかです。</p>
<p>私の回りには人生の先輩がたくさんいます。元気な人が多いです。「生涯現役！」と言って、バリバリ仕事している人もいます。でも生涯現役のままでコロッと死ねる人はひと握り。ほとんどの人には、長い長いとてつもなく単純な毎日が待ってます。それは、７０才頃のバリバリの自分と比較して、情けなくって寂しくて・・・こんな思いが波のように時々押し寄せ、自分でどうしようもないくらい落ち込んでしまうのです。</p>
<p>ではそうならないために、どうしたらいいか？・・・自分の幕は自分で引くのです。それも少し早めに。回りが「何言うの？まだまだ元気やない。もっと頑張ってもらわんと―」。そんな甘い言葉に「そう・・・？」とご満悦になってはいけません。「いいや、今が引き時。後は頼みます。」と颯爽と引くのです。</p>
<p>これは仕事ばかりではありません。主婦の座を嫁に譲る、よく行った海外旅行も「これは回りの人に迷惑をかける、足手まといになる」と思った時が引き時です。見渡せばいっぱいあります。</p>
<p>そんな事したら却って寂しくなって元気なくしそう・・・そう思う人は今にしがみつき過ぎです。今の状態にしか幸せを感じられない。もうすぐ「あれもできない」「これもできない」という自分がやって来ることに直視していない人です。自分から幕を引けないということは、回りに言われて引くか、出来ない状態（体調）になって引く―こんな人が前述のみじめな波が押し寄せてくるのです。</p>
<p>自分から引きましょう。今やっていることなら当分出来るでしょう。でも先の事を考えたら、これも始めな・あれも始めな・・・冬眠の準備をする動物のように、老いの仕度を始めないといけません。３年後・５年後・１０年後・・・その時になって出来ることと出来ないことをちゃんと選択して、何をしている時自分が生き生きしているか、しっかりシミュレーション持って、卒業とスタートを見きわめる事です。思い描いた通りにならないかもしれません。例えば病気になったりして・・・でも、常にこんな事を考えている人なら、何か新しい道が開けてきます。バイパスのように。でも、何も先の事を考えないと、そのアイデアも浮かびません。先にあるのは「嘆き」だけです。</p>
<p>「還暦」とは、上手く作ったなと感心します。もう一度スタート台に立たせてもらえるチャンスです。「第二の人生」って、意外に長いと思います。</p>]]>
        
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    <title>土を木を愛おしむ</title>
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    <published>2009-09-17T07:59:40Z</published>
    <updated>2009-09-17T12:59:00Z</updated>

    <summary>今日は別院婦人会で、彼岸前の桑名別院のお掃除を２５名程集まって行いました。正直私...</summary>
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        <![CDATA[<p>今日は別院婦人会で、彼岸前の桑名別院のお掃除を２５名程集まって行いました。正直私自身あまりお寺さんのお掃除に参加していません。でも黙々と本堂の濡れ縁や桟、てすりや雨戸を５、６人で拭きました。誰かが言いました。「無垢の木を拭くことも最近はないよね」・・・古い古い木です。あんまり雑巾を固く絞るとすぐにカスカスになります。じっくり木を見ながら拭いていると、痩せている木から長い歴史を感じます。私の祖母も別院婦人会に入っていました。「何十年前、おばあさんもここを拭いていたのかな？」・・・そんな事を考えると、掃除が楽しくなってきました。</p>
<p>境内や書院の庭などの草取りにも皆さん余念がありません。私も後半は草取り。見ていると農家の人の草取りって、ホントにきれいに取るのです。それが、ただ雑草を取るという感じでなく、土を大切にしたいから、要らない草をとる、土との向かい方が違うように見えます。何十年も畑で土を相手に黙々と農作業してきた、お母さんたちの生業、プロの姿勢です。そんなことを感じると、草取りが楽しくなってきました。</p>
<p>間でお茶とお菓子で一服しましたが、１時間半もすると本当にきれいになりました。やはり仕事は大勢です。５０代～８０代の人が、自分の体調に合わせて一心にお寺のお掃除。帰りがけに「あー、きれいになったね。気持ちもええわ！」　その場に居た人の同感という表情が印象的でした。</p>
<p>私も思いました。もちろんお掃除したことが、スッキリ感につながると思いますが、本堂の縁を拭きながら木を愛おしむ、草取りしながら土を愛おしむ・・・これが本来の生活のベースであり、健康に続くんだと。今度は報恩講さんの前にもやろうということになりました。この輪も少しずつ拡がっていったらな・・・</p>]]>
        
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    <title>陶芸初体験</title>
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    <published>2009-09-16T14:55:15Z</published>
    <updated>2009-09-16T15:25:07Z</updated>

    <summary>今年結婚した娘のダンナさんが陶芸家というご縁から、私も６月から仲間を集めて月に１...</summary>
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        <![CDATA[<p>今年結婚した娘のダンナさんが陶芸家というご縁から、私も６月から仲間を集めて月に１・２回陶芸を始めるようになりました。工房が四日市郊外の坂部という所にあって、周りに木が生い茂って民家が見えず、初めて伺った時は、梅雨の雨上がりで緑が鮮やか、紫陽花も満開で、そこに来ただけで気持ちまで爽やかになる感じでした。</p>
<p>陶芸は初体験。初っぱなから、ろくろに挑戦です。見ているといとも簡単に出来上がりますが、見るとするでは大違い！自分の重心がちゃんとろくろの真正面にきていないと、回りながら形は段々変形していったり、円盤のように飛んでいったりします。失敗をしながら何度も挑戦、自然と真正面に重心を置き、薄くするための指の力の入れ方にも細心の注意を払います。こんな時って、本当に無心になれるのですね。そして、ろくろは私が力を入れた通りの形を作っていきます。大きくしたり、お皿のように広げたり、薄くしたり・・・こちらの意のままに形作られるろくろにも感激します。</p>
<p>もう１つ、土をいじっている感触、子供がどろんこ遊びが大好きな気持ち解る気がします。土って、「土から芽が出る」とか「土に帰る」とか・・・ベースなんですよ。その土に触れていると心が安まる様な気がします。ホッとする温かさがあるのです。</p>
<p>先日は「たたら作り」という製法をやりました。色の違う２種類の土をマーブル状にこねて、丸や四角の固まりを作って、食パンを切るように同じ厚さに切り、型で深さの丸みを作ったり。これはこれで、ろくろのような緊張感はありませんが、土いじりを楽しむ感覚です。</p>
<p>つくづくご縁の不思議さを感じます。娘が彼と結婚しなかったら、私もこんな風に陶芸を楽しむ機会はなかったでしょう。親しい仲間と陶芸を通じて輪が広がっていく楽しさに出会うこともなかったでしょう。</p>
<p>　　『Ｅｎｊｏｙ　ｍｙ　ｌｉｆｅ！』　です。</p>]]>
        
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    <title>歎異抄拝読</title>
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    <published>2009-09-15T13:12:12Z</published>
    <updated>2009-09-15T13:57:27Z</updated>

    <summary>今月の初め、市内にある法盛寺さんの夏期大学で歎異抄拝読という役を仰せつかりました...</summary>
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        <![CDATA[<p>今月の初め、市内にある法盛寺さんの夏期大学で歎異抄拝読という役を仰せつかりました。今年で３９回目という夏期大学、ご法話の始まる前と終わった後、それぞれ１名ずつ、歎異抄の中から自分が選んだ章を阿弥陀さまの前で拝読するというものです。</p>
<p>それまで「歎異抄」そのものは知っていました。親鸞聖人の教えを弟子の唯円が書き綴ったと云われるものです。でも古典に弱い私はそれを解説された文でさえ理解しづらく、なかなか手に取る機会はありませんでした。</p>
<p>でもこのお役を引き受け手から、まずどの章を読むか決めなくてはなりません。一番短い文章をとも思いましたが、それではおまりにも能なしで、やはり内容が共感できるものにしようと、まず五木寛之の「私訳歎異抄」を買ってきて読み、第１章に決めました。</p>
<p>偶然にも、毎月行っている「心の元気塾」でも７月から歎異抄の勉強を始めており、８月には第１章をバッチリ勉強した後でしたので内容も把握できました。舌を噛みそうな古文も１ヶ月以上毎日読んでいたら、案外スラスラと読めるようになりました。</p>
<p>当日、仲間のコーラスをバックに阿弥陀さまの前に進みます。普段本堂の阿弥陀さまのあるお内陣はお寺さん以外は足を踏み込んではいけない場所です。私たち業者のものが上がる時も、勝手には入ってはいけない聖域です。そこにしずしずと進み、合掌礼拝して歎異抄の拝読・・・失敗せず読み終えた安堵感とその内陣にいる自分・・・何とも言えない幸せな一時でした。</p>
<p>拝読をお願いされた時は、「ええーっ？面倒だな・・・」と内心思いましたが、何でもやるものです。ご縁あることは受けて立つことです。もちろんその為の練習も必要です。でも、だから得られる達成感・思いの充実感、これは本当にいただくものじゃなく、いただけたものです。これからも、１つ１つご縁を大切に生きていきたいと思いました。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>足るを知る</title>
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    <published>2009-09-12T00:31:05Z</published>
    <updated>2009-09-12T05:02:47Z</updated>

    <summary>数日前も母が「背中を痛い、今日が一番痛い！」と日々更新。医者からも病気でなく仕方...</summary>
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        <name>株式会社五大</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.magokoro-godai.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>数日前も母が「背中を痛い、今日が一番痛い！」と日々更新。医者からも病気でなく仕方がないと言われます。母も我慢ができない性分。父や私は又かと、狼少年を見るような感じです。</p>
<p>たまたまそこに居合わせた息子がその様子見て言いました。「僕らだって、一日寝ていたら背中は痛い。運動不足もあるぞ。見てみい、おばあの知り合いの××さんや××さん、手押し車や杖ついてでも三八にはちゃんと出てきとるぞ。えらても一人暮らしやから買い物も必要やし・・・でもだから元気なのかもしれん。おばあももう一回全部自分でやってみるか？」　　（母）「そんなんかなわん。いや」　（息子）「なあ、だったら、おばあはこうやってご飯用意も洗濯もしてもらえる、そして痛いと言える家族が一緒に居る。その事に感謝しよ。やってもらえるから運動不足もあって痛いかもしれん。痛いと感じる時は、『幸せなんや』『幸せなんや』と思い方を変えてみよ」</p>
<p>これには母も納得。聞いていた父や私も妙に納得しました。「こんなに言うてくれるのも孫なればこそ」・・・涙さえ浮かべていました。でもその翌朝には「点滴うちに行く。楽になるかもしれん」・・・　　心に何も引っかからない母です。</p>
<p>「足るを知る」とは難しいことです。こう思うのは当たり前、普通やろー母に限りません。先日聴いた法話でこんな一文がありました。</p>
<p>　　『ちょうど良い』　（真宗入門）</p>
<p>　　　　お前はお前でちょうどよい　　　顔も体も名前も姓も　　　お前にそれはちょうどよい。　</p>
<p>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 貧も富も親も子も息子の嫁も　　　その孫もそれはお前にちょうどよい。　</p>
<p>　　　 幸も不幸もよろこびも　　　悲しみさえもちょうどよい。　</p>
<p>　　　 歩いたお前の人生は　　　悪くもなければよくもない　　　お前にそれはちょうどよい。</p>
<p>　　　 地獄へ行こうと極楽へいこうと　　　行ったところが、ちょうどよい。　　</p>
<p>　　　 うぬぼれる要もなく、卑下する要もない　　　上になければ下もない　　　</p>
<p>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 死ぬ日月さへもちょうどよい。　　　仏さまと二人つれの人生　　　ちょうどよくないはずがない。</p>
<p>　　　 これでよかったと、いただけた時　　　臆念の信が開かれます。&nbsp;&nbsp; （前田五郎松）　　　　　　　　　　　　</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p>]]>
        
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