午後のティータイム(私の思い)

人間万事塞翁が馬

昨日あるお寺で新年の会があり、前住職の法話を聴きました。その中に印象深い内容がありました。ある信心のあるあばあさんのお話で、その方のお家では毎日家族揃ってお経を掲げ、お寺さんがみえた時も家族全員でお説教を聴かれていました。そんな中で15才になるお孫さんが急逝しました。それも自ら命を絶ったそうです。息子夫婦は「これだけ家族みんなでお経もあげちゃんとしていたのにこんな事が・・・。もう信仰なんて信じれない!」と言って、一切しなくなりました。初めおばあさんが勧めて始めたものです。でもおばあさんも何も言い換えす事はできなかったというお話です。

 

この結論はなかったように思います。えてして、真宗では戒律的なものはなく、その後このようにしてチャンチャン、めでたしめでたしと終わる話ではありません。聴いている人に問いかけで、それぞれが考える機会を与えられるという形が多いです。

 

でもその時の息子さん夫婦の考えも解ります。特にちゃんとすればする程そう思えるでしょう。「お参りしていたら不幸は起きないなんて甘い甘い!」と一概に言い切ることはできません。私なりに色々考えていたら、「人間万事塞翁が馬」とい故事成語を思い出しました。

 

この話は、昔中国の北方に占いの上手な老人が住んでいました。ある時、老人の馬が胡の方へ逃げてしまった。周りの人たちが気の毒がると、老人は悲しみもせず「この事が却って良い方に転ぶかもしれませんよ」と言う。それからしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさん連れて帰ってきた。近所の人がお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言った。「この事が禍に転じるかもしれません」ほどなくして、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまった。近所の人たちがなぐさめに行くと、老人は落ち着いた態度で、「いや、このことが幸せになるかもしれません」と言った。約1年後、胡が攻め入ってきた。若者はすべて戦いに行き、その多くが戦死したが、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずにすみ、命拾いをしたのだった・・・『運命は禍から福へ、また福から禍へ変わるもの。幸不幸に定まりはない』・・・という意味です。

 

私なんか何か起きたら、この老人のように落ち着いて考えることはできないでしょう。でもお話を聴くことで、少しでも自分の物差しを変えていく事ができるのではないか、そんな気持ちをもってお寺さんへ伺っています。

大した事じゃありません

人は金儲けや遊ぶ時はどんなに忙しくても文句言いませんが、ボランティアになると何かと言う事が多いです。自分がトップの立場にいるから何にも思わず出来るのかもしれませんが、私はこんな時お寺で知り合ったS子さんの話を思い出します。

 

12月の報恩講前にみんなで別院のお掃除をしました。枯葉を掃きながら、まだ葉の残っている木を眺めて、「せっかく掃除しても明日はまた落ち葉いっぱいかな?」(私) 「何言うとんの!葉が落ちるから、私ら掃除させてもらえるんよ」(S子さん) 「ええ~っ?」(私)  「葉を集めてくれるのは、箒やし」(S子さん) 「箒動かしているのは私たちです」(私)  「あんたは分かっとらんね。マメやでやれるの。やらしてもらえるの」(S子さん)「・・・・・(多少納得)」(私)

 

このS子さんには、本当に学ぶ事が多いです。報恩講の4日間は、3泊詰め所に泊まりです。朝6時半頃行っても、もう泊まりの方4,5人で、本堂の階段拭いたり、境内の掃き掃除、最終日には「楽しかったな~。帰ったらお父さんにありがとうって言おや。又来年も来たいから・・・」   S子さんは70才前、きれいで肌もツヤツヤ、声も元気いいです。でも腰がくの字に曲がってます。農作業の毎日だからでしょう。でもS子さんは言います。「腰が曲がって痛くて辛い事もあったけど、いろいろ見せてもらえた。何1つ無駄なことはない。感謝せんとね」(笑) この人と知り合えた事だけでもお寺に関係しててよかったと思いました。

 

なかなかこんな風にはなれません。でも最近心掛けている事は、何か面倒な事をしなきゃいけない時、ちょっと心配事があった時、「たいした事じゃない」と自分に言ってます。これは何かの本で読んだのですが、森繁久彌さんは、インタビューなどで自分の事を話した後に、「大した事じゃありません」と言うのが、口癖だったそうです。過去の事は案外言いやすいかもしれませんが、私はこの言葉に引かれました。以前にもお話しましたが、自分で自分の振り子を振らないという事と同じです。2000㍍の山と200㍍の山を登る時って、身構え方違いますよね。でも初めの一歩は同じなんです。ワーワー言わずサラッとやりたい・・・でもこれは私のやり方です。

そして人それぞれです。

 

 

年頭にあたって

早、年が明けて5日が過ぎました。アッという間の年末年始でした。でもこのお正月は思い出に残るでしょう。昨年結婚した次男夫婦が30日から4日間帰省しました。そして元旦の夕食は、娘夫婦も揃って全員集合となりました。両親、私たち夫婦、そして長男の9名です。一人っ子の私には、こうやって子供が結婚して家族が増えていく事は、本当に幸せです。兄弟も義理の仲ながら段々親しくなっていく様子を見るのは嬉しいものです。

 

食事をしながら1人1人眺めました。今はみんな幸せですが、長い一生の中では色んな事が起こるでしょう。病気になったり、経済的にこまったり、夫婦仲がおかしくなったり・・・多分色々出てくると思います。そんな事を思っていたら、祖母の話をフッと思い出しました。祖母は10人の子持ちでした。「子供が10人いたら、嬉しい事も10人分、でも辛い事も10人分、いや、それ以上かな・・・?」  いい事も悪い事も全部ひっくるめて受け入れるー家族が増えるという事は自分の懐を大きくさせていく努力がいるように思います。見守ったり、手を差し伸べたり・・・

 

かけがえのない子供たちに私のできる事は何かなと考えてみました。30才を越した子供たちには、手をかす事よりも、私自身が徳を積む事だと思いました。

一期一会

先日歌舞伎座へ行った時のことです。その日の席は、2階の桟敷席、前から5番目の真横です。役者さんの表情もよく見えますし、舞台を上からみることで、奥までよく見えます。回り舞台の時は本当におもいろいです。靴を脱いで、堀炬燵のようになっていて(暖房はありません)カウンターのようにテーブルもついてます。そこにプログラムやお茶、眼鏡やオペラグラスを置いて、ゆっくり観れます。私はそんな席が初めてで、思わず隣りの方に「この席面白いですね」と声をかけました。お一人でいらっしゃって、群馬からみえたそうです。ご覧なって感激して涙ぐんだり、歌舞伎は結構お好きそうです。

 

幕間もその席でお弁当食べながら、「いつもどうやってチケット取ってますか?」から、ご贔屓の役者さんや好きな演目の話、最近観たお芝居の話・・・、そして 「来月は久しぶりに友達と来ますが、好みも色々ですから一人がいいです」と言われました。私も全く同感なので 「私もそうですよ」 って相づちを打ちます。幕間の時間があっという間に過ぎました。

 

その方はお都合で、最後のお芝居の途中で帰られました。が、帰られる時握手した手を、何度も何度もにぎり返されました。お名前も連絡先もお互いに何もききません。でも、またお会いできるかもしれませんね・・・そんな思いが感じられました。同じ趣味で、楽しいおしゃべりができた、この場で、このひとときに・・・これが本当の 『一期一会』 ですね。                                                          

「てんてこ舞い」はいけません!

随分前の話ですが、私が気ぜわしく掃除機をかけている様子を見ていた娘が、「掃除機はね、ゆっくりかけた方がちゃんと吸ってくれるよ」と言いいました。確かにそう・・・。そして何度も動かしている方が疲れます。効果的なやり方とは見た目と違う時もあるってことです。考えてみれば、雑巾がけもそうです。ゆっくり力入れて拭いた方が確実によごれが取れます。ゆっくり拭けばすみも拭けて、丸く拭くことはありません。何度もいうようですが、体の消耗も少ないです。

 

最近、例えばしなきゃいけない事が5つあったとしても、優先順位は〆切順、1つ片づいたら次を始める、一点集中型でやるようにしてます。あれもこれもと思い出したら、大して進んでないのに気ばかりあせって、思った程はかどっていないことって多いです。又、この時間までにこれをすると目算つけたら焦らない。手は2本しかないんだから、それに集中する。時間を気にしたりしない。集中力です。こういう時って案外できる、間に合うものなんです。だから1つやっている時は他の事はできるだけ考えない、ゆっくり扱う掃除機と同じです。

 

そう考えると思い当たることは色々あります。お寺さんの行事の時のお手伝いを何人かの人としている時でも、気ぜわしくバタバタ動いている人が時々みえます。1つ2つの洗い物を何度も行き来してやっているとか。確かにお手伝いの時って、ボーっとしているといけないという思いはみんなにありますが、一人バタバタすると、みんなが何かしなきゃ・・・と思って、余分に疲れるような気がします。ゆったりの人が揃っている時は、何か疲れ方が違うようです。多分家でもこんな風にシャキシャキとは動いていないと思いますが、おおぜい人がいると最高の自分を出そうと、無意識の内に頑張ってしまうんですね。

 

私という道具をいかに効率的に使えるかは、案外ゆっくり、でも確実にやる事のような気がします。若い頃は気持ちと体の動きが合わさっています。でも段々、気は急いても体が・・・という事ありません?よく電卓でも慣れてくると手早く指を動かす快感ってあります。でも3回して3回とも金額が違っていることもあります。それより、ゆっくり確実にやった方がピッタリ!・・・「てんてこ舞い」はいけません。

 

これって、所作だけでなく、生き方に繋がるような気がしませんか?

老いを見る

昨日母が玄関先で転倒しました。幸いどこもケガはありませんでしたが、本人は非常にパニクリました。転んだまま、うつ伏せ状態で、手足をバタバタさせ、どう起きあがっていいか解らないし腕に力もはいらない。父と2人で部屋へ抱きかかえて、しばらく安静にさせたら、又じっくり起きあがって、そこで昼食をとりました。食欲は変わらない(これが又私には?) その後も立ち上がるのにも時間がかかり、腕をもって部屋へ連れて行きました。その後もトロトロ眠ってばかりで、夕方もちょっと顔がむくれているし、しゃべり方もノロノロして聞こえす。

 

今まで母は症状以上にオーバーに私たちに訴えていたので、「また~」とか「大げさ!できるできる」と言って接してきました。でも昨日の出来事は「こうやって、1つずつできなくなっていくんだ」ということを痛感ましした。何か病気を持っている場合の方が、やむおえないと受け止めれるかもしれません。多分本人もこんな事がある度にどうなっていくのだろう・・・という不安がいっぱいだと思います。でもこういう事にも慣れて対処していくことが、老いを看取るということなのでしょう。

 

先日70才前後の3組の夫婦とおしゃべりしていた時、いつ死んでも悔いはないとか、病気になったらコロッと死ねると皆さん思ったいます。偶然その3組とも新家さんで年寄りと生活をした経験のない人でした。この人たちが母のような状態になった時何を思うか・・・?その時、日々老いていく姿を見、世話をした経験というのは、自分自身の生き方にも無駄にはならないと改めて確信しました。

夫婦の行く末

裏の堀沿いの遊歩道を毎日散歩する年配のご夫妻がいます。2人とも80代でしょう。杖をついて足の悪い奥さんの歩調に合わせてゆっくり歩き、いつも同じベンチでひと休み。楽しそうにおしゃべりしてみえます。私はその姿を見る度に、ウチの両親もあんな風になってくれたらいいのにな・・・いつも思います。

 

私の両親は2人とも健在で、父は85才、母は84才です。父は怪物と言われるほど元気、この歳まで入院するような病気1つしたことなく、いつも趣味や役職で京都や東京へも行きます。母も病気はないんですが、老衰からくる症状を病気と思い、1日に10回は熱を計りやれ風邪だ熱が背中に回ったと、我慢のない人です。70才過ぎまで店にいたせいか、元気でいる自分以外は認めたくない、老いを受け入れられない心が病気を作っていうように思います。自分の元気なエネルギーを少しでも母に注いでくれたらと思いますが、母も自分のことしか頭になく父にもあることないこと言うので、父もそんな母にねぎらいの言葉をかける気もないみたいです。

 

「死」という別れはすべてを美しい想い出にしてくれます。許せます。                       よく敬老の日に夫婦揃って長生きしていると、なんておめでたいと世間さんは言いますが、あれは現実を知らない人の言葉です。(先述のご夫婦のようなパターンもありますが・・・) 何故、ウチの両親が仲睦まじくなれないのか・・・考えてみました。

 

夫婦の会話が少なかったせいだと思います。本当に2人向き合っていなかったと思います。50年以上一緒に商売をしてきたし家族も多かったので、とりあえずは賑やかな家族でした。両親も仲良くしていました。でも心の話はしていなかったように思います。自分たちが隠居できる年代になった時、自分はこう思っている。おもえはどうなんや?・・・そんな会話はなかったでしょう。又、そういう話を真剣に話せるタイプの母ではありませんでした。深く考えるクセが母にはありませんでした。65才で商売を引退し自分の趣味の道を見つけた父と、70才過ぎまで店が唯一の生きがいという母は段々離れていきました。(真の会話がないままという事です)・・・その夫婦のなれの果てが、今の両親の姿です。

 

やはり夫婦の生き方に関わる話は60才近くなったら絶対必要です。女性は言いにくい場合もあるかもしれませんが、しっかり考えちゃんと話すべきです。最後の幕をどのように生きたいか話し合う、時には訂正があってもいいでしょう。それが歩み寄りです。昨日11月22日は「いい夫婦の日」です。秋の夜長、美味しいお茶でもいれて、ゆっくりおしゃべりタイムです。

「心の元気塾」での話です。

今月も26日にありました。「歎異抄」についてお話伺ったり、色々たずねたりしています。

話が少しそれて、歎異抄9章で弟子の唯円が親鸞に「念仏をしておりましても、心が躍り上がるような嬉しさをおぼえない時がございます・・・・」と質問をしたら、親鸞が「そうか。唯円、そなたもそうであったか。この親鸞もおなじことを感じて、ふしぎに思うことがあったのだよ」と言っている一節があります。その話を例にとって、講師の先生が「念仏をいただく姿」について話されました。

法話を聞く時の主人公は講師じゃなく聞いている私自身。聞いている人に一言でも心に響く話があったらそれでよし。ウトウト眠くなって何にも覚えてない時は聞かなくていい時なのです。それを「今日のお話は良かった(つまらなかった)、おの先生のお話はいいの悪いの、今日は人の入りが多いの少ないの、今日はあの人来てないね・・・・・・」 そんなことは関係ないと思います。 元気塾も4年目に入ってこのメンバーは古参です。もし初めての人が来て、ウロウロしていたら、「今何頁!」なんてベテランの顔したらいかんのです。

その中の1人が言いました。家の人に何年聞いてても変わらんな・・・て言われたと。これも法話を終身の時間と勘違いしてみえてますね。確かに私もそう思って参加していました。しっかりメモもとって、「こんな時はこうやって考えたらいいのか・・・」など学ぶ気満点でした。でも、同じような内容の話を聞いても、聞く自分自身の状態によっても受け取り方・感じ方も違うでしょう。例えば、大病したり、連れ合いをなくしたり・・・色々な状況で思い方も変わるでしょう。

お話を聞くご縁頂いたことで御の字。ここへ足を運ばせて頂いたもの阿弥陀さんのお力、ウトウトしたら、「まあ、寝ててもいいやろ」という仏さんの計らい、フッと目が覚めてその後のお話の一節が印象に残ったとしたら、それも仏さんが起こして下さった・・・何か自主性のない話ですが、それぐらい気負わずご縁に当たる、仏さんの計らいを素直に受ける・・・これが「念仏をいただく姿」と言うことかなとおぼろげに思いました。

気負って「心の元気塾」をスタートさせた私たちの何か胸のつかえがとれたようなお話でした。

「誉める」

先日主人とテレビを観ていたら、たまたま50代の女性が20代に見える、そこにいたゲストも「うわー!」「すごい!」・・・絶賛。そんな番組をやっていました。それを観ていた主人がフッと言いました。「あんなのはいかん。自分でも美しいと自信持ちすぎ、あれであの人の成長は止まっている。中身が大事や!心が大事や!」

「そうやねえ~・・・」 (私)

「その点、アンタはいいわ」  「はあ~?」 (私・・美とは関係ないんかい?)

「ジャズや歌舞伎、アルフィー・・・と、好奇心いっぱい。料理もうまいし、愛嬌満点!」

何かと比べられて言われる時って、誉められているのか、けなされているのか分かりません。でも悪い気はしません。これだなと思いました。

先日も嫁いだ娘と話す機会がありました。彼女なりに頑張っているし多少の苦労もしている。話を聞いて、それは間違ってるとか、それは正しい・・・とか言うのも、実際の状況を知らない私がとやかく口出すことではないと思います。それよりも、彼女のいい所を言い続けることだなと、主人の話を聞いて思いました。「頑張れ!」というのも、頑張っている人には逆に重荷になります。

「励ます」というのは、言っている自分が心地よくなっていてはいけないと思います。相手の心の置き所をちゃんと見て、その時々に応じて適量の誉め言葉・・・そんな才覚がいるんですね。

幕の閉じ方

これは人生の幕を閉じる(=死)事ではありません。でも老いていく内に1つずつ出来なくなってくることが出てきます。「出来なくなる→やめる→幕を引く」ということですが、それをいつ、自分が引くかです。

私の回りには人生の先輩がたくさんいます。元気な人が多いです。「生涯現役!」と言って、バリバリ仕事している人もいます。でも生涯現役のままでコロッと死ねる人はひと握り。ほとんどの人には、長い長いとてつもなく単純な毎日が待ってます。それは、70才頃のバリバリの自分と比較して、情けなくって寂しくて・・・こんな思いが波のように時々押し寄せ、自分でどうしようもないくらい落ち込んでしまうのです。

ではそうならないために、どうしたらいいか?・・・自分の幕は自分で引くのです。それも少し早めに。回りが「何言うの?まだまだ元気やない。もっと頑張ってもらわんと―」。そんな甘い言葉に「そう・・・?」とご満悦になってはいけません。「いいや、今が引き時。後は頼みます。」と颯爽と引くのです。

これは仕事ばかりではありません。主婦の座を嫁に譲る、よく行った海外旅行も「これは回りの人に迷惑をかける、足手まといになる」と思った時が引き時です。見渡せばいっぱいあります。

そんな事したら却って寂しくなって元気なくしそう・・・そう思う人は今にしがみつき過ぎです。今の状態にしか幸せを感じられない。もうすぐ「あれもできない」「これもできない」という自分がやって来ることに直視していない人です。自分から幕を引けないということは、回りに言われて引くか、出来ない状態(体調)になって引く―こんな人が前述のみじめな波が押し寄せてくるのです。

自分から引きましょう。今やっていることなら当分出来るでしょう。でも先の事を考えたら、これも始めな・あれも始めな・・・冬眠の準備をする動物のように、老いの仕度を始めないといけません。3年後・5年後・10年後・・・その時になって出来ることと出来ないことをちゃんと選択して、何をしている時自分が生き生きしているか、しっかりシミュレーション持って、卒業とスタートを見きわめる事です。思い描いた通りにならないかもしれません。例えば病気になったりして・・・でも、常にこんな事を考えている人なら、何か新しい道が開けてきます。バイパスのように。でも、何も先の事を考えないと、そのアイデアも浮かびません。先にあるのは「嘆き」だけです。

「還暦」とは、上手く作ったなと感心します。もう一度スタート台に立たせてもらえるチャンスです。「第二の人生」って、意外に長いと思います。

土を木を愛おしむ

今日は別院婦人会で、彼岸前の桑名別院のお掃除を25名程集まって行いました。正直私自身あまりお寺さんのお掃除に参加していません。でも黙々と本堂の濡れ縁や桟、てすりや雨戸を5、6人で拭きました。誰かが言いました。「無垢の木を拭くことも最近はないよね」・・・古い古い木です。あんまり雑巾を固く絞るとすぐにカスカスになります。じっくり木を見ながら拭いていると、痩せている木から長い歴史を感じます。私の祖母も別院婦人会に入っていました。「何十年前、おばあさんもここを拭いていたのかな?」・・・そんな事を考えると、掃除が楽しくなってきました。

境内や書院の庭などの草取りにも皆さん余念がありません。私も後半は草取り。見ていると農家の人の草取りって、ホントにきれいに取るのです。それが、ただ雑草を取るという感じでなく、土を大切にしたいから、要らない草をとる、土との向かい方が違うように見えます。何十年も畑で土を相手に黙々と農作業してきた、お母さんたちの生業、プロの姿勢です。そんなことを感じると、草取りが楽しくなってきました。

間でお茶とお菓子で一服しましたが、1時間半もすると本当にきれいになりました。やはり仕事は大勢です。50代~80代の人が、自分の体調に合わせて一心にお寺のお掃除。帰りがけに「あー、きれいになったね。気持ちもええわ!」 その場に居た人の同感という表情が印象的でした。

私も思いました。もちろんお掃除したことが、スッキリ感につながると思いますが、本堂の縁を拭きながら木を愛おしむ、草取りしながら土を愛おしむ・・・これが本来の生活のベースであり、健康に続くんだと。今度は報恩講さんの前にもやろうということになりました。この輪も少しずつ拡がっていったらな・・・

陶芸初体験

今年結婚した娘のダンナさんが陶芸家というご縁から、私も6月から仲間を集めて月に1・2回陶芸を始めるようになりました。工房が四日市郊外の坂部という所にあって、周りに木が生い茂って民家が見えず、初めて伺った時は、梅雨の雨上がりで緑が鮮やか、紫陽花も満開で、そこに来ただけで気持ちまで爽やかになる感じでした。

陶芸は初体験。初っぱなから、ろくろに挑戦です。見ているといとも簡単に出来上がりますが、見るとするでは大違い!自分の重心がちゃんとろくろの真正面にきていないと、回りながら形は段々変形していったり、円盤のように飛んでいったりします。失敗をしながら何度も挑戦、自然と真正面に重心を置き、薄くするための指の力の入れ方にも細心の注意を払います。こんな時って、本当に無心になれるのですね。そして、ろくろは私が力を入れた通りの形を作っていきます。大きくしたり、お皿のように広げたり、薄くしたり・・・こちらの意のままに形作られるろくろにも感激します。

もう1つ、土をいじっている感触、子供がどろんこ遊びが大好きな気持ち解る気がします。土って、「土から芽が出る」とか「土に帰る」とか・・・ベースなんですよ。その土に触れていると心が安まる様な気がします。ホッとする温かさがあるのです。

先日は「たたら作り」という製法をやりました。色の違う2種類の土をマーブル状にこねて、丸や四角の固まりを作って、食パンを切るように同じ厚さに切り、型で深さの丸みを作ったり。これはこれで、ろくろのような緊張感はありませんが、土いじりを楽しむ感覚です。

つくづくご縁の不思議さを感じます。娘が彼と結婚しなかったら、私もこんな風に陶芸を楽しむ機会はなかったでしょう。親しい仲間と陶芸を通じて輪が広がっていく楽しさに出会うこともなかったでしょう。

  『Enjoy my life!』 です。

歎異抄拝読

今月の初め、市内にある法盛寺さんの夏期大学で歎異抄拝読という役を仰せつかりました。今年で39回目という夏期大学、ご法話の始まる前と終わった後、それぞれ1名ずつ、歎異抄の中から自分が選んだ章を阿弥陀さまの前で拝読するというものです。

それまで「歎異抄」そのものは知っていました。親鸞聖人の教えを弟子の唯円が書き綴ったと云われるものです。でも古典に弱い私はそれを解説された文でさえ理解しづらく、なかなか手に取る機会はありませんでした。

でもこのお役を引き受け手から、まずどの章を読むか決めなくてはなりません。一番短い文章をとも思いましたが、それではおまりにも能なしで、やはり内容が共感できるものにしようと、まず五木寛之の「私訳歎異抄」を買ってきて読み、第1章に決めました。

偶然にも、毎月行っている「心の元気塾」でも7月から歎異抄の勉強を始めており、8月には第1章をバッチリ勉強した後でしたので内容も把握できました。舌を噛みそうな古文も1ヶ月以上毎日読んでいたら、案外スラスラと読めるようになりました。

当日、仲間のコーラスをバックに阿弥陀さまの前に進みます。普段本堂の阿弥陀さまのあるお内陣はお寺さん以外は足を踏み込んではいけない場所です。私たち業者のものが上がる時も、勝手には入ってはいけない聖域です。そこにしずしずと進み、合掌礼拝して歎異抄の拝読・・・失敗せず読み終えた安堵感とその内陣にいる自分・・・何とも言えない幸せな一時でした。

拝読をお願いされた時は、「ええーっ?面倒だな・・・」と内心思いましたが、何でもやるものです。ご縁あることは受けて立つことです。もちろんその為の練習も必要です。でも、だから得られる達成感・思いの充実感、これは本当にいただくものじゃなく、いただけたものです。これからも、1つ1つご縁を大切に生きていきたいと思いました。

「ようこそお寺へ」

先月の末、第3回 「ようこそお寺へ」が市内法盛寺さまで開催されました。

お話は善西寺ご住職さまです。

そのお話の中で今も忘れられないのは 「錯視」 のお話です。

「錯視」・・・ご存じですか?矢印の向きで同じ長さの線が長短あって見える。

バックの色によって、中の色が違って見える。

パッと見ると悪魔が描かれているが、よ~く見ると婦人が見える。

そんな絵をスクリーンで何枚も解説付きで見せてもらいました。

そして、その後ご住職が話されました。

 

自分の見た目って、真実だろうか?

私たち自身が、どちらかの都合に偏るとどちらかが見えなくなります。

周りの状況で本来の姿を見ず、ないものを勝手に作り出すことさえあります。

見えているのに自分で勝手に線引きしている時もあります。

見たということにウェイトをおくと、間違うこともあります。

 

あります。あります。

あの人はこんな人だ。 この状況は絶対おかしい。・・・

自分だけが勝手に状況判断しているだけかもしれません。

でも凡人の私には偏った見方しかできない時も間々あります。

これ以上見えない時もあります。

そんな時はどうするか?・・・「謙虚」 になるだけですね。

足りるを知る

  デパート地下の食品売り場に行くと、これでもかと言うほど、あらゆる種類の食べ物が

売られています。和・洋・中何でもござれです。でも私はこれを見ると、「この内のどれ

だけが人の口に入り、どれだけが捨てられるのか・・・」―そう思うとそら恐ろしくなります。

お肉に限らず、魚も野菜も命あるものです。私たちはその命を摘んで糧にしているのです。

だからこんな使い方をしていたら、その内にきっと自然の神様がバチを与える、大地震など

大きな天災がおこる・・・???

  そんな思いで昨秋のアメリカで端を発した経済の破綻、津波のように日本にも悪影響を

及ぼしているこの状況‥これはもしかしたら天災に変わる代償なのかもしれないと思え

ます。影響を受ける多少はありますが、リストラ・採用取り消し・昇給ものぞめない・・・

年配の人ばかりでなく、若い人も無駄を省く努力をし始めました。エコを考えたり、外食も

控えて手料理も増え始めたようです。これは産業界からみれば悪しき現象でしょうが、

どんどん売れ売れ買え買えが永遠に続く訳ではありません。買うことを控えようではなく、

本当に必要なものか吟味する、手を加える、そして何よりも湯水のように使ってはダメ、

自然界をもっと大切に思うことです。そういった生活をし始めると、素材の良さもわかって

きます。これは健康にも子育てにも大変大事なことです。

  最近野村哲也さんという写真家の講演を聴きました。

まだ33才の若い方ですが、77ヶ国を周りこの2年間タスマニアに住み着き、自然を

撮り続けました。スクリーンで写真を見ながら説明してくれます。最後の30分はお話

でしたが、その中で「現代人はもっと自然に感謝しないといけないと思います。今の

厳しい状況は感謝することを忘れた代償だと思います」と言われた時、「いっしょだ。

同じ思いだ・・・」  すごくうれしくなりました。

ピアニスト 辻井伸行さん

kouyasann5037.jpg先日、全盲の辻井伸行さんが、米バン・クライバーン
国際ピアノコンクール優勝という快挙をなしました。
ピアノのコンクールの中でも最難関と言われ、才能
ある人たちの中で、目が不自由というハンディを
かかえての優勝です。どれほどすごい賞という事が
その道を詳しく知らない私には今一わからず申し訳
ない気持ちがする程です。


でも以前お母さんの著書を読んだことがあります。
今回も本選は3週間にも及んだそうですが、いつも
母親のいつ子さんは同行され、メンタル面でのサポートに大変ご苦労されているそうです。
いつ子さんもその演奏を聴いて伸行さんの心が解るようで、気晴らしにどこかへ出かけたり、
食事に気を使ったり‥私達では計り知れないご苦労もあるでしょう。


赤ちゃんの頃から、同じ曲でも演奏家による違いが分かって、ご機嫌になったり泣いたり、
2才半で、耳にした曲をすぐに即興で弾いてみたり‥やはり神様は辻井家の息子さんとして
目は不自由だが、すばらしい音楽の才能を授けられた。でもこのご両親もすばらしいです。
絶望の淵に居ても、その才能に気づき育む努力を最大限されたということです。


私みたいな凡人は、あんな難曲を楽譜も見ず耳だけで音をとる、そして記憶する、
鍵盤の上を指が走り回ります。ええーっ?見えないのに指が跳ねてる・・・
信じられない神業です。新聞にもありましたが、彼の言葉で 「目は見えなくても
心の見えているので満足しています」・・・若干20才、サラッと明るく話してますが、
すごいすごい努力の賜物なのでしょうね。
それを応援しサポートするご家族も最高です。


なんで~? 今!

お久しぶりで~す。
モバイルを変えたりして、しばらくお休みしていましたが、再開します。

5月中旬東京へ行ってきました。
私が東京へ行く時は、だいたい歌舞伎観劇です。
今回の演目は「暫」‥他、いいですね~、海老蔵さん。ご贔屓です。
8:03の桑名発、10:20東京に着いて、歌舞伎座の前の「日の出」さんでお弁当買って、
11~16時まで劇場に。その後、1、2時間銀座をブラブラして、6時半の新幹線で帰途つきます。

一人銀座を歩いている時、今年2月に結婚した娘と「この辺歩いたな‥」「このお店入ったな‥」
色々思い出しました。彼女とは年に1・2回東京でショッピングや美味しいもの食べたりした楽しい
想い出が一杯あります。東京駅の地下へ行ったら、山形のハンバーグ弁当が売られていました。
これも彼女と一緒に行った時買って新幹線の中で食べ、ふたり目を合わせて「うめ~!」・・・
ソースなしでお肉の旨味と塩味だけ、でも本当に美味しかったです。そのお弁当を目にしたら、
何か彼女と東京へ来た時の事を思い出して、駅のホームでも列車のなかでも涙が止まらなくて‥
「エエ~ッ!なんで今?」・・・です。

娘は車で30分もかからない所に嫁ぎました。結婚直後は荷物を取りに来たり、ちょこちょこ顔を
出しました。でも跡取りで親御さんとの同居なので、できるだけ私の方からは連絡をしないよう
努めています。主人も「あれは嫁いだ娘。これからは今秋結婚する次男もお嫁さんや、まだ気配の
ない長男の未来のお嫁さんが一番、あれはその次や」と言います。私もそう思います。
だから娘が嫁いでも案外寂しくなく、ケロッとしている自分に内心感心していました。

でも、でもなんです。なんでしょう?
多分これは、アルバムの1ページを見て懐かしくなったんでしょうね。確かに娘と行く旅行は気楽で
本当に楽しい。お互いの好みも分かっているし、荷物も持ってくれてホント楽です。
あんな旅行はもうできないのかな・・・という涙でしょう。でもアルバムには未だ写真の貼られていない
ページもあります。そこにはお嫁さんや孫の写真は貼られていくでしょう。(多分)

後ろは振り返らない!
前を見て、「Enjoy my life』‥です。

再び「おくりびと」

アカデミー賞受賞で再度「おくりびと」が注目されています。
私も昨秋に観て、このブログに感想を書きました。でもその時は職業に対する差別意識を問題にしたように思います。でも今この映画のクローズアップされている観点は、死と向き合うということ、死者に対する畏敬の思いが現れている納棺の儀式、ひいては日本の文化にまで話が発展しています。


あの映画のように丁寧な納棺の儀式をどこもやっているかどうか…?ですが、映画のシーンを観る限りでは、確かに肌を見せないように体を拭いたり、着替えさせたり、そしてきれいにお化粧して・・・それを見ている家族は、その時間の中で、改めて死者が自分にとって大切な存在であったことを実感したり、認められない死を少しずつ受け入れていくのでしょう。


最近では家族の死に際しても、臨終の場に間に合わない(入院している人がほとんどですから)、納棺に立ち会わない(同居の家族だけで済ますことが多いのでしょう)、ともすると、通夜も省略することもあるそうです。でも通夜と告別式は明らかに異なる儀式です。告別式に先立って、死者と今生きてる人との語り合う大切な時なのです。そういった意味合いも理解しないまま省略すると言うことは、如何に死と向き合っていないか…と思えます。


そう考えると、日本で受け継がれている儀式には、ちゃんと意味があり、それを理解した上で受け継いでいくことが、私たち世代の役目でもあるでしょう。冠婚葬祭しかり、茶道や剣道など「・・・道」と名のつくものは全てそうです。茶道のおもてなしの心、客同士の「お先にいただきます」というような、相手を思いやるエチケット…の究極の形でしょう。私も娘の婚礼のおかげで、その儀式を通してその意味合いを強く感じました。家族観・道徳観・美意識・倫理観…世界に誇れるこの伝統を、世界中が厳しい今だからこそ、大切に受け継ぎ、しっかり根を育てることが必要とされていると思います。

娘が嫁いで

2月21日娘の結婚式でした。
我が家から花嫁姿でのお嫁入りです。商店街に近所の人や友達がいっぱい来て下さって、そこをタクシーまで私が手を引いて歩きました。皆さんの「おめでとう!」のかけ声やカメラのフラッシュ、本当に本当に幸せでした。嫁ぎ先のお家にもたくさんの人が集まって下さって、「あめでとう!」「おめでとう!」のラッシュ。素敵な門出でした。


昔からの形を重んじた結婚式でしたので準備も大変でした。ですから内心娘が嫁ぐ寂しさよりも、滞りなく式が済むことが最優先の思いでした。朝5時に起き、二次会も終わってお客さまをお見送りし、我が家へ帰ったら9時を過ぎていました。長い長い1日でした。とろけるように眠りにつきました。


翌朝起きて、いつもどおり野菜ジュースを作る準備をしました。コップを4つ用意した時、「ああ~、今日から3つでいいんだ」...今までも旅行に行ったりして居ない時はありました。でも、でも、今朝の想いは違うんです。「ホントに行っちゃったんだ・・・」  自分でもビックリするぐらい涙が出てきました。娘を嫁がせた友達が、「後でグーッとくるよ。寂しさが」と言っていましたが、本当そうです。まだ入り口、これからかな...?


でも行って欲しくない寂しさではないんです。彼女は自分の居場所を見つけて旅立ち、親子でも独立した関係を作るのに必要な寂しさだと思います。上手に親離れ・子離れをして、また新たな素敵な親子関係を作りたいと思っています。

農業の大切さ

農業の大切さがちょっと感じかけた私から一言!
これだけ景気が落ち込み、心も病んでいる人の多い現代、天災がいつ起こるかわからない今、生きていく上で何が強いかと言ったら、農業の生活スタイル、自給自足のスタイルだと思います。とりあえず、住める場所と食べるものの確保です。絶対おいしいかと言ったら、そうでない時もあります。今は「どこの○○がおいしい」・・・情報も増え、舌もこえて、皆さんグルメの仲間入りと思っていらっしゃる。での本当のグルメは、今ある食材をいかに美味しく調理することだと思います。


私は、もし無一文になったら、料理や家事が好きだし、コンピューターもするから、どこか住み込みのお手伝いに雇ってもらいないかなと思っています。お寺だったら、尚いいですね。阿弥陀さんの元、ご住職の食事を用意する・・・いいじゃないですか。


大手の企業が大々的にリストラをすると報道されてます。契約社員の方は、もろに影響を浴びます。反対でもされたり、国が救済措置をとることを要望したりしています。でも、そんな事で解決しないと思います。経営側が、「売れない→製造できない→人員削減」当たり前の手段です。まして、失礼ですが、何か能力があれば、会社側は最後まで辞めさせない、じゃない方から順番です。新任で採用取り消しも出てくれば、優れた人もゴロゴロいる。必要だったら採用に事欠かない。・・・これが現実です。


でもそれは、今の状態…住む場所も生活体系も保たれてを考えているから緊迫してくる。どうでしょう?田舎に住んでみては・・・。義母も言ってましたが、畑をやってくれる人を頼んでもみんな断られるって。加齢でだんだんできなくなるそうです。回り見ても休耕田ししている畑もあるし、雑草が生えて何もしない畑もあります。田舎なら住む所も、捜せばあるでしょう。皆さん都会に出てみえますから。そこで住む場所と食べ物を確保すれば、又違う人生歩めるかもしれない。もしかしたら、その方が子供がいい子に育つかもしれない。


置かれている状況を憂う前に、自分の考え方・生き方を変えれば、又おもしろい人生になるように思います。

手塩にかける大切さ

今月2・3日と、うちのお手次寺(明円寺)の報恩講がありました。
私たちお斎(とき)スタッフは、1日に集まって献立を決め、2日に買い出しと下ごしらえ、そして、3日に料理するのです。これは本堂を再建した3年前、お斎は手作りでしたいという、ご住職の思いがあり始めました。今年で3回目です。私たちは5年間は毎年メニューを替えようと思っています。後はローテイションにするつもりです。


お斎は精進料理です。野菜は皆さん作られた大根とか白菜を使います。私は里芋だんごを作ることにしました。里芋を蒸してつぶし、黒ゴマと七味とうがらしを入れて平たく丸め、フライパンで軽く焼いて甘味噌をつけます。1日は定休日だったので、主人と実家へ里芋をもらいに行くことにしました。


結構な量がいるので、お義母さんと3人畑へ取りに行きました。主人が鍬で掘り起こし、母と私で根や土を取ります。こんな顔ぶれで畑に行くのは初めてです。“畑が命”の母は本当にうれしそうでです。他にも、大根とか白菜とか・・・そして、今年は裏の畑のミカンが豊作でたわわになってます。それも段ボール2個分ほど収穫しました。主人も楽しそうです。


翌日作った里芋だんごは、取り立てでねばりもあり大好評でした。ミカンは食べるだけでは、あまりにも多いので、果汁100%のミカンジュースを作ったらすごくおいしく、ペットボトル何本も作り差し上げました。ミカンの皮は陽に干して、袋に入れて湯船に入れます。


一昔前の私は忙しく余裕もなかったので、義母が野菜取りにおいでと電話が入ると憂鬱でした。そんなにたくさんもらっても使い切れないし、きれいにして分けて人にあげるのも面倒でした。でも生き方が変わるとすべてが変わる・・・実感です。今は義母が手塩にかけて作った野菜を、丁寧に使い切ることの心地よさが生きる充実感につながります。主人も来春から何か作ろうかなーと言ってます。


スーパーで野菜買ったり、出来合いのもので食卓に並べても(私も時々します)食事は食事です。でも手塩にかけて野菜を作る、それを使って料理することは、自己満足かもしれませんが、温かさが伝わるような気がします。確かにお店屋さんの野菜の方が美味しい時もあります。でも農薬を最小限に抑えた野菜は現代では貴重です。今更ながら、こんなことに気づき、少しずつ出来る今の生活がありがたいなと思っています。。

親はできるだけ手を出さない方がいい!

私の子供は33才の娘と30才の双子の息子です。
小さい時からの方針は、「明日親が死んでもしっかり生きていける子にする」でした
小学校から、忘れ物も傘なども、持って行ったことありません。今でこそ危ない世の中なので、娘を駅まで迎えに行ったりすることも時々ありますが、大学生の頃でもあまり迎えなど行きませんでした。その基準は、親元離れて暮らしていたら出来ないことは、やらないでおこうという判断でした。遅くなったりしても、親が居なかったら何とかするでしょう。自腹でタクシー使うかもしれない、必死に走って帰るかもしれない…それを敢えて親が手を出す必要はないと思います。


知り合いで、高校卒業まで毎日学校まで子供を車で送る人がいました。親は電車やバスをで行くより時間はかからないから、朝もゆっくりでいい、子供は「ラッキー!」でしょう。私は何にも言えなかったけど、雨の日も暑い日も、歩いてバス乗って電車乗って通わせることが、この習慣が躾になるんです。それがいやだったら、もよりの学校へ通わせたらいいことです。


息子2人は大学から親元離れましたが、長男の最初の引っ越しだけ同行しましたが、後は2人ともその後の何回かの引っ越しも手伝ったことないし、住んでいる所へ1度も行ったことありません。よく大学生の子供さんのアパートへ時々掃除に行くとか、食料品を送るとか聞きますけど、一度もやったことありません。

何度も言うように、ベースは、「親が居なくても、ちゃんと生きていける子」なんです。3人の子供をみても、その自立心はしっかり育ったと思います。最近の方が甘くなってと思います。先日も娘が習い事している所で、受験生を持つお母さんたちが、学校や塾の先生の教え方や私立学校について熱心におしゃべりしていたそうです。娘はその様子を見て、ここにお母さん居たら言うやろね 『あなた達親が死んだら、お子さんどうなるやろね?』って・・・・・そんな娘の言葉に安心する私でした。

「ゆっくり力」

今斎藤茂太さんの『「ゆっくり力」ですべてうまくいく』という本を読んでいます。結構いろんな角度からゆっくり力の大切さを語っています。例えば、戦後の日本の突っ走り方ーどれだけ速く移動できるか、どれだけ強い物がつくれるか、高層建築・・・とにかく現代文明は特に「速い」「強い」「高い」をひたすら求めたし、その功績は大です。逆に「ゆっくり」「のんびり」「ゆったり」が忘れ去られていました。ところが、最近では、ファーストフードに対するスローフード、「ゆったり」「のんびり」の温泉ブーム・・・これは、「い」の一番の考えより、「り」の豊かな生き方を求める、又見直す傾向が出てきたということです。


これは私自身も最近痛切に感じます。仕事を山のように抱えて、バタバタ生きていた時は、あっという間にお昼になり、さあ午後からと思ったらもう夕方…自分では充実していたように思ってたけど、気は100%でも、実際の仕事の中身は80%だったのでは・・・。そして、疲れは120%。


まわりの人を見ていてもそんな人いますよね。会議なんかに遅れてくる人。私もそうだったから解る気がしますが、ギリギリまで仕事するんです。例えば、10時から会議とします。会社から10分の道のり。だと、9時45分まで仕事できると思うんです。それを30分で中断したとします。15分の仕事の量なんて、大したことありません。まして気は急いていますから。逆に30分で止めれば、遅れることなく余裕をもって会議にのぞめます。会議でも朝礼なんかでもそうですが、最初からみんなの話を聞いていないと状況を把握できません。遅れた人に限って「すみませ〜ん」と言いながら、着席した後、お隣りの人とおしゃべり始めます。


相づちもそうでうよね。「うん、うん、それで」と矢つぎばやにうなづかれるより、「・・・うん、・・・・・うん」とゆっくり丁寧に相づちされる方が話す方も気持ちよく話せます。よく話し上手と言われますが、聞き上手がまずありだと思います。


ゆっくりする事は、のろまではありません。ガサガサしない、丁寧に事にあたるということです。あなたのそばにゆっくりした人がいたら、大切な人かもしれません。

心に刻む

昨日娘の結納が執り行われました。
先方のお母さんの希望で昔からの習わし通りで行いました。
お母さん曰く、「私は自分の結納の日を結婚式より思い出深い。なぜって、結婚式はご招待したお客さまをもてなし、何かバタバタしてる間に終わった気がするけど、結納って、私のために仲人さんを初め寄って下さり、両親と私のためにご挨拶いただく、そして、結納の品を眺めながら両親と集う…こんな思い出多い日はちゃんとやりたい・・・私の勝手なこだわりだけど…」。そんなお母さんは、自分の家で座敷に並べられている結納の品々を眺めていると、本当に幸せやな〜、ありがたいな〜って思えるの。そんな事言われて、娘も当日は私も母も着物きますって言ったら、着物好きのお母さんは、私も着物で仲人さんお迎えしよ。うれい、うれしいな〜。・・・こんな調子です。


私は本来面倒臭さがりやなので簡単で省略でいい…と思っていました。でもお母さんのお話伺うと、確かにそうだなと思えるし、主人なんかは「その通りや!」で、決定しました。実際家の掃除や食事の手配など、ちょっと手間はかかりましたが、当日は娘も私も着物を着、祖父母も同席して、仲人さんとお婿さんを迎え、楽しい歓談の時を持ちました。


皆さんが帰られてから娘が言いました。「家でやって良かった」と。もしホテルだったら、私もずっと座ったままで様子見て食事するだけ。家だとお給仕の気を配ったり、でもその分仲人さんとも親しくなったりしたし・・・。そして皆さん帰られてから、祖母と娘で結納の前に座って、丁寧に開けて品を見たり、又しまい直したり・・・。その様子を見て、思い出を心に刻むとは、こういう事かなと思いました。


現代は「手間をかけない」「無駄は省略」・・・が多いです。冠婚葬祭に特に目立ちます。その風潮と、「離婚が多い・自殺が多い・人殺しが多い」って、何か関連があるように思えて仕方ありません。心に刻むと、何かあった時も、いろんな事が浮かびます。それが我慢したり、頑張ったりの原動力になることもあるでしょう。刻む事がなかったら、何にも引っかかりません。


私たちの年齢は、親の世代の気持ちも解るし、子供の世代の思いにも同調できます。だから、ちゃんと理由をつけてこだわる、頑固になることができないのかもしれません。でもおかあさんのようなこだわりを持って、次の世代を育てる事も必要かな?と今回の経験で感じました。

がんばらない!

久しぶりにアトピーが顔を占領しました。
昨日は所属している会の研修会がありましたが欠席しました。
私は調子悪くなると、悪かった頃の日記を読み返します。(5年日記つけてますから)  もっとひどい症状の時でも頑張って人前に出ていたと最近気づきます。でも、もうがんばらない。人から見たらこんなぐらいの事でと思うかもしれません。でも、前に立って挨拶したり、頑張ってムードメーカーになるには、相当のエネルギーが要ります。それが顔のほてりや痒み、他人の目が気になったりすると、結構きついです。最近、その頑張りももういいかーって思えるようになってきました。確かに私が行かなきゃという時もありました。でも、それも私だけのこだわり(責任感と思っていたけど)…っだったかもしれない。世の中「私がいなきゃ」って思っていても、9割何とかクリアできるもの、そう思うようになったら、自分に甘くなったというか、そんなに頑張ってどうするの?と、もう1人の私が言います。


先日主人もこんな事を言いました。
何か大きなセレモニーに出席した時、各界色んな役職の方がみえて、挨拶したり会場を行き来している姿を見て、「うらやましくないな〜」と思ったと・・・
私も同感です。役職や職業で世間がすごい人と思っていても、それは仮の姿です。役が終われば、仕事を離れれば・・・その時がその人の本当の姿です。


独りよがりな頑張りには肩の力を抜いて、足元の土をちゃんと耕していきたいですね。

婚礼の支度(親の気持ち)

昨日、娘の婚礼用の家具を見に出かけました。
最近は色々準備もあって娘と出かけることも多いです。よく嫁がす寂しさとか言いますが、娘もそこそこの年齢ですし、嫁ぎ先に対して何の不安もありませんし、今のこの時期を結構楽しんでいます。その時、ふっと主人の母の事を思い出しました。主人は養子で入ってもらったんですが、やはりひと昔前の年齢の方には「養子」というイメージを持ってみえました。だから義母は最初この結婚に反対だったそうです。次男とは言え、男子2人(妹が2人います)、苦労して苦労して大学まで出した息子です。私がその立場でもはやり同じ気持ちだと思います。そして婚礼準備といえば、お布団や主人の着物は、すべて母の手作りです。どんな思いで、一針一針縫っていたんだろうと想像すると、今になって本当に母の気持ちが判る気がします。息子だから、そんなに様子を色々話すこともないし、いつも心配していたことでしょう。結婚して10年・20年たっても、「従業員たくさんいて、おまえ、ちゃんとやっとるか?」口癖のようにいつも言いました。(ようやく最近は言いませんが)


私は娘とはこの4年ほど、本当にいっぱい話をしました。人生観・料理・健康・・・「何が大事か?」、そんな中での、今度の結婚ですから、何の心配もありません。後は彼女の運命と努力です。古い考え方かもしれませんが、嫁ぐ娘さんは母親とたくさん話をする機会を持つ方がいいと思います。そばに祖父や祖母がいれば、尚いいでしょう。育った環境でみんなに愛され、いろんな話を聴く機会が多いほど、嫁ぐ娘さんには、それが嫁入り仕度以上の財産になります。


18才で家を出て大学にいく、卒業後も家から離れて就職をする。確かに社会的にはキャリアを積みベテランと言われる女性もいます。その間でたまたま恋愛した人と結婚する。結婚って、ただ好き合って一緒に住むだけのものではありません。

婚礼の仕度って、家具や電化製品だけではないですね。

女性力?

先日小池百合子さんの講演を聴く機会がありました。
さすがお話は上手いし、彼女の発想や切り口は興味深いものがありました。
内容は最近出版された『もったいない、日本』にそったもので、縦割り行政の批判もあり、その対策ももちろんですが、「女性力」「シニア力」「農業力」…日本には優れた力があるのに、流れのまま縮んでいくのは、あまりにも「もったいない」。それを動かす政治も機能せずに「もったいない」ー。というものです。確かにそうだという一理もあります。彼女の話術・心を打つ訴え方は納得いきます。


でも、でも・・・家へ帰って、娘の話を照らし合わせた時、フッと違う事を思いました。娘の友だちで保育士している人の話ですが、園児と砂場でままごとをしていました。以前なら、園庭にある雑草を摘んで、ナイフで切るマネしたり、煮炊きする仕種があったそうですが、最近はトレーのような四角い板に砂をのせて、レンジでチンというマネをするそうです。親のやる通りです。そんな園児が本当に多くなったそうです。その子たちの話では、そんなお母さんが土曜日や日曜日はお料理作るそうで、それがおいしくないって言う・・・出来合いのレンジでチンの方がおいしいと感じる舌になっています。じゃあ、その子たちが大人になったら、どんな食事をするのか・・・???、こわくありません?


食事は生活の基本です。健康の元です。たまにはいいと思うし、心の中では「今日はこれでゴメン」ーそんな親の気持ちがあれば、子供も「何がいいか」という事もちゃんと理解できます。でも親が「これが当たり前、平気!」という生活だと、どんな子に育つんだろう?きれる子やこもる子が増えるのも解ります。


先程の小池さんの「女性力」、仕事面や社会での立場を考えたら、確かにその力も伸びてほしい、でもその前に、「母親力」、これは何者にも変えれませんし、その子の一生に影響するものです。それも「三つ子の魂…」でせいぜい小学生終了までに、手間を惜しまなかったら、後はちゃんと育ちます。


次の世代をちゃんと育てることも、親としての責任です。
環境問題も次世代をしっかり考えないと、まあいいかになってしまいます。
私たち大人と言われる人間なら、当然の義務です。
少子化も問題ですが、精神的に大人でない人が、子供を作る事も問題ありです。

コンマ以下の発見

先日後輩みたいな立場の人とおしゃべりしました。
その時私が「あなたはハートあるし、熱心だし、いつも一所懸命なのに、心に残らなかったり、あの親切な行為は仕事の延長...って、寂しく感じる時がある」って言ったんです。そうしたら、彼女急に声上げて泣き出したんです。「別の友人関係でも思い当たることがあるし、子供にもそんな風に思われている時がある気がして・・・。でも自分のどこが、そんな風に思われるのか判らないんです」って言いました。


私もえらそうなことは言えませんが、彼女見てて思う事は生き方というか、思いや行動が整数なんです。だから6÷2=3、7÷3=四捨五入して2でしょうか?それで自分も悪いとか寂しいとか思ってないし、しごく当たり前なんです。でも人がフッとうれしくなったり心に残ることって、0,3とかコンマ以下の思いやりだったり、やさしさだったりじゃないでしょうか。


どうしたらこんな性格治りますか?って訊かれました。治すって、彼女自身いい人だし、悪いことないから治すってものでもないと思いますが、しいて言えば、色んな人をいっぱい見る事、おつき合いすることだと思います。アンテナをしっかり高くして、あんな風にするといいなとか、してもらってうれしかったな・・・という感度をよくすること、そして、いいと思ったことはマネすることです。マネでもいい、やっている内に身につくようになります。私も感じたり思ったりはよくしますが、なかなかマネできないのも現実です。でもどこかで聞いた「できる事からコツコツと」・・・ですね。

自然界の自分

以前ブログで「お照らしがよかったでね」と言ったおばあさんのように、農業など自然を相手にして生活を営んでいる人は、「受けて立つ」という姿勢が気負いではなく身に付いて、やはり強いと思います。精魂込めて作った野菜や果物が、台風や大雨で台無しになる、虫の発生ですべてパー・・・こんな事はよくあるようです。先日もぶどう狩りに行きましたが、あんなにたわわに実ったぶどうが、収穫期の直前台風が来て出来が半減したら、どんなに情けないだろうと人ごとながら思いました。でも、何があっても又春になったら種蒔いたり苗植えたりするんですよね。


1日なら陽が昇り陽沈む、1年なら春夏秋冬その時その時の季節を大切にする、それが1番の生命力の回復につながると思います。もし心が病んだら、何もかも忘れて土を相手に農作業に励めば良いと思います。もちろん体力も使います。それだけでも睡眠の取り方が変わってくるでしょう。苗や種の成長も楽しみです。私もささやかですが、植えた花の苗に新しい芽を見たり蕾を見つけると、心があたたかになります。でも実をつけた頃、たわわになった頃、台風でダメになったり虫が喰ったり・・・台風も虫も自然です。
それも許さなければいけない。自分も自然界の1人なら仕方ないことです。


でもそれが心や体で理解できないーだから病むのだと思います。
自分の食べたいものが、何時でも何でも買う事のできる現代では、なかなかピンとこないと思います。これは自分が何とか元気で動ける内はいいです。よく50才ぐらいまでは「生産の年代」、50才過ぎたら「受容の年代」といいますが、後半は病気も老いも死も受け止めなくてはいけません。


私は「葉っぱのフレディ」という物語が大好きです。これから街路樹も枯葉の季節になります。いつも不思議に思うんですが、落ちた葉っぱ、確かに近くの人がお掃除もします。でもそれだけではないはず。アスファルトの落ちた葉っぱは、何度も何度もタイヤの下敷きになり粉々になって風に乗ってとんでいきます。土の上の葉っぱは雨にうたれる度に柔らかくなって土に溶けていきます。自然界ってこんな感じ、少々早い遅いはあっても、みんなみんなこんな風に一生をおくります。人間も同じだと思います。

そんな大きな大きな自然界の中のちっぽけな自分と思ったら、「私が、私が」と言えなくなります。大した力ではありませんが、やらせてもらいます...ふと思います。「やるぞ!」という思いは謙虚に、自分でもどうしようもない事を受ける時は、ドーンという大きな心で受け止める。(これも大きな自然界か運命の流れなんです)。お百姓さんが春が来たら又種をまくように、淡々と、でも心持って毎日を送って生きたい・・・そんな風になれたらな・・・

これ以上便利にしない工夫

私は4年前体調をくずしてから、仕事モードから生活モードへ変えてきました。
仕事しながらも生活してるじゃない?と思われるかもしれませんが、仕事中心だと優先順位が違ってくるのです。今思い出してもゾッとします。いつもやり残した仕事があって、すっきりすることがない。時間に追われ前傾姿勢で歩いていたように思います。当然食事や家事はその合間でこなす訳ですから手抜きになります。


先日もテレビの対談を観ていたら、「これからは、これ以上便利にしない工夫をすべきじゃないか」って提案している人がいました。私もそう思います。便利っていうのは、手間がかからないとか、時間が短縮できることです。でもそのために運動不足になってジムへ通うようなことなら、何が便利でいいのか、逆に人の体を蝕むようなことになったら、それこそ本末転倒です。


先日も農業をやっている義母から「野菜で出来たから取りに来て」と電話がありました。88才の母が作る野菜です。取り立てて珍しいものもなく、出来もマアマア。ドンといただくと、使い切れず腐らしてしまうこともありました。他人さんに差し上げるまでも…そんな感じです。その日も枝豆、里芋、さつまいも…です。その日は時間があってので、1�s以上あった枝豆はゆでて、うす皮もとって、ポタージュスープを作り、社員さんのおみやげにしました。さつまいもはスイートポテトにして翌日父の碁の仲間が10数人みえるので、お茶請けにしました。里芋は蒸してつぶして黒ゴマや一味を入れて平たい団子を作り、焼いてお味噌つけたら、目先が変わって里芋の好きでない家族もたいらげました。


母の作った野菜に一手間かけたら、みんな食べてもらえて、野菜も全部使ってすごく気持ちよかったです。30年程前お菓子作りが好きでした。でも色々やってみて出た結論は、お店で買った方がおいしくて便利ということでした。そして5年ぐらい前までは、デパート好きな私は「老後はデパートの近くのマンションに住んで、デパ地下で便利においしく」と半分冗談で考えてました。でも私も自分や家族の健康、そして今の社会状況を考えると、段々考えが変わってきました。今デパ地下、全く利用しない訳ではありませんが、あまりにも種類がありすぎて、「これ残ったらどうするんだろう?」、企業もそれを利用する私たちも何も感じずエスカレートしていったら、絶対バチが当たると思えて仕方ありません。「たまにはデパートの老舗の○○買っていこう、でもこれぐらい自分で作ろうよ」、至れりつくせりすぎます。


手間をおしむ時間で私たちは何をしているのか?
子供や孫に伝えていきたい事は何なのか?
こんな飽食の時代がいつまでも続かないかもしれない。
どんな時代にも生きていける健康な体と智恵を伝えていかねばならない。
これ以上便利にしない工夫=手間をおしまない ことだと思います。

ご縁に出会う

昨日・一昨日と別院婦人会の研修バス旅行に出かけました。
高齢の方も多いという事で近い所、1日目は三河別院→八丁味噌の工場見学→赤羽別院→宿泊先、2日目は蒲郡の魚市場→西方寺(清澤満之の自坊であり記念館もあります)→童話作家の新美南吉記念館というコースです。どこもしっかり法話や説明をしていただいて内容の濃い旅行でした。


それにも増して私の心を打ったのは宿泊の同部屋のお母さんたちのお話でした。4時頃ホテルに着いたので、おしゃべりは一杯できました。皆さん70才過ぎかな・・・でも本当に信心深いです。おしゃべりの内容を少しご紹介します。
   「気持ちええな〜、お寺さんへよこさしてもらうと、胸の辺りがすーっとするな」
   「2・3日前から今日のこと考えると、うれしてうれして、畑仕事しながら思わず
   『恩徳讃』が口に出てな〜」
   「いつから、そんな風に思えるようになりました?」(私)
   「いつからかな…? あるご法話で「思った時がその時、『今』ですよ」って
    聴いてときかな?」
   「畑やって家の事やって、それからお寺さんへ・・・そんなん思てたら一生行け
    ませんよ、『今』って思った時、草も待っててくれるもん」
   「内職して小遣い稼いでも、ほしいもん買ったら無くなるね。でもお寺へ来て
    お話聴くと、胸ううん心がポッポ、ポッッポ熱くなってくるの」
   「そんな風になかなか思えませんも・・・」(私)
   「ううん、これは仏さんが仕向けてくれるの。私の力と違う。だって私がいくら
    思っても病気したら出来へんよ」
このお母さん何事につけても前向きです。 話は続きます。
   「お父さんとの縁談1回断ったん、でもまたプッシュされてね。お父さんがすぐ
    諦めたら、私はここに今おらへんな」
   「お父さんは6人兄弟の次男、でもお兄さんがな家出やしたん。それで、私達が
    田畑もらって今させてもらえるの、お兄さんのおかげ」
ひとくちで簡単に言うほど容易くなかったのは、70才にしては腰の曲がった姿を見れば想像つきます。義理の両親を97才と90才で見送り、弟妹の世話をしてやっと今に至ったはずです。
   「どうしたら、そんな前向きに思えるの?」(私)
   「五大さん(私のことそう呼ばれます)、私がしてるんと違うの。
    みんな仏さんのおはからいなん」・・・・・


私はお寺さんとの関わりを持つ中で、ずーっとモヤモヤしているものがありました。きっかけは、どうしても商売の延長でした。だから色んなお手伝いさせていただいても、やってる自分が本当の信心でやってると思えないとこもあります。なんか自分が偽善者に見えて・・・。そして、本呼んだりお話を聴いても、頭で理屈で解ろうとする。そんなクセがついてました。でも、昨日のお母さんたちの話を聞いて、基本にしっかりあるとは、こういうことなんだと判りました。そして焦る事はない、みんな仏さまのおはからい、今の自分もそう、ご縁がある事をやらせてもらおうと、変な肩の力が抜けた、でもほのぼのとして心をいただきました。

おしゃべりの中で猿が出没して柿を食べたり、冷蔵庫開けたりする話になりました。お母さん最高です。「私な、もし自分が猿やったら、時々美味しいもの食べたいもん。だからあんまり追い払わないの」

おくりびと

映画「おくりびと」を観ました。主人公は納棺士です。
チェロ奏者として挫折して、故郷の山形に戻った主人公が「旅のお手伝い」という求人広告を見て、旅行代理店かと思って面接したら、「安らかな旅立ちのお手伝い」で納棺士だった。経験を重ね仕事のやりがいも見つけた頃、街で会った友達から「もっとまともな仕事につけ!」と言われるし、内緒にしていた妻にばれた時、「汚らわしい!触らないで!生まれてくる子供もいじめられる...」と言われる始末。しかし、非難した友達の母親が亡くなった時、体を拭いたり、化粧をしたり、その行為を思いをこめて心から丁寧に行う仕種を見て、妻は段々考えを改めるようになる。そして、30年前自分と母親を置いて家出した父親が亡くなったと言う電報を受け取る。父を憎んでいる主人公は、妻に促されていやいや会いに行くが、無造作に棺に納められる父を見て、「自分でやります」と叫んで作業を始めると、子供の頃自分が父にあげた石ころを、ぎゅっと握りしめて亡くなって父親の姿を見て、少しずつ父に対する思いが愛に変わっていく・・・こんなストーリーでした。


どんな仕事が良くて、どんな仕事良くないのか?
多くの人が色んな仕事に関わってくれているから、私たちは生活していけます。「わかってます。でも、自分の子供には...自分のダンナには...」
エリート○○とか、医師とか・・・だから幸せなのか?
そして、その人が就く仕事によって、この映画の主人公のように、自分の人生も深くなる。
そんな仕事もあります。


私の娘は整体をやってます。元々は建築士をめざしていましたが、学校出た頃、私たち夫婦が相次いで大病をし、その看病に携わっている内に、整体に興味を持ち始めました。資格をとって私の知り合いや従妹の関係で頼まれると施術してます。もう始めて6~7年ぐらいになります。


4・5年前なかなか縁談のない娘に、お見合いのお世話をお願いしました。その方はちょっと年配でしたが、色々身元調査の感じでたずねられます。その時「職業は?」と聞かれ、「整体をやってます」と言ったら、「う~ん、それは敢えて書かなくていいでね」と言われました。「・・・?」 私も娘より数年早くその資格をとりました。(今は誰にもしませんが) その時はこれで何か人の役に立てると思ったものです。だから娘が興味をもち勉強したいと言った時も大賛成でした。だからそのお見合いの仲人の方の言葉は、ちょっと悲しかったです。


でも娘はこの整体のおかげで、人との関わりを深く持つ生き方でできるようになりました。毎週娘を待つ一人暮らしの富田のおばあちゃん、入院した時も親戚の子と偽って、娘に施術を願う岐阜のおじいちゃん・・・(みんな他人さんです)。 もう3~5年のおつき合いです。体に触れることで、その人の生き方や性格が判るといいます。そして素手で触れられると、人は無防備、素になります。そこで生まれる交流は本当に人間的です。私は「おくりびと」の主人公とオーバーラップしました。


先述のお見合いの仲人さん―あの人なりにお話が進むよう図って下さったのだと思いますが、自分に対しても人に対しても深く見ることって大切ですね。

幸せの基準

「基準」という言葉は当てはまらないかもしれません。
でも人はどこをもって、「幸せ」「不幸せ」と感じるのでしょう?
これは「当たり前」をどこにもってくるかで、案外違いがあるように思います。


娘が縁談がまとまり、来年2月結婚することになりました。
2人で決めて同居するそうです。自営ですので、朝昼晩食事も一緒です。
その話をすると、友人たちは「たいへんね〜え」という反応をする人が多いそうです。確かに私も初めは大丈夫かな?と思いました。でも先日この両親にお会いして、「この方たちならいいか」と感じました。やはり人柄でしょうか・・・体験した人には、甘い甘いと言われるかもしれません。長く一緒にいれば意見の行き違い・もめ事・・・多分あるでしょう。でも、それを避ける為の別居が本当に自由で気楽で一番なのでしょうか?


相性・ご縁・・・色々な要素もあると思いますが、一緒に住もうと思った娘たち、そしてご両親にエールを送ります。私はもし跡取り息子が一緒に住もうと言っても、まだいいって言いそう、親も気を使ったり、美味しくもないご飯一緒に食べるのも、結構たいへんと思います。だから双方とも偉いです。


娘には言ってますが、気楽で自分の思い通り暮らして50才になるより、いつも少しは回りの人に気を使い、思いやっての50才の方が、人間的には素敵だよ。どこをもって、「幸せ」と感じるか「不幸」と感じるか・・・それは人それぞれだけど、大切なのは自分の心の持ち方ひとつ。


我が家の母を見ていて思います。現在デイサービスも行ってますが、何の後遺症もありません。だけど、退院の時のあのうれしそうな顔、心から「ありがたい」と言っていた思い・・・今もその思いには変わりないと思いますが、1時間ごとに熱を測って病気さがしの毎日。当たり前のラインが上がってくると、思い方も変わってくるんだ・・・私たちに何を求めているのか・・・わかるけど、これ以上は自分自身の問題と傍観する毎日です。

爽やかな笑顔

今日でオリンピックも終わります。
TVのニュースやワイドショーでも、ハイライトシーンがよく放映されます。成績の良かった人はもちろんですが、みんな本当にいい顔してます。爽やかです。よくメイクの仕方で…と色々なテクニックが雑誌などでも掲載されていますが、あのオリンピック選手の笑顔と比べたら、足元にも及びません。やはり、小手先じゃない本物、本物ですよ。それには、生き方・向かい方・達成感…辛く苦しくて流した涙もあっての、あの笑顔なのでしょう。


私は笑顔がその人を見るバロメーターにしています。子供が幼い時でも、学校で何かあったみたいだけど、この笑顔がある内は、そんなに深刻じゃない…とか。笑顔でもよ〜く観察していると、顔だけ笑ってるとか、大げさに笑っているけど、心冷めてるとか、何か解りませんか?笑うこと自体が少ない子供も多いようですが、いい顔して笑う子に親は育てるべきですよ。私たちもそう、お年寄りもそう、「笑う門に福来たる」です。

登校拒否〜我が家の場合〜

ご多分に漏れず我が家も登校拒否ありました。現在30才の息子が高2の時、朝起きてご飯済ませて、それからがグズグズというか、ノロノロというか…結局休んでしまったという感じでした。明るくて友だちも多かったので、引きこもるというイメージではなく、暑いから寒いからぐらいの怠け心かなと最初はそんなに心配していませんでした。でも高2の3学期初め、この調子で欠席が続くと3年生への進級はできないと言われました。でもその頃には、叱ったところで、なだめたところで学校へいく雰囲気ではありませんでした。


なぜこんな事になったのか?心当たりはありました。息子は双子で、2人が中学生になったら本当に手がかからなくなりました。それに反比例して仕事がどんどん増えていきました。「五大」と社名変更したのもその頃です。これにはすごいエネルギーと時間が必要でした。準備から軌道にのった3年間は大変でした。それが一段落した頃、親戚の倒産をもろに被って、一時はウチの商売にもあやぶまれる時期もあり、これも解決するまで2年間精神的にもきつかったです。ですから家事をこなしながら何とか母親業もやっていましたが、前述の仕事の状態内容は鮮明に記憶にありますが、子供たちが成長していく様が印象にないのです。


よく子供が小さい時、病気やケガは、後で思うと親の心が他にいっている時起きるって感じたことありませんか?実際中学になれば手はかかりません。でも心もかけていなかった。息子は中2の時、ささいな事から父親ととっくみあいのケンカして、3年間父親とは口をきかない生活をしていました。その後の登校拒否です。賢くてしっかりものの姉と、要領のいい弟との間で、双子でいつも比べられ、人知れず劣等感も持ち、本当は一番シャイな彼が代表して、親の姿勢に反旗を揚げたんだと思いました。主人が口出しすると言葉を荒げかねないので、後半は黙って様子みてました。でも主人は息子のこの状態がもう1年続いたら、知り合いのお寺で、親子で頭丸めて1ヶ月でも2ヶ月でもこもる覚悟はしていました。私はもう手をあわす、お参りする毎日でした。


これが最後のチャンスという学年末テスト、それまでずーっと休んでいたし、勉強も全然していないので、多分テストも受けないだろうと諦めていましたが、当日朝起きて「学校行くわ」という言葉を聞いた時、どんなにうれしかったか、成績なんかどうでもいいです。「よかった、よかった・・・」 その流れで学年末まで出席し無事3年生に進級できました。3年生になれば、進学・就職と回りが目標持って動き出します。自分もやっぱり大学行きたいな…そんな事を思うようになってか、それまでの登校拒否はウソのようになくなりました。


色んなケースから考えると、息子の場合はハシカみたいなものだったかもしれません。でもそれは結果見ての話で、やはりもう1年続いたら寺へ行くという主人の覚悟、そして真剣に仕事に向かう両親の姿…息子には何も話してませんが、そんな親の思いが絶対通じたと今でも思っています。

親の責任

登校拒否・引きこもり…ここ数年前から急増し、今も減ることはありません。私の回りにも数人います。状況もそれぞれで、家族の方の悩みも一様ではありません。そんな人達にひと言申すのは、はなはだ無礼な事だと思いますが、いろんなニュースを聞くにつけ、タイミングを逃すと大変な事になるような気がし、私の思いを話させてもらいます。


登校拒否や引きこもりの原因は色々あると思いますが、やはり1番の要因は家族、それも親だと思います。だから、そうなった時真正面に向かい合うのは親しかいません。知人の場合も何年も続くと親も待つ姿勢になるようです。でも、時間がたてば状況は変わるのでしょうか?確かにそんな人もいます。でもそれは本当の解決ではないように思います。秋葉原の事件も最終的な要因は親子の向き合い方が曖昧にのままにされていた事も原因ではないでしょうか?


私は子供にそんな傾向が現れたら、親が仕事辞めてでも、丸坊主にして親子で寺にこもったり農業したり…生活を変える必要があると思います。親が現実に少し目を背けて、自分の生活・自分の仕事のまま、要は親の生活は今までのままでは、子供はこもったまま無駄な時間ばかり過ぎていきます。子供が20才代の内は親は多分40〜50才代で、何とか面倒もみれるでしょう。でもそのまま子供が40才代になったら親は60〜70才代です。想像できますか?それまでには何とか状況は変わるだろうと気楽に構えてません?現実にそんな人達の事件も発生しているじゃないですか?真剣に向き合うタイミングってあるような気がします。


あの時、こうすればよかった、ああすればよかった…そんな後悔だけはしないよう、今親としてしなくてはいけないことは何か、現実から逃げることだけは、してはいけないと思います。

かわいい親善大使

先週2日間RCの関係で、韓国の少女2人ホストファミリーとして預かりました。2日間といっても2日とも夕方から翌10時頃までなので、楽と言えば楽なんですが、以前も2人のホームステイを2ヶ月ずつ預かった経験から、当日までは部屋の用意をしたり・・・気も重く、めんどうだな・・・そんな感じでした。


でも我が家にやってきた2人の女の子は、16才と18才、2人とも明るくってとても元気なです。1人は平仮名が書けるので、半分は絵と筆談、そしてジェスチャー・・・一所懸命解ろうとする思いがみなぎっています。何となくつけていたテレビも彼女自らスイッチを消し、私たちの会話に夢中です。もう1つ、おばあさんの存在です。母も日本語は全然解らないと知っているのに、「暑かったから、えらかったやろ」  彼女たち、目を点にして 「えらかった・・・?」 「やろ・・・?」 でも、「そう、暑い、暑い」  勘も働いて何となくおしゃべりは続きます。 改めて会話というのは、相手を好きになって、何とか聞きたい、話したい・・・そんな思いが強いと解り合うものなんですね。


オリンピックの開会式も一緒に観て(韓国の入場が終わりの方で、1人は待ちきれず眠ってしまいましたが)、碁の五つ並べしたり、写真撮ったり・・・。帰る時には、おばあさんも涙涙。バスに乗る頃には、私も涙、もちろん彼女たちは、声を出して泣いてます。たった2日間だけなのに、こんなに情が移るんですね。


80才過ぎた両親には、韓国というと「朝鮮人」…そんな印象は多分あったと思います。でも2人のかわいい親善大使のおかげで、韓国のイメージは変わったような気がします。私たちも彼女たちの話し方、ちょっとハスキーボイスで、韓国独特のイントネーションで「おとさん、おとさん」「浴場(ヨクジョ)、浴場」、そして、屈託なくよく食べ、本当に楽しそうによく笑った彼女たちのしぐさを思い出して、昨夜も話していました。帰国の日、おばあちゃんはデイサービスに先に出かけていたので、2人でカードにメッセージを残してくれました。


“おばあちゃん、親切にしてくれて、ありがとう!
愛してるよ、元気でね”
   一人は平仮名で、1人はハングル語で書いてくれました。

今必要なこと。

最近梨木香歩著「西の魔女が死んだ」を読みました。数ヶ月前同タイトルの映画も上映されました。ストーリーは非常にシンプルで、登校拒否をしている主人公が、母方の祖母(英国人で日本へ来て国際結婚した人)と生活を共にすることで、彼女は何かに気づき、数ヶ月後以前の生活に戻っていくというものです。


私はその英国人のおばあさん、あんな人になりたい、あんな生き方をしたいと思いました。もし孫が何かに押しつぶされそうになった時、ゆったり迎えられるおばあさんになりたいと思いました。このおばあさん、孫が来ても生活はいつものパターン、来てすぐの昼食も「サンドイッチ作るから、裏の畑でレタス採ってきて」・・・です。母親が帰った後も、野いちごをたくさん摘んでジャム作り、空き瓶を消毒して詰め、夜はそのラベルを作ります。出来上がったジャムは、保存食にもなるし、知り合いに差し上げたりします。
生きるために必要な手間はかけるのが当たり前、早寝早起き、食事をしっかりとり、よく運動し、規則正しい生活しましょう。孫にやさしく語りかけます。孫に教えるのは生活の知恵、ミントやセージのティー、これを畑にまけば虫除けの薬になるとか、バラの間にニンニクを植えておくとバラに虫がつくにくくなるとか・・・


孫がききます「意志の力って、後から強くできるものなの?生まれつき決まっているんじゃないの?」。おばあさんが答えます。「ありがたいことに、生まれつき意志の力が弱くても、少しずつ強くなれますよ。少しずつ時間をかけて、だんだんに強くしていけばね。生まれつき、体力のない人でも、そうやって体力をつけていくようにね。最初は何も変わらないように思います。そしてだんだんに疑いの心や、怠け心、あきらめ、投げやりな気持ちが出てきます。それに打ち勝って、ただ黙々と続けるのです。そうして、もう永久に何も変わらないんじゃないかと思われる頃、ようやく以前の自分とは違う自分を発見するような出来事が起こるでしょう。・・・」   このおばあさん、気負いもなく、年齢による体力の衰えも言い訳にせず、今の自分に出来ることを、日々黙々と営んでいる、これが本当の生きる姿勢です。これが本当の強さだと思います。


数日前、子供たちにもっと科学に興味を持ってもらおうと、全国出前の授業・実験・講演を展開している起業家の方を紹介いただき、1時間ほどお話しました。確かに興味深いお話です。バイオテクノロジーやDNAなどを実験やサイエンスショーを通じて関心を持てせる…これはこれですばらしい事です。比較すべきものでもないかもしれませんが、私はこの先端科学実験教室のお話を聞きながら、今の日本には、前述のようなおばあさん・おじいさんが身近にいる環境の方が大事だし必要だと気づく大人がもっと増えるようにと思いました。


毎日のように、いとも容易く、人にナイフを向ける、傷つける、命を奪う・・・こんな社会おかしいですよ!!!

母のその後

母は先週22日に退院しました。
食事は部屋まで持って行こうか、お風呂はしばらくシャワーかな?・・・とか、毎日の生活の細々したことを思い浮かべると、内心しばらくは大変かと覚悟しました。しかし退院の1週間前頃から病院内を結構歩いていたこともあって、介添えすれば歩くことも入浴することもできました。退院前にベッドを入れたり、廊下やトイレに取っ手を付けたりしたことで、本人もあまり病院とのギャップを感じないようでした。我が家にはエレベーターがあり、あまり段差もないことで、昼と夜は4階から3階に自分で降りて食事をとるようにもなりました。


母の退院後の様子を見て、これなら出来るということは、どんどん実行していきました。まずデイサービスです。病院内にある介護支援センターの方と相談して、週に2回通う手続きをしました。一応介護度の認定も進めていますが(まだ出てませんが)、そのレベルに関係なく有料になっても通わせようと計画しました。というのは、入院中、病院内のデイサービスに通っている母の知人が、わざわざ病室に訪ねて下さって、退院したらおいでと誘ってくれ、母もその気になっていたのです。デイサービスも先週26日と昨日と2回行きました。母はずーっと店に居たので、顔見知りの人が多く、結構スムーズにとけ込むことができました。又、昼休みには担当医の先生が顔出してくれたり、リハビリしたり...母も病院との接点があることも心強いようでした。


もう1つ、母用の携帯電話を購入しました。父は以前から使いこなしていますが、母は全くの機械オンチです。覚える気があるかどうか迷いましたが、受信だけでもできればいいと思い購入しました。そしてお見舞いに来て下さった方に退院の報告のお礼状を出し、その文面に母の携帯番号を記しました。「皆さんとお話しすることが母の元気の素になるので、お暇があったらお電話して下さい」と・・・


ボチボチ電話もいただくようです。時々操作を失敗するみたいで「かけてもお母さんでないよ」と私の方へ言われることもありますし、初めの頃は母も話す時、トランシーバーのような持ち方で話すので、「それでは向こうの話が聞けへんよ」と笑い話のような事もありますが、いつも枕元において「この電話にかかってくるのは私の知り合い」・・・という、独占という感じが心地よさそうです。


まだまだ1週間しか経っていないので、これから母自身気持ちの波も来ることでしょう。でも今回のケガ・入院のおかげで、「どんな環境にして、何が必要なのか?」折々に考える機会を与えられました。一番必要なのはお話する相手。もちろん家族が一番身近でやってますが、身内ばかりでは私たちも疲れるし、第一、母にも緊張感が必要です。そのためにはデイサービスや携帯電話を利用して、本人が無意識の内にもいい声出す場を作ることだと思います。よくありませんか?電話かかってきて一張羅の声で「林です~。」と出たのに、「俺や!」というダンナの声に急にトーンが落ちて「なに~?」・・・身内はそんなもんです。お年寄りでもよそ行きの声を出す機会は必要です。


話が逸れてしまいましたが、母の同室で入院してみえたおばあちゃん、点滴うってずーっと眠ったままのその姿に色々考えさせられました。寿命をまっとうするということは、こんなことも含めての事。なら、声も出せ身体も動く内は、明るい気持ちで動かせる環境作らんと・・・泣き顔より笑い顔、泣き声より笑い声、いただいてるこの身を、いいようにいいように使わせてもらわんと・・・眠り続けているおばあちゃんのメッセージだと思います。かっこいい事言いながら、1ヶ月には愚痴っているかもしれませんが、今は充実した毎日を送っています。

母の入院ーその3ー

そんな病人気分どっぷりだった母に心境の変化が現れました。きっかけは色々あります。
�@ リハビリの研修生のお兄ちゃんが母のお気に入りになったことです。病室までの送り迎えを車いすでやってくれ、「頑張ったね。明日はもう少し長くね」・・・てな調子です。
�A 従妹の近所の母より2つ年上のおばあちゃんが、母とも何度か会っていたので、わざわざお見舞いに来てくれました。病室で研修生とのそんな会話、そしてその5分後回診の先生との会話をずーっと聞いていました。研修生とは「頑張ろうね」「あいよ!」と交わしていたのに、先生が「どうですか?」と聞くと、痛そうにするのです。そしてその後一喝!「あんな言葉先生に言ったらダメよ、娘さんがそばに居ることもあって、アンタ甘えすぎ、多少は我慢しなきゃ!」ーと、東京弁でバシッと言われました。
�B 同室の同じような頃に入院した方、症状は母よりずっと重病の方がバタバタと退院されたのです。母の症状も3週間ぐらいと診断されていたこともあり、俄然「退院」という言葉が母の頭の中で、近い将来になってきました。


こうなると気持ちも前向きになるようです。それまで部屋内の洗面所までの5,6歩がやっと、起き上げるのも難儀な様子で、いつの横になってばかりいましたが、廊下を歩いたり、毎日顔見に行くといつも座っているようになりました。退院したいという思いが母の気持ちのモードを切り替えたようです。


そんな様子を見ると退院したらそうしようとブルーだった私も思いも変わってきました。「これもできる、あれもできる」という可能性が、取り組むことを楽しくさせていったのです。そして、私の友人でケアーマネージャー掌握する立場にいて、自身でも施設を経営している彼女のアドバイスも大変有効でした。今まで縁がないと、公共のシステムを利用することの詳細にもほとんど無知でした。色々アドバイスももらいました。手続きの段取りも教えてもらいました。いかに人ごとだったか・・・


その母が今日退院します。今から迎えに行きます。さて、どうなることやら???

母の入院ーその2ー

いよいよ母が入院しました。2年前腸のポリープ切除で3日間入院したことはありますが、ここ30年以上初めての本格的な入院です。母も前回1人部屋で寂しかったので相部屋希望、私も人の出入りのある方が母のタイプにはいいと思って6人部屋に入りました。でも入ってビックリ。お1人の方は、同じような症状でしたが、他の人は寝たっきり、始終点滴でずーっと眠ったままです。内心えらい所に入れてしまったと思いました。2日目訪ねた時は、皆さんオムツ替えた直後だったようで、部屋に臭気もあります。段々母がかわいそうになってきました。(ご本人は自分の痛みが先決問題であまり苦にならないようです)


その夜、ヘルパーのボランティアをしている従妹に電話して思いを話しました。彼女曰く、「私の見る限りおばちゃんは幸せなお年寄り、だんなさん・娘夫婦・孫の囲まれて幸せなのは判っているんだけど、自分以外みんな元気で飛び回っているから自分が情けなくなっている。でも入院すれば、自分よりもっと重い病気の人がいることを知れる。3週間ぐらいなら丁度いい時間、今後のおばちゃん考えても、いい体験になると思う」・・・彼女の言葉に心が救われました。


ご本人さんの様子ですが、看護師さんが声かけてくれる、身体拭いてくれる、お見舞いの人が来て下さる・・・久々の主人公になったみたいご満悦です。その証拠に私たちでもお見舞いの方でも、病室に入るとすごい痛そうにするのですが、10分も経つとおしゃべりは母の一人舞台、皆さんこれなら安心という感じで帰られます。でも起きあがったりするコツがつかめるまでは、異常に力が入って余計に身体がカチカチ、それと本来の病巣の痛さがゴチャゴチャになって、すぐ涙ぐんだり・・・毎日行く中で色んな表情を見せてもらいました。本人はオーバーにもウソも言ってるつもりはなく、その時その時自分の正直な思いなんでしょうが、あまりうるさいと、多少の我慢はいるよ、入院してるんだから・・・そう思えて来る時もありました。


年齢から考えても入院前と同じようになるとは考えられません。母がワアワア言った時など、父は家に帰って真剣に「病院出されても施設に入れようか?俺やおまえたちが我慢して犠牲になる生活をすることはない」とか「もし2人だけの生活だったら、病人の奥さん殺して自分も死ぬという気持ちもよく解る」と言うのです。真剣に受け入れ体制を考えることが必要になってきました。親の事だから看るのは当たり前という気持ちと、大した症状ではないのに、自分で自分を重病人にし、その思いで症状も回復させる気のない母に腹が立ってきました。手術したわけでも、ギブスはめているわけでもなし、呆けてもなさそう、もうちょっと頑張ってよ。こんなきっかけで寝たっきりになるの?


1週間目、2週間目は病院へ行くのが憂鬱でした。自分が親不幸にも思えて・・・(続く)

アトピーの神様

私の内には、アトピーの神様が宿ってます。
おだって調子にのっている時、おごっている時、身体に無理をしている時…ご登場されます。そこで初めて「私何かしたかな?言ったかな?・・・」考えます。だいたい思い当たる節があるので、これまた不思議です。


「たかがアトピーぐらい?」「大した辛い体験ほかにしてないからじゃない?」・・・かもしれない、だけど私の中では、あの思いはもうイヤ!一番ひどかった時の状態、絶対したくない!ひどかった時写真が撮ってあります。痒みはもちろんですが、真っ赤でボロボロ、ガサガサ、ブヨブヨ・・・です。身体中です。何かイヤな事があるとその写真を見ます。(めったに見ませんが) すると、今に感謝でき頑張れます。


アトピーとも長いおつき合いになりまして、いい関係が出来てきました。「旅はみちづれ・・・」「おいおい!」と肩をたたいてくれるこのアトちゃんに感謝です。(感謝するから出てこんといて…が本音ですが)

母の入院

6月23日、その朝もそろそろですが歩いてました。
でも終日前から病人モードは強く、父を呼んで何かさせたり、一緒に食べるのを拒否して自分でおかゆ作って食べるとだだこねたり...孫娘が気長に説得すると階下へきて食べ始める、最初は食欲なさそうに振る舞うんですが、元々病気でないのですから結構お箸も進みます。でもその頻度が多くなってきたので、ガス使ったりはあぶないと母のいる部屋をかたづけ始めた時、「起きれない、起きれない!」といざりながら叫ぶので、救急車とも思いましたがそこまでひどくなさそう・・・母が診てもらっている病院が歩いて10分もかからないので、車いすを借りてきて病院に行くことにしました。4階までエレベーターで行けるので楽勝です。車いすに乗せるまでは「痛い痛い」と大騒ぎでしたが、町中動き出したら結構気持ち良さそうです。


病院の診断は圧迫骨折、3週間の入院ということになりました。2年前ポリープで3日入院した時、個室で寂しそうだったので、本人の希望もあり、私ももっといろんな患者さんがいることを母に知ってもらいたくて相部屋を希望しました。そして、案内された部屋は6人部屋。ホントに、あの世の一歩手前という人がほとんどです。ずーっと点滴をして眠り続けています。私はもっと明るいというか希望のある相部屋かと思っていましたので、「ここで~・・・!3週間・・・」内心どうしようと思いました。そこへ母を置いていくのがかわいそうになりました。でも母は自分の事で精一杯みたいでそんなに気にする風もありません。逆に個室より看護師さんやヘルパーさんの出入りが多いので、それが退屈しのぎになるようです。「エ~ツ!ホントに?」・・・何かバタバタと入院生活に突入しました。


我が家はあまり病院の縁のない家なので、毎日見舞いに行く中で色々考えさせられる事が多いです。同室の方で3人、ずーっと点滴をして眠ってたままの人がいます。こんなにまでして長生きしても・・・いつも思います。よく病院側の営利主義等を指摘する場合もありますが、でもそればかりも言えないでしょう。看護師さんもヘルパーさんもホントによく働いています。下の世話もあり頭が下がります。いくら仕事と言ってもこの仕事につく思いだけでも偉いと思います。医師もある程度で断を下すということは非常にむずかしいです。


私自身その事を考えていて思うことは、これは他人任せ、家族任せではいけないと思います。「自分が寝たきりになったら、こうしてほしい」...その具体的な希望をちゃんと一筆書いて、一番いいのは遺言状の正式な手続きを踏むことですが、普通の主婦ではなかなかそこまで考えが及びません。だったら、とりあえず証拠となるよう一筆書いて、常に家族や担当医の先生に話して書状は渡しておく。それぐらいの病んだ時のシミレーションは自分で思い描き、手段を講じる段取りは自分でつける必要があると思います。


長生きも多少不自由の箇所はあっても、自分の意志で動け、食べ、うれしいと思える。・・・それができない場合は自分で対策を考えましょう。元気な内から。

生きざまは老いざま

ずーっとお休みしてました。最近思わぬ所から、「ブログお休みだけど、どうかされました?」との声を聞いて、又やろうという気になりました。(単純です) それと我が家にも色々ありまして、お話ししたいという思いもあった事も事実です。


私は実の両親と同居してます。大正13年生まれと14年生まれ、84才と83才です。この2人が65才頃から全く対照的な生き方を始めました。


父は65才でリタイアすると、待ってましたとばかり好きな碁を上手くなりたくて、月に1・2回は3泊4日ぐらいのセミナーに参加して、色んな所へ行ってました。家に居る時は碁の好きな人が、昼間だけでなく夜も来て、本当に小原庄助さんの碁バージョンのような生活でした。おかげで年々昇段し、今は5段(かな?)の腕前です。月曜日と木曜日は我が家、水曜日は別院の書院で、結構人が寄って楽しそうです。女性クラブの講師役にもなり、バレンタインデーにはチョコレートもらって、まんざらでもなさそうです。そして、真宗大谷派の本山の参議もしているので、京都にも年に30日ぐらい出かけ、たまの京都の滞在も充分エンジョイしてます。


ひかえて母は、結婚からずーっと携わっている商売が大好きで看板おばさんでずーっときました。でも社員さんが増えても全く自分のスタイルを変えない母を見て、73才の時父が無理矢理引退させました。もちろん母は不本意で1年ぐらい店の前も通らないくらい腹を立てていました。実際おなじみのお客さんからは「どうして奥さんを・・・」とよく言われました。でも現実問題として、お客さんの伝言メモも間違えだらけ、お相手していたお客さんとも自分の話す気がなくなると、途中でもどこかへいってしまう・・・正直私たちも手を焼いていたのを父が見ていての進言でした。「店でコロッとは死ねん。俺みたいな生き方しよ」と・・・。


1年ほど経って母も納得し花づくりなど色々しても、73才になってからでは夢中なるほどの趣味にも出会えません。それまでも商売一筋だったので下地もありません。ここ数年前から母のすることは体温を測ることでした。日に10回以上も・・・。そして37度になれば大騒ぎ、病院へ直行です。帰れば「風邪の菌が・・・」多分先生はそんな風には言われないと思うような事を話します。体の悪い所捜しです。本人が意識的にやっている訳ではないのですが、父と違ってダラダラしている自分に言い訳をしているように思えるほどです。この2年ぐらいは骨粗鬆症で背骨が痛いと1日おきのように訴え、毎回「今日が一番痛い」が口癖でした。


自分で思うようにならないのが肉体ですが、この両親の姿、日々の生き方を見ていると、「病は気から」―本当に自分の心持ち、生き方がしっかり反映されます。楽しみ優先に生きていくか、大した楽しみもなく調子悪いところを捜す気にする性格では、雲泥の差が出てきます。年期が入ってくると少々話したところで考え方変わる訳がありません。自分に都合悪い時は耳がシャットアウトします。

こんな状態の母が先月26日から入院することになりました。(次回へ続く)

3月になりました。

3月です。旧暦では、この月を「弥生」といいます。「弥生」は、もともt「草木弥生月(くさきいやおいつき)を略した言葉で、「ますます」とか「いよいよ」を意味する「弥(いや)」と、「生い茂る」意味を持つ「生(おい)」が合体したもの。多くの植物が生長する頃なので、このように名づけられました。


先進国であった欧米の新学期が9月なのに、それを真似せず4月に新学期をきめた思いが分かる気がします。弥生月の意味にあるように、四季があり、春を待ち、植物の生長、桜の開花・・・この季節に入学式・新学年にしようと思うのも、日本のように四季の中で生きている私たちには、自然の決め方だと思います。この時期になると、何か始めようかなとも思えてきます。季節の変化を感じながら、一日一日大切に過ごしたいですね。


追伸:「お水取り」で有名な東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)も1日から始まりました。修二会は、752年に東大寺二月堂の開祖実忠(じっちゅう)が、夢の中でみたという菩薩聖衆の悔過(けか…仏に過ちを悔いること)行法に習ったことが始まりで、己の罪と穢れを懺悔し、天下泰平・五穀豊穣・風雨順時・万民快楽を祈願するをいう行事です。旧暦の二月に行われることから修二会と名づけられています。最も有名なのが東大寺二月堂を「お水取り」の名で知られる修二会で、千二百五十年以上もの間、「不退の行法」として伝えられています。

頼まれ事は、試され事!

年度終わりが近づいて、私の入っている会も広報誌の製作が進められています。今年は印刷業者も替わり、広報担当のスタッフもみんなノンキャリで、初めてづくしです。今日ゲラが出来上がって2度目の業者さんとの打合せがありました。出来上がったゲラを見て、表紙・レイアウト・カラー・・・など、私共の要望も様々です。印刷の場合、確かに不可能な事もあるでしょう。でも話を積み重ねる中で、担当者は私達の要望・好みをくみ取り、どれだけデザイナーに上手く伝えられるかが実力だと思います。


でも、どうも今日の担当者に限らず、その相手の意向をくみ取る努力、その為のひと手間・・・何か足らない事が多い。満足いくものを作ればいいと言う結果主義?  「終わり良ければ、すべて良し」とも云いますが、営業力・人間力は、そのプロセスで培っていくものだと思います。検討する上で参考になるツールは何か、自分で捜して提供する。・・・色々不満が残りました。


タイトルの「頼まれ事は試され事!」・・・これは、よく講演されている中村文昭さんの受け売りですが、私も同感です。人に何かを頼まれたら、想像された以上の出来になるよう頑張ります。それは物とかお金とかではなく、自分の手間、ちょっとした心配り、こんな風にしたら喜ばれるだろうな…等、思いつくことは最大限考えます。それが人間関係・信頼関係に繋がると思います。


前述の広報誌の出来ももちろん大切ですが、「よかった、よかった」は数日の思い。でも、「彼らはよく動いてくれたね。頑張ってくれたね」・・・これはずーっと心に残ります。出来上がりまでに、あと何回彼らに会うか分かりませんが、どうやって接して、私の思い伝えようか、楽しみです???

大切なのは実行です!

昨日の委員会がありました。
前月私の入っている会で環境問題についての研修会を開催し、打ち合わせと称し講師の先生と昼食をとり6名で同席しました。その時点で大変盛り上がり、自分たちのできることは・・・色々案がでました。その中に最近ブームになりつつあるマイ箸の話になりました。1日トータルするとすごい量のわりばしが使われ捨てられます。そのほとんどは中国で作ることが多いそうですが、大量の伐採もここ数年黄砂が日本まで渡ってくる要因にもなっているそうです。焼却に燃料も必要です。そんなことを説明しながら「マイ箸運動」を奨めている団体もあります。私たちも色々な会合で食事の後片づけをする時など、「もったいないな」と思います。でもマイ箸を買っても、いつも携帯する、それを使うということがなかなかできません。だったら、この会の食事の時は持参しては・・・みんなに提案しては・・・そんな意見が出、実際その研修会の最後の方で会員の方から提唱されました。


そして1ヶ月ほど経ち、昨日その研修会を担当した委員会の食事会がありました。私は挨拶の中で、先月「マイ箸」の提案があったのに、ちゃんと買ったのに、今日忘れてきました…述べると私も、私もと皆さん、その中で1人、少し年配でよく研修には参加していただきますが、(仮にSさんとします)静かで隅の方に、いつも目立たずいる方が、「私はあの話を聞いて買って持っているんです。でもなかなかお店で出す勇気がなくて・・・」


私はこの婦人に再度感心しました。車に乗られないので、いつも最寄りの交通機関と徒歩で来て下さいます。委員会でも全体の研修会でも、ご自分が行ける日は必ず出席です。そして前述のように、良いと思われたことは即実行。私なんか会長していて、その時は大いに「いいね、いいね」とのっているクセに、実際食事の時に、コロッと忘れてくる。本当に物静かなSさんに敬服です。


どんな団体でもそうですが、いろんなタイプの方がみえます。普段目立たなくてもキラッと光る、Sさんのような方、大切にしなきゃいけませんよね。

立春〜春のおとずれ〜

季節の変わり目「節分」の翌日が立春で、実際の感覚では、一段と厳しい寒さが加わりますが、暦の上ではこの日から春が始まります。

このブログも始めては一服、始めては一服という状態ですが、旧暦の元旦に当たる今日から又再開しようと思います。ブログをやってて良いことは、自分の生活や回りの状況を丁寧に見るくせが付くことです。ちょうど短歌や俳句の好きな方が、四季を感じ、草花の少しの成長にも気づくように、ネタ捜しではないですが、「アッ、このこと…」と思い、だいたい同じような文章の量にまとめる、これは日々の出会いを丁寧に受け止める訓練になります。だから、お休みしていると、フッとは感じるんですが、ちゃんと受け止める前に、サラーっと流れるんです。心に引っかからないんです。自分のための再開です。


次男が勤めを辞めて、今日からアメリカへ旅行にいくそうです。(大阪に居るので話だけ)。ちゃんとリセットして、又次の仕事を捜すそうです。30才近い大人ですので、親の出る幕はありませんが、もう、一人の大人として認めて放任することと、親として生きてる内は、これだけは伝えておきたい…その選別が難しいと思います。どうやって生きるかは自由だけど、こういう事は忘れないで生きてほしいと思うことは、折々伝えていきたいと思ってます。


今年は我が家も状況が変わっていきそうで、「東風解凍」(春風が吹き氷が解け始める)とか、「魚上氷」(割れた氷の間から魚が飛び出す)…立春の今日、感じるおもいです。

文明の利器に振り回されている私たち

今時、「文明の利器」なんていう言い方も古いですが、今日は前回の運動会の話の続きです。


前回の話を娘と話していたら、保育士をしている友人の話をしてくれました。今はカメラはもちろんですが、ビデオカメラも普及してます。お父さんがビデオ、お母さんがカメラという家庭も多いそうです。そして、それは運動会だけでなく、行事には必需品になっています。


だから子供から見れば、見つめられているのは、いつもカメラやビデオのレンズをなのです。肉眼ではないのです。うれしそうな親の目、感激してウルウルしてる親の目は見えないのです。目、目線、視線って大事ですよね。それって、相手に色々な感情を伝えますよね。でもいつもレンズなんです。


今の機種は性能もよくって、すごいズームもできます。でもそれだと、親は自分の子供しか見えないんです。写真ならまだしも、ビデオならズーッとでしょう?その間子供と親だけの世界なんです。回りは見えないんです。これなら、ドンドン前の方に進み出ても、自分がどんな場所で撮影しているか、夢中になるほど解らなくなりますよね。ビデオライブラリーが出来るほど、いつの時も記録に残している親御さんもいらっしゃいますが、子供がそんなに喜ぶでしょうか?程ほどでいいんじゃないでしょうか。声や仕種も少しずつ忘れていくことも必要です。


それより何より、親が子供に残す事、もっともっとあるような気がします。親の私たちがどうやって生きたか、ビデオにもノートにも記さなくても、良くても悪くても子供のスクリーンにはしっかり残ると思います。

おせっかいおじさん・おばさんになろう!

昨日、桑名市民会館でピアノのコンサートがあり出かけました。
レフレールという兄弟の連弾です。手拍子もありのコンサートでしたが、当初から子供の泣き声がするわ、奇声を発するわ、聴いてても気になって気になって…演奏家って、スタート時気持ちはピリピリでしょう?それも泣いてる子供やうるさい子供をすぐロビーに連れ出しもしないんです。会場にいっしょにいる人間として恥ずかしいと思いました。席は離れていたので、その親子の様子はわかりませんでしたが、席立って注意に行きたい気持ちに何度もかられました。途中、彼らの演奏活動が学校など訪問して子供たちに聴かせているという話を聞いて、これもありなのかと多少納得しました。


今日もたまたま知り合いの園長先生と話をしました。「子育て支援」ということを国をあげて展開してます。それは長時間保育とか、働く親さんのフォローと思っていました。でもそればかりではないそうです。今の親では子供にちゃんとした躾ができないから、幼稚園や保育園でもやっていこうという研修が先日もあったけど、ベースは家庭でしょ・・・という話です。でも本当に親からなってない。先日の運動会でも、ドンドン中に入って、ビデオや写真を撮っているから注意したら、「すみません」って戻る親はいい方、ジロッとにらんで、また撮り続ける、特に母親。


昨日のコンサートといい、今日のお話といい、日本の未来のためにも、私たちは見かけたらドンドン注意することは大事です。(中学生以上だと危険もありますが)  やはり育つ中には、おせっかいおじさん・おばさん必要です。亀田兄弟のような人を作らないためにも・・・

偏見の改革

親しくおつきあいのあるご夫妻に昨年赤ちゃんが生まれました。とってもかわいい男の子です。でも、生まれた時から片方の手の指がありません。でも、2人には待ちに待った赤ちゃんの誕生で、今でもそのかわいがりようはすごいし、住職という仕事柄もあるでしょう。お説教でその子の話をされたり、正面から向き合っています。私も「その子のおかげで深く生きれるね」なんて偉そうな事言いながら、まだ2回しか会ってないので、今度会う時その手を見て自分はどんな態度でいるか・・・自信ありません。多分全然気にしてないように振る舞いながら、心の中で「そんな事は気にしない、関係ない」なんて一生懸命自分に言い聞せている自分がいると思います。バリバリの偏見です。


逆の経験もしました。2004年9月、その頃、アメリカにいた次男に会いに主人と2人出かけました。その年の8月から、アトピーが段々ひどくなって、薬ではすぐに治らないような状態でした。でも次男は6年近くアメリカにいて、その年の12月には帰国するので、チャンスは今しかありません。前々から計画立てていたので、息子もどこへ連れて行こうかプランをたてていました。フロリダのクリアウオーターという町でツアーでなく、主人からも「誰も知り合いがいる訳じゃないし」と言われ泣く泣く出かけました。デトロイトに着いて乗り換えて行くので、待ち時間も合わせると丸1日かかりました。機内は乾燥するし最悪の状態でした。そして旅行中にハリケーンの到来で、1日外出禁止になってホテルに缶詰状態にもなりました。。


前置きが長くなりましたが話はここからです。ハリケーン中、ホテルの宿泊客は大きなホールで、結婚式のように一同で食事をします。私は人に顔を会わせたくない心境でしたが、そこでしか食べ物がないので渋々いきました。200人はいたと思います。でも誰も私の顔をしげしげと気の毒そうに見る人いないんです。テーブルの正面に来た女性でさえ全然なんです。それまで日本で「かわいそう・・・」という目で見られたことありますから何となく解りますが、ホントに気にかけないのです。これはやはりその国民性・環境でしょうか。色んな人種の人と一緒に暮らしている環境、そして障害に対しても前向きです。ディズニーランドでも車いすの人をいっぱい見かけました。世話してる方も、されている方も明るいんです。


自分がそんな体験をしているにもかかわらず、人に対して偏見を持つ自分が情けないです。でも前述の赤ちゃんは、世直しを含め、いっぱいお役目持って生まれてきたと思います。赤ちゃんからお年寄りまで、多くの人と関わり合いながら、深く考え、変えれるところは変えていきたいですね。

環境

私が入っているコーラスのお寺さんには、3才~11才まで4人のお子さんがみえます。そして会員のお子さんが2,3人きています。コーラスの練習中、別の部屋や境内で遊んだり、本堂へきて一緒にいたりします。慣れてくると、指導しているお庫裏さんの横へきて、一緒に歌ってます。休憩時間になると皆さんにお菓子配ったり、お茶碗を片づけたり...私は子供にとってすごくいい環境だなと思います。子供が阿弥陀さんにおしり向けて寝ころんだりすると、お庫裏さんが指揮とりながら、子供のおしりをピシャリ「阿弥陀さんにおしりむけて」注意します。こういった環境の中で学び身についていくんだな、環境の大事さを改めて思いました。コーラスの案内のハガキにこのような言葉がありました。
   「共に」ということが、現代は崩壊しています。
   事実は様々な違いをもって「ともに」生きています。
   コーラスというご縁を通して、
   「共に」を回復できればと念じています。


私は仏壇屋に生まれ、職人だった祖父の仕事場が幼い時の遊び場所でした。金箔にはさんである薄い紙でこよりを作ったり、漆をヘラで器用にこね少しずつ木地に塗る・ニカワをとかす・夕方になると道具を1つずつ丁寧に手入れして片づける・・・祖父のそんな様子を見ているのが好きでした。お寺での子供たちの様子を眺めながら、私の幼い時の環境は祖父の仕事場だなと懐かしく思い出しました。


金子みずゞの歌にこんなのがあります。
    散って すがれた(枯れた) たんぽぽの
    川原のすきに  だアまって
    春の来るまで  かくれてる
    強いその根は  目に見えぬ
       見えぬけれども  あるんだよ
       見えぬものでも  あるんだよ

子育てでも、親は見える所ばかりに一生懸命になってしまいます。でも歌のように、目に見えない根は、もしかしたら前述したような環境の中で作られる、育つのかもしれません。

童謡 part.2

金子みすずという詩人ご存じだと思います。
今コーラスの練習曲にこんな歌があります。

   ♪こどもが こすずめ つかまえた
    そのこの 母さん 笑ってた
    すずめの 母さん それ見てた
    お屋根で・・・泣かずに・・・それ見てた♪

簡単な言葉で音符をおいながら歌っているときは、何とも思わなかったんですが、家でこの歌詞ながめていたら、光景が浮かぶんですね。
   意地悪している子供、それを平気で見ている母親
   いじめらられている子供、それをじっと、何も言わずに眺めている母親

私なら、すずめを捕まえた子の親なら、「そんな事したらいかんよ!」と言います。そして、すずめのお母さんなら「ウチの子に何するの!」・・・言うでしょうね。
でもそれ以上に、この簡単な詩の中に深い思い、深い問いかけをしている、その作家の金子みすずという人に感心します。彼女の詩の中で、私の一番好きなのは、
   ♪すずと小鳥と、それから私、みんな違ってみんないい♪

何かの会でも仲間内でも人が何人か寄ると「あの人はどうだ、こうだ・・・」そんな話が出ます。「悪い人じゃない」と解っていても、人は自分の物差しで評価しがちです。そういう私もそうです。でも少しでも、みすずさんのような大らかな思いで人と接したい・・・いつも思うんですが・・・

引き際の美学

昨日「阿部首相、突然の辞任!」というニュースがテレビから流れてきました。「なぜ?どうして?」その理由も色々憶測が飛びます。健康面・金銭のトラブル発覚か・・・


でもあまりにも間が悪すぎます。そして、無責任です。思うのですが、誕生は本人の力だけではありません。回りの人が押し上げたり、時期や運もあります。でも引き際は、辞めさせられる事もありますが、時期を決めるのは自分です。「終わりよければ、すべて良し」とも云います。

そこで思い出すのは父の引き際です。65才でリタイアしました。(本当は60才でと思ったそうですが、銀行さんからも待ったがかかったそうです) 会社の年度替わりが9月、父の誕生日も9月なので、65才の9月と前々から考えていたのでしょう。主人は稲沢店とか営業面を主にし、経理は父と私でやっていました。その2・3ヶ月前でも、資金繰りで相談したら、「○日頃○○からいくら、○日頃○○からいくら入る」と帳面も見ずスラスラと言えました。それが9月を迎えた引退を宣言した途端、ピタッと店に出なくなりました。店・経営に関して口挟むことも1度もないです。その後は自分の趣味やお寺の役員など積極的に出向き今に至ってます。よく70才を超えたような人が「息子が頼りないから辞めれん」と。でも主人曰く、「1人しか立てない頂上には、退かないと次の人は上がって来れない、親父さんの引き際は見習わないといかん」と。父はいつも何に対しても引き際を考えているような人です。邪魔にされてまでもとか、老体をさらしてまでも…というのは止めようという思いがいつもあります。でも「美学」というからには、自分のプライドや生き様・・・大事な要素です。


そう考えると、阿部元首相のプライドは・・?生き様は・・? それ以上に健康面の問題があったのかもしれませんが、ここで倒れても本望という意地はないのでしょうか?父を見てていつも思います。この人はコロッと亡くなる
だろうな・・・と。

認められる

昨日主人が言いました。「先日の会社でのミーティングで、常務(私のことです)は、あまり店には出てきてないが、いろんな役やったり、お寺さんの行事に参加したり・・・ちゃんと人脈作りという仕事をしているとみんなに言った」と。私は自分がすごく認めてもらえたようで、すごくうれしかったです。


ちょうど3年前体調をくずし、身体に自信が持てないまま、私なりに自分の仕事との向き合い方を考え、主人にも話し認めてくれていました。私自身人が好きで、人との関わりの中で生かせてもらうことが喜びになっているので、仕事という意識はあまりないのですが、パートナーである主人がそうやって見てくれていることは、本当にうれしかったです。


夫婦、20年も30年も経てば、口に出さなくても認め合ってるし頼りにしているでしょう、お互いに。でもね、何年経ってもやはり口に出して言うということは大事です。日本人は「暗黙の了解」とか「あ・うんの呼吸」とか言いますが、やはり言葉に出す、特に感謝の思い、褒めることは尚更です。


私の両親も大正13・14年生まれで2人とも健康です。父は外にもどんどん出、交友関係も広いです。その点母は商売一筋の人だったので、趣味といっても特になく、ほとんど家にいます。最近その母が身体の不調ばかりを捜し毎日のように病院へ行きます。先日も色々話してて感じたことは、この人は認められたいんだ。特に父から。大正生まれの父、そんな褒め言葉、感謝の言葉は決して口にしません。対する母も家族に仕事に大変苦労しましたが、この15年程は父も持てあます程のガンコさで、どっちもどっちなのですが、やはり女の一生、特に自分で選択もできない一生をおくってきた人には、「苦労かけたな、ごくろうさん!」の一言、特に連れ合いからの一言がほしいんだあ・・・と思いました。


世のご主人、勇気を出して照れずに言いましょう!
女って単純だから、「おだてりゃ、ブタも木に登る」です。

子育て

昨日病院の待合室で素敵な若いお母さんを見かけました。8ヶ月ぐらいと3才前の2人の男の子を連れていました。何がいいかって、お母さんの表情が穏やかなんです。子供の問いかけにもゆったり答えてます。ボクたちも元気だけど落ち着いています。久しぶりにこんなお母さん見たなという思いでした。


その帰りにスーパーへ寄りました。7才ぐらいの女の子がエレベーターの4階のボタンを押すと、傍にいた母親がすごく怖い顔で「何押してんのオ~、3階や!」子供の目はビビッてます。何を言われるか目がオドオドしてます。3階に着くと、その母親はカートでその子を押すように出ていきました。彼女は自分自身がイライラしているのでしょう。多分その子が何しても気にいらないでしょう。あの病院であったような接し方をしたら、この子ももっと性格ものびのびと、いろんな面が育つ時期なのに・・・自分の自戒をこめて思いました。

私は娘が2才半の時、双子の男子を出産しました。やはり双子の育児は想像以上に大変でした。あの頃の私は半分保母さん感覚、この3年間何とか乗り切ろうという思いだけで、前述のような穏やかな気持ちで子供に接する余裕はありませんでした。(だから、余計にそんな親を見ると引き込まれるのだと思います) 同じ子供でも3才の姉に私はお手伝い頼んだり、やっと2人を寝かせた後、姉の声で泣き出すと「静かに!もーオ!」叱る対象になってしまいます。スーパーで見かけた女の子の目、娘もいっしょの目をしていました・・・


娘はいつも何かにオドオドする、回りの状況ばかり気にする世話のかからないおとなしいこでした。小学1年生の頃、たまたま通っていたスイミングスクールで少し進級が早かった娘に、選手育成コースへいくことを薦められました。私は彼女は何か1つ自信をつけたら変わるような気がして入会しました。毎日毎日1キロ以上泳ぐのです。でも私だけ必死だったようです。3年生に彼女はひどい中耳炎にかかり、医師からも1ヶ月以上の水泳禁止が出ました。その時娘は、小さいしぼるような声で、「もう行きたくない、やめたい」と訴えました。ここまでやってと思いましたが、彼女はずーっと思っていたんだ、中耳炎は心の叫びだったんだと、やっと解りました。


親の反省も含め、色々あって今の彼女ができてると思います。今よかったなと思うことは、彼女が早くに結婚しなかったことです。(30才も過ぎていますが・・・)早くに結婚して子供もいたら、彼女は自分の受けた育て方に影響されたかもしれません。ここ数年、親の闘病も看、対等に色々話し合う時期があったから、心豊かになっていったことも多いです。多分いい母親になるなと思います。


自分の反省もこめて、今の若いお母さんに言いたいです。ゆったり、ゆったり・・・子育て楽しんで!

優しさ

昨日従姉妹と友人と話していた時に、「先日のコンサート(6月にお寺でチャリティーコンサートしたんです)の時のえみちゃんよかったよ」と言ってくれました。ちょっと説明しますと、私のその中で司会進行をしました。でも持病のアトピーが出てて、身体は元気だけど、見た目と心はズタズタだったんです。続けて曰く、「見た感じ調子悪そうだったけど、あんな状態であんな笑顔で、自分自身演奏に感動しながらの司会素敵やったよ」・・・ありがとう!ありがとう!


この3ヶ月の間に、3回大きなイベントがあり、私自身も一生懸命関わって、やっと迎える晴れの舞台。そんな時に限って調子悪くなるんですよね。本当は肝っ玉がちっちゃくて、プレッシャーに弱いんだと思います。身体は全然つらくなくって、見た目だけなんです。只でさえ、美から程遠い顔です。「いやだな~、これでは人前に出るのいやだな~」・・・思い出したら、ドンドン滅入ってくるのです。そこへもって、司会したり挨拶ししたり、前日ぐらいから、「どうしよう、行けるかな? 欠席できないかな~?」気持ちは引きまくりです。


それがですね、不思議なことにギリギリ間際になると、何とか化粧もできて行けるぐらいにはなるんです。気の張りでしょうか?私はいつも「私の心情を試されている、見かけの状態に右往左往する私自身を、気にする場所が違うよ、受け入れるもっと大きな心を持ちなさい!」と叱咤激励されているように感じます。でもダメなんです。それでも引け目を感じて、パワーの出せないひねた自分がいるのです。


ですから、文頭のような言葉を聞くと、すごい励みになります。自分の気にしていることと、人が受ける印象は違うこともある。だったら、そんな表面的なことを気にしない(すぐには無理ですが)自分になろう・・・そんな思いを会話の中で感じました。


優しさには、つらさを一緒に感じてくれる優しさもあります。でも、全然違う切り口を発見させてくれる言葉、そしてだまって放っておいてくれる優しさ・・・色々あるなと思いました。

「こそ」の2文字の置き所

先日ある会の食事会の雑談の中で、その中のお1人の方のお話です。
彼女が嫁いで20年間、お姑さんは60〜80才まで家事全般を受け持ってされたそうです。「あなたは息子の会社手伝って、私は家事を受け持ちます」と。お姑さんは元々お料理も家事もお得意だったそうです。お嫁さんの彼女も、お姑さんの方が上手と思い、すべてお任せしました。(食事の後片づけは彼女の担当だったとか) 「お母さん、おいしい、おいしい」「今度これ、作って」  お布団も干して下さったそうです。 「寒い季節、温かいお日さんの匂いのするお布団で寝れるって、幸せよ」―さらりと話します。


確かにこれだけの話を聞けば、「そうだ、そうだ」と思いますが、嫁姑の関係で20年そうやって過ごすというのは、すごいと思いました。(色々あったとは思いますが)  「私だって、出来る、やりたい」 「私たちの寝室に入って、そこまでしなくても」・・・絶対色々思います。


私はこんな言葉を思い出しました。ある住職の言葉です。 「世の中は、“こそ”の2文字の置き所、乱るるも“こそ”、収むるも“こそ”」
“こそ”を相手に向ける、あなたが居るからこそ、やってくれるからこそ・・・と思えば、相手もうれしいし、いい関係が作れる。 “こそ”を自分にむけると、私がいるからこそ、私がやるからこそ・・・となると、押しつけがましく、別に頼んでやってもらっている訳でないと、関係がおかしくなってくる。自分に思い当たることも一杯あります。物事考え様、取り様で全然空気は変わります。


「やってもらえば、助かるし、楽だし、まあ、いいか・・・そんな私、回りは色々言ったけどね」とカラッという彼女ですが、回りにも良く見られたい、自分の思い通りにしたいと思ってしまう私には、本当に心洗われる話でした。

普通に育てることの難しさ

お盆休みに次男が帰省し、彼女と近くを観光に行ってすごい人だったと話していました。駅に送る車の中で、「今度は人が少ない時にゆっくりおいで」と挨拶代わりに話したら「サラリーマンだったら、これが当たり前」と返されました。「確かに・・・」


私自身育ちも今も商家で時間の自由はききます。子供も3人いて次男だけが環境が違います。でも環境の違う次男から学ぶことは多いです。車も持っていません。必要な時も少ないし、駐車場や維持費だけでも安サラリーマンには大変です。彼はデートも車なしなんだ・・・でもそれで2人とも何とも思ってない、これが普通なんです。


世の中、7割は普通の庶民です(普通の線引きは難しいですが) その普通から少しでも楽な恵まれた環境を作っているのは親なのかもしれない。少し前の事になりますが、更迭された赤城元農相、多分いい人だと思います。名士の家に生まれ、成績も優秀、トントン拍子に出世されたのでしょう。でもどこかで普通感覚がマヒしていた。阿部首相も育ちの良さがあふれてます。でも今の世の中をまともに見たら「美しい国」なんて言ってられません。あの言葉は撤回されたそうですが。朝青龍のゴタゴタを見ても、やはり親方の弟子の育て方、(今更遅いですが)鉄は熱い内です。


育てるべき時に身につけさす、それも先生や本では学べません。甘い甘い親の元にいたら、子供は楽な方へ、楽しい方へいってしまうのは当然です。今CMで、携帯の家族割引だとか、クレジットカードを家族で使えばポイントも合算されるなど宣伝してます。そういうシステムにして、子供からちゃんとお金返してもらっている親どれぐらいいるでしょう?「これぐらいマアいいか」ですましている親も多いと思います。


クレジットカードなんて、自分に支払い能力ができ、自分もそろそろカード持ってもいいと自覚できて、そして自分で手続きして初めて持つものです。(海外へ行く場合は別として) その自覚もないままに与えるバカ親もいる。20代でゴールドカードなんて「バカモン!」です。ポイントが貯まっての利点以上に、失うものが多いような気がします。若い内は普通・人並みで上等、華やかなことは自分の稼ぎで覚えていけばいいんです。若い内贅沢して、中年になってそれが出来なくなるほど惨めなことはありません。


厳しい親というのは、自分にも厳しくないとダメなわけですから、親にとっても大変です。でも子供にすること1つ1つに対して、「これはいいかな?」と自問自答することです。先日も長男のあまりの部屋の汚さに、(本当にゴチャゴチャなんです。それにお盆前で忙しそうでしたので)「お母さんかたづけようか」と言いましたら、「結構、いいです」と無碍に断られました。これでいいんです。離れて住んでいたら関知せずですもん。大人のつきあいですから・・・

爽やかさん!

今日もホントに暑いです。その暑い暑いお昼前の出来事です。
ウチの店の前に「長島屋」という履き物屋さんがあります。ご夫婦だけで営んでいます。(お歳は68才と60才かな?でもお二人とも若く見えます)私はそのお店の前を通り過ぎました。その時です!


店先で奥さんはしゃがんで履き物を並べていました。その奥さんに少しかがみながら、ご主人が何か話してします。その笑顔が何ともいいんです。天皇陛下が美智子妃殿下を見つめる時のあの穏やかな微笑みです。そして奥さんもニコニコしながら話しています。そんなおもしろい話で「ギャハハッ」てな雰囲気ではありません。


この時期、店番している人もお客さんがいれば別ですが、まして家族だけなら「暑いな〜」「売れんな〜」・・・笑顔とは程遠い表情の人が多いです。お話のお二人の前を通りがかった私も、いつもなら「ご両人仲良くって・・・」と声をかけそうですが、さすが今日は見とれてしまいました。60も過ぎて、この暑い最中、素敵です。


改めて、私たち夫婦はどうだろうな・・・?って、思い返しました。相手が話す前から、「エエ〜ッ?何〜?」そんなリアクションが目に浮かびます。見習おう!見習おう!町内の爽やかさん見習おう!

お盆

今日はお盆の入りです。
昨日お盆前の仏壇の掃除を初めてしました。
「仏壇屋の奥さんが初めて掃除?エーッ?」
おはずかしい話ですが、そうなんです。というか、両親まかせ、ちゃんとやってもたっていたものですから、それ以上私も手を出しませんでした。又、今頃は店も一番忙しい時期です。商売では関係していても、お内仏(我が家の仏さん)まで気の回る余裕はなく、すべて両親任せでした。それが何か心境の変化というか、やってみようかなという気になり、父と私と娘の3人で、お仏壇の大掃除をしました。やっている間父が「あの世のばあさんたちがうれしがっとる」と何度も何度もつぶやいていました。本当にうれしかったのだと思います。私も娘も終わって何とも言えない清々しさを感じました。親子孫三代が黙々とお磨きする姿、これが一番の先祖供養かなと思いました。


私共仏壇の販売に携わってお客さんと接していると、手間いらず、また代行してお掃除するなど、これがお客様をおもうサービスと考えがちですが、昨日の体験から、面倒なことでも家族みんなですると、心も通い合うし、自分自身の気持ちもよくなる、そしてそれが、お盆だから命日だからとお寺さんにお経あげていただく、それ以上の供養かな、手を合わす気持ちにつながる行動かなと、初めて思いました。


「お盆休み」...いい言葉ですよね。「ゴールデンウィーク」とは何か意味合いが違ってるように思います。一昨日から帰省している息子にも、「墓参り行っておいで」「仏さんお参りした?」―そんな会話が出るのもお盆です。普段全く縁のない生活していても、やはりこの時期は行ってこうかなという気持ちにさせるようです。大切に伝えていきたいですね、私たちがちゃんと踏襲して・・・

石 vs 水

時々話に出てきますが、私はアトピー体質で時々症状が出ます。多分回りが想像する以上に落ち込みます。昨日たまたま会った友人から電話がかかってきました。私が1年前から使っている化粧品がすごくいいからどう?・・・「またか」内心思いました。
「色々やっているから、今のところ変えるつもりない」
「私も使って調子いいし、アトピーも改善されるらしいよ」
・・・
化粧品の説明はまだ続きます。
・・・私は切れました。
「アトピーの人がこれ使って良くなったというのなら、まだ説得力はある。でもあなたのようにきれいな肌の人が1年使って調子いいと言ったら、何年も苦しんで色々やっている私たちの気持ち逆なでするよ。それでリベート入るようなことしているのなら、本業頑張ったら」(違う商売を営んでます)


言ってしまいました。言った後自己嫌悪に落ちました。なんてひねくれた根性なんだろう・・・友達だからホントに心配して言ってくれたのかもしれない。「ありがとう、でも今のところいいわ」って、なんでさらりと言えないのだろう。電話の後、悶々とした気持ちでした。


その夜「心の元気塾」がありました。お話の終わりの方で「我執」という言葉が出てきました。自分で自分を作り上げ、自分の思い描いたものと違うことに腹がたつ。そのこだわりは例えて言うなら「石」です。まさしく、今日の電話での私です。確かに経験したことにない人には解らないつらさがあり、「なんで、そんな風に言えるの?」と悲しくなります。でも素直にありがとうと言えたら、それは「水」です。


我執(自我) vs 無我 = 石 vs 水 です。
“仏法は無我にて候”

祭りが終わって

「天下の奇祭」「日本一やかましいお祭り」と言われる桑名の石取祭が3日の夜中の12時から始まり昨夜終わりました。「祭りの後」といわれるように今日は桑名の人が「あ〜疲れた」という感じ、静かな1日でした。でも今年の石取はちょっと想い出に残りそうです。


私の住んでいる町内は石取祭のある神社の氏子ではありません。でも長男は3才から近くの町内に入ってずーっとやってます。そして、今年はその青年会長をやりました。父も私も桑名生まれ桑名育ちで石取が大好きです。でもいつもよそのお祭りでした。毎年息子の太鼓や鉦を叩く姿は見ていますが、今年はもうちょっとカッコいいです。


山車が神社の前に近づくとそれまで元気で叩いていた太鼓や鉦を止め、全員でお囃子を唄います。
「町屋川原の 撫子 野花
   昼は萎れて 夜は開く ああ でんや でんや」
その後、水引のかかった撥をパッと破って、一番に息子が太鼓を叩き始めるのです。今年その町内の山車は最終番で、11時も回っていましたが、家族で見守りました。父もうれしそうに眺めています。私も感動もの、こんな親孝行、じいじ孝行もあるんだと、幸せなひとときでした。


このお囃子、山車を練りながら折々に唄います。子供も幼い時から耳にし覚えます。私も何となく知ってはいましたが、このブログを書くにあたり、HPで調べてみたら、ホントに粋な唄なので、ご紹介します。

 お勝さんは うちにか
   蟹が 桃を はさんで はさみちぎって ほったった
   ほったった なんにもかも ほったった
 町屋川の 撫子 野花
   昼は萎れて 夜は開く ああ でんや でんや
 めでた めでたの 若松様よ
   枝も栄えて 葉も茂る ああ でんや でんや

 桑名の石取祭は 鉦や太鼓で ゴンチキチン
   叩くときゃよかったが 後でお手々が 肉刺(マメ)だらけ
 町々の宿では 笹を立てて 注連張って
   飲んだり 食ったり 飛んだり 跳ねたり
 山形に ちょいと付けたる 十二張
   子供は浮かれて お勝さんは うちにか ・・・

なんか粋ですよね、町民が念に1度 何もかも忘れて祭りに興じる姿が目に浮かびます。
  
 

普通でいることの大切さ

赤城農相が更迭された。当然でしょう。でもこの人も6月に前松岡農相に変わって任命されてからいいとこなし。すぐに事務所経費問題が浮上し、日替わりメニューのように出てくる始末。本人はついてないと思っているかどうかはわかりませんが、でも、彼は多分成績も優秀で、家も代々政治家ということで、何かマヒしている所もあるような気がします。阿部首相もいい人そうにみえますが、やはり生まれながらのエリートですね。「美しい国」こんな言葉を何の違和感もなしに使える神経は普通じゃないです。この国、明日をも生活保護打ち切られる人もたくさん居ます。


仕事で役職でいくら偉くなっても、その人個人は普通の人でしょう?普段の生活の中でお付きの人や運転手の人達がついている生活、観劇でも見物でも常に一番いい席にさっと案内される立場、先生先生と云われるのに慣れてしまって、プライベートな時間でも「先生!」と云われて何の違和感もない人、「今は先生じゃないです。○○(名前)です」とけじめをつけることが必要と思うのですが・・・案外これが普通・当たり前の人回りにいませんか?


世の中、8割の人はこんな風なんだ

資源を大切に ―初めの一歩―

「省エネ」というと、知ってる知ってる!、「クールビズ」それも知ってる知ってる…
じゃあ、自分たちは具体的に何してる?  知ってるけど、何してる?

2ヶ月ほど前、中村文昭さんの講演でわかりやすい話を聴きました。電気ポットって、どこのお家でもありますよね。でも寝てる間は必要ないです。日本中の電気ポットの電源を夜中切るようにすると、現在15箇所ある原発の2つは必要なくなるそうです。加熱ですから相当な電力になるのでしょう。割り箸もほとんど中国で製造されるそうですが、植林が間に合わなくなってきている。だから黄砂も年々日本にまで影響及ぼすようになったでしょう?なかなか「マイ箸」持って外食するには勇気いりますが(それも意識持ったら若い人の方が実行力あるそうです)、必要以上にお店でもらうことも、家庭で使うことも少なくすることなら出来ます。ポットもその話聞いてから、従来の普通のポットに変えました。朝お湯を沸かせば、夜まで充分熱いです。逆に電熱ポットだと、底に塩素が固まって見るとゾッとしましたが、毎日お湯を変えるので衛生的です。冷房も28℃に設定とよく云われますが、我が家はほとんど使用しません。健康面を考えると、「冷え」ほど病気の元はないのです。

講演を聴いて、こんな事から始めてみよう、できるできる…大切に生きることの1コマを実感するような気がします。文明の利器の快適さは、先日のような台風・地震などの災害に見舞われたら、お手上げです。温暖化現象なんかは人間自ら、自分で自分の首を絞めているようなものです。「私の生きている間ぐらいは何とかいいんじゃない?」―私もその類でしたが、やっぱり子供・孫…もっと長いスパンで将来を見据え、今少しずつでも自分のやれることやろう。そんなことを意識するこの頃です。

私の記念日(のど元過ぎれば・・・)

 私は7年前の今日がんセンターに入院しました。私はこの日を自分の記念日としています。
入院する日も暑くて朝からセミが鳴いていました。
 その3週間前にガンを宣告され、多分その3週間が一番つらい時期でした。
 
 病気1つしたことなく、入院経験もお産の時のみ、そんな私がガン?完全初期でない微妙なライン、これから私はどうなるのだろう・・・病院までの車中は主人と2人無言でした。色々検査があって手術は1週間後なので、担当の看護師さんが病室を説明しながら歩きます。部屋に戻ると主人が所在なげに待ってます。部屋は4人部屋。私はこの状況に早く慣れなければいけない、でもそんな自分がかわいそうになって、そしてそんな姿を主人に見られるのがつらくって、早々に帰宅してもらいました。
 
 この相部屋というのは相当たいへんです。聖路加病院では相部屋の患者の精神的な負担を考えて、ほとんどが個室になっているそうですが、私も自分が経験して本当に思いました。深刻な症状の人も多いです。ドアも開け放しで、カーテンしない限りプライベートはありません。夜中洗面所から嘔吐の苦しそうな声が聞こえます。自分の症状以上に重い人をみていると、この病気への恐怖で一杯になります。2ヶ月の入院生活で、1ヶ月の相部屋、1ヶ月の特別室の生活と、天と地とも違う体験をしましたが、私は4人部屋での生活のおかげで、いろんな症状・生き方の人を知りました。朝夕パジャマ姿で散歩しながら多くの人の話を聞きました。あんなつらい治療なのに笑顔のすてきな人もいたし、10代の子ども残して亡くなる人も身近に見ました。死が日常茶飯事の環境は、歳の順にしか家族の死を見ていない私には本当にショックでした。家族にも言えないつらさを言える同志になるのです。
 
 今元気でいられるから胸はって言えることかもしれませんが、この経験は私にとって大事な宝です。(今もし再発したらそんな風には言えないでしょうが・・・?)だから、今日は大切な私の記念日です。『喉元過ぎたらあつさ忘れる』の如く、私も今元気で居られるのが当たり前になってきてます。いつもこの日を真摯に迎え、あの時の思い出すことが、私の根っこ作りです。
 

心の置き所

先日アトピーで通っている漢方の先生が、脈と手のひらを触診されて「林さんは気を胸で止めている」と言われました。整体の先生にもよく言われるんです。「丹田を意識して、ほら、又あがってきた」と。
私ずーっとそんな身体の使い方、生き方をしてきたと、つくづく思います。

もっと具体的に言うとですね、一度目をつむって、おへその5�aぐらいしたの、もう少し背骨より(身体の中心)にある丹田を意識して、そこへ空気を送るように呼吸して下さい。1回、2回…。段々気持ちが落ち着いてきませんか?段々姿勢もまっすぐ、ちゃんと地球の中心からつながった線上に自分の身体が立ってる(座ってる)感じでしょ。すると次に感じることは、大切なのは今自分が立っているこの今、この地点なんです。そんなあせって、先のこと考える必要ないんです。

でも実際の私は、段取りという名の基に色々な状況を想像して準備したり心づもりしてます。、「こういう場合はこれを」とか「こう言われたら、こう説明しよう」…その段取りができる自分は気が利くと思ってました。またアトピーが出てると、いつも鏡見て気にしてます。そんな時って、気は上がっています。丹田の存在なんかもうコロッと忘れてます。

先生の診断を聞いていて、私はこの性格この生き方を改めたら、アトピー治るし、これからの人生がもっとおもしろいなと思いました。この歳まで生きてきたクセはなかなか直せないかもしれませんが、今は丹田さがし、「ひと呼吸」「ひと休み」を心がけていこうと思いました。

今年も1ヶ月過ぎました。

念頭に自分で立てた「今年の信条」=面倒がらないこと、守ってるかなとフッと思いました。テンションは確かに下がってます。でも、もう少し巾を持って考えようと思いました。例えば、何かをしようとした時、理科の力学かなんかで学んだように、こちらに向けてひっぱると、反対方向に向かう力が生まれる、それと同じで、誰かに何かしようと思いついても、いや、余計なおせっかいと思われるかな…そんな考えがフッとよぎります。そんな時は、直感で感じたことが大事、二次・三次というのは、理性だったり、常識だったり、でもその人がその時フッと思ったことって、結果の善し悪しでなく、やるべきことのような気がします。逆に、何か乗らない、いやだと感じるときは、止めた方がいいみたいです。


面倒がるということは、何だかんだ理由つけて止めようという自分の気持ちです。理屈つけて止めるより、いつでも一歩足を踏み出すことの方が生きていて大切だと思います。悔いも残りません。そんな意味もこめて、「面倒がらない」生き方したいと考えてます。


今月の初め、奥さんがアトピーのリバウンドでひどい状態という方が突然訪問されました。自宅からそんなに遠くない方で、私もアトピーだったということを誰かに聞かれたそうです。初めは病院や治療法の情報をということだったのですが、私もご本人やご家族の思いが手に取るようにわかるので、色々ご主人とお話しました。ご本人はすごくひどくて、外に出て人に会える状態ではありません。でもご本人に私の経験した思いをお伝えしたいと、その夜、長いお手紙を書きました。そうしたら、その後二度電話いただいて、又話がはずみました。先日、ある会合でご主人にお会いした時、治療法もだけど、同じような体験をして、自分の気持ちを解ってくれる人がすぐ近くにいるだけで、気持ちがホッとすると言っていたと云われました。私も同感です。私も完治したわけではありません。当事者しか解らない思いを話せる人がいる、そして、治りかけて横着になりかける自分を、彼女のおかげで思い直させてくれる、そんな人にめぐり会えたことは、すごく幸せです。もう少し良くなったら会う約束をしていますが、すごい楽しみです。


誰かが云っていましたが、きれいな花の種も、引き出しにしまっておけば、ただの種。それを土に蒔き水をやることできれいな花は咲くのです。土に蒔き水をやることが、ご縁を作る行為だそうです。

子を育てるということ

先日、ウチの娘が知り合いのお母さんの買い物におつき合いした時、お肉屋さんで息子にお値段の高いお肉を、ご主人には並を買うと言うので、娘は思わず「違うでしょう、いいのはお父さんでしょ」と言ったらしいのです。私はそれを聞いて、ニンマリ、この子はちゃんと育ったと確認した思いでした。


子を育てるということは、花を育てるように水やって大きくすることだけではありません。愛情はどれだけ一杯かけてもかけすぎることはないです。でも子供が一生もつ判断基準を、その物差しを親が作るのです。その子が何か事に当たった時、「ありがたい」とか、「もったいない」とか「当たり前」とか...とっさに思う元になるのです。ここを間違えると、いくら賢くて成績が良くても、いくらやさしいいい子でも、手遅れになることもあります。逆に一見悪そうな子でも修復可能です。


親自体が価値観まちまち、子供に託す思いも違います。2月・3月の受験時期になると、やれ、受かった、落ちた、医学部だって、すごい!...受験に関する話題が飛び交います。私は3人の子供を育てて、確信として思っていることは、学歴なんて「屁」みたいなものです。(まずい表現でしょうか)、実際「林さんは学歴に関係ない職業だからそう思えるの」という声も聞こえてきそうです。でもね、いい学校出たから、一生安泰なんてありますか?お医者さんになったからって、一生食いっぱぐれがないって、二十歳の子供に保証できますか?医者になった人が苦しんで苦しんで精神的にまいって辞めたという話もあります。昨日もテレビで言ってました、うらやましがるなら、その対象の人の苦労も受ける気があるのなら、うらやましがりなさい。どんな人も職業に限らず、仕事・家族・健康・性格...何かかかえています。だから人は人、自分は自分なのです。(かく言う私も揺らぎっぱなしの人生です、半分そう思える人になりたいという願望です)


今は子供をどうこう言う前に、親である私たちが、今一度こういったことを改めて考える時なのではないでしょうか?難病をかかえたお子さんのご両親は、子供に対してあれもこれもと要求しない分、段々気持ちが研ぎ澄まされていかれます。しっかりと子供に向き合い、この一瞬の有り難さを感じて生きてみえるように思います。比べたりするものではありませんし、大変失礼な事と思いますが、この親子の人生が終わる時、どっちが本当に幸せだったのか...一瞬一瞬を大切に生きてきたこの人たちじゃないでしょうか?

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
穏やかなお天気の元旦、私は主人と2人、8:30スタートでゴルフを楽しみました。朝は芝も霜で堅くなっていましたが、風一つない小春日和で、雪化粧の鈴鹿の連峰を眺めながら、ひたすらボールを追う至福の時でした。


今年はどんな年になるか、両親も健在でで、31歳の娘、28歳の2人の息子、何の変化のない事はすごく幸せな事なんでしょうが、何か今年は変化がありそうなそんな予感がします。楽しみです。


そして、私の今年の信条は「面倒がらないこと!」...と決めました。
昨年末掃除をしながらこんなことを思いました。ちょっと5分手間をかけたらこんなにはならないな。洋服でも着た後1日したらすぐ畳めばいいものを、ちょっと面倒がると次から次へ重ねていきます。玄関を通った時ちょっと靴の向きを直せば、いつの整然として玄関になる。ちょっと、ほんのちょっとの一手間で状況は全然変わるのです。お料理もだしをちゃんととったり...心がけ一つで習慣は変わる、それが続けば無理ではなく当たり前になると思うのです。


この歳になると(今年55歳になります)言い訳や開き直りはおてのもの、自分でも感心するぐらい自分を正当化する言葉は口から出ます。でも姿も心も座敷ブタにならないようにするためには、いつの尻軽、面倒がらない...これを心がけようと思いました。有言実行でやっていきます。
今年もよろしくお願いします。

この一年を振り返って・・・

今年の私共の一番のニュースは息子が会社に入ったことです。28歳にもなってますから、覚悟もあるでしょうし、それなりに一生懸命やってます。意外と接客上手いんだとか、お客さんの受けもいいなど、親バカですが、うれしいこともありました。でもそれ以上に痛感したことは、親や祖父母の生き方や軌跡が、ものすごく次の代の息子たちに影響を与えるということです。自分が跡継ぎとして頑張っている頃は、あまりピンときませんでした。でも実際息子が家業を継いで、「あー、林さんの息子さんか?」「政義さんの孫さんか?」・・・出向いたお寺やお客さん、そして地元の会で話が出ると聞くと、親として胸張れる生き方をしてきたか、自分に問いかける時があります。


先日も桑名別院で報恩講がありました。4日間で1500人分のお斎(とき)=食事(昼食)がでるほどの、真宗では年に1度の一大イベントです。ご飯・大根や里芋の煮物・汁物・・・半端な量ではありません。私は婦人会の役で接待係を務めましたが、最終日は着物きて朝6時には別院へ集合です。6時半には本山のおえら方さんが到着です。でも行くと、玄関前には早々と打ち水がされており、部屋も暖房もきいて、火鉢には炭もいい具合です。30人近いご住職も出仕されてます。その朝食の用意も万全です。4日の間、泊まっている人も何人かいます。でもこれもすべて御奉仕の方で成り立っています。毎年毎年連綿と引き継がれています。10年以上お手伝いされている方もいますが、少しずつ変わりながら、でも誰かがいつもやってます。私の今年で4年目、気も使うし面倒なことも多いので、内心こんなことやってられんわ・・・とイヤになる時があります。でも、ご奉仕にみえてる人の純粋な心に触れると自分の浅さに反省することしきりです。


息子の話からどうして報恩講のご奉仕の話にいったかといいますと、人さんの事にどれだけ汗流せたか、一生懸命なったかということが、一番の子供に残す財産だと思います。お金残して子供が絶対に幸せになるとは言いきれません。逆に悔い残さないように買いたいもの買って食べたいもの食べて、人生楽しめばいい・・・そんな人もいるでしょう。でもそれを見て育った子供は、それに輪をかけたような快楽的な人間になる気がします。親がどんな生き方をしたかが、子供の一番の指針になるように思います。


おかげさまで我が家は祖父母も両親もその心で生きていました。だから、世間のいい眼鏡で私たちは見てもらえました。そして私たちもそう生きることで息子にプラスのハンディを陰ながら与えていきたいと思っています。そして、心を磨く場をいただけることに感謝します。朝早くから別院さんのお手伝いにきていた人の言葉を思い出します。


「真っ暗やったけど、全然怖くなかった。あみださんと2人連れやったから」・・・まだまだ私は雑魚です。

分際

「分際」って言葉、
あ〜、言われたことある、でも最近聞かないですよね。
「学生の分際でー」「嫁の分際でー」・・・


これはテレビの中での話です。
「分際って、差別用語とかいわれるけど、これって大事と違う?私も片親で子供の頃、片親の分際でって言われたけど、だから親を早く楽させたいと頑張れた。近所のおばちゃんも助けてくれた」
「人に言うのはいけないそうだけど、自分で思うことは必要ですよね」


確かに最近あまりこの言葉を聞きません。でも私もやっぱり自分を知るということ(分をわきまえる)という分際という言葉は大事だと思います。経済的な面、家庭環境、障害・・・自分に関わっていることに対して、正面から見る、ぶつかる精神は、自分が何者かを知らないと力も意識も出てこないと思います。かわいそうだけど、自分で向き合うしかない、親が手を貸すにも限界がある・・・そう思います。


子供可愛さにしてあげる、買ってあげることが子供を勘違いさせて育ててしまう、親よりもいい服着てるなんて言語道断です。これだけ働いて、これだけ収入をえて、そこそこの貯蓄もできたら、こんな洋服もいいでしょう、こんな車もいいでしょう。だから、働く励みも出るし頑張れるのです。スタートから満たされていたら、何を目標に働くのでしょうか?


自分の分際を知り、今の自分に何が必要か考え、そして目標を持つ。だから働ける、だから頑張れる。私たちの世代が勘違いさせるような、育て方・与え方をしたばっかりに、目標もできずに生きること(食べること)は親がしてくれると大甘の10代・20代を作ってしまった。あきらめないで、今からでも軌道修正は遅くない、身内・他人さんみんなの力で変えていく力を出し合いたいと思います。

「オロオロ」

昨日、松山千春のコンサートに出かけました。
彼のコンサートは、弾き語りというより、語り語りというほど、トークの時間も多いです。曲もロマンをおう曲も多いですが、メッセージ性の強い曲もあります。昨日はやはりいじめとか自殺の話もありました。学校が悪い、教育が悪いと原因をつきとめれば、解決できる問題でもないでしょう。でも、天がこの世に授けた命、絶対生きる意味があって、この世に生まれたはず。いじめられても、つらくても、とにかく生きろ!生ききろ!と強く訴えてました。その後、自身作詞作曲のこんな歌が流れました。


お前を抱きしめる  強く抱きしめる
悲しみも苦しみも  全て抱きしめる

何も出来ないから  じっと抱きしめる
悲しみや苦しみが  通り過ぎるまで

オロオロ  泣きなさい  オロオロ  泣きましょう
不運な事に人生は  一度きりのものだから

お前を抱きしめる  強く抱きしめる
教養も力も無い  せめて抱きしめる

うろたえるばかりで  情け無いくらいさ
愛してる  愛してる  だから抱きしめる

オロオロ  泣きなさい  オロオロ  泣きましょう
不運な事に人生は  一度きりのものだから

オロオロ  泣きなさい  オロオロ  泣きましょう
不運な事に人生は  一度きりのものだから


親ができることって、これだけだ、これしかできないんだ・・・
私にも3人の子供がいます。もういい歳です。でもこれから先、何があるかわかりません。子供が境地にいる時、大人の娘や息子を実際抱きしめられないかもしれない。独立して連れ合いや家族ができれば、猶の事親の出る幕はないかもしれない。でも、いつでも遠く離れていても、気持ちはこの歌詞のように、「お前を抱きしめる、強く抱きしめる、悲しみも苦しみも、全て抱きしめる・・・」これしか親にできることはないです。でも、これが一番子供にとって心の支えになるのではないでしょうか?
熱い想い、暖かい心をもらったコンサートでした。

千の風になって

昨日、法盛寺うたおう会のコーラス練習日でした。
「千の風になって」という曲を初めて練習しました。歌詞をご紹介します。

  私のお墓の前で泣かないで下さい
  そこに私はいません、眠ってなんかいません
  千の風に 千の風になって
  あの大きな空を 吹き渡っています

  秋には光になって 畑にふり注ぐ
  冬はダイヤのように きらめく雪になる
  朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
  夜は星になって あなたを見守る

  私のお墓の前で 泣かないで下さい
  そこに私はいません 死んでなんかいません
  千の風に 千の風になって
  あの大きな空を 吹き渡っています

  千の風に 千の風になって
  あの大きな空を吹き渡っています
  あの大きな空を吹き渡っています


身近に死を経験された方は胸にジーンとくるものがありますよね。
私も一緒に入院していた友(ガン友といってます)が3人亡くなりました。子供さんがまだ幼かったり、結婚前の子供をもつお母さんです。また自分が運転していて事故にあい、同乗していた実姉を亡くした友人もいます。どんな慰めもできません。よく残された人の想いを綴った歌はありますが、亡くなった本人の思いをうたう歌は少ないように思います。でもこの曲を聴くと心が癒されるような気がします。私もたまたまこの詩の載っている風をモチーフにした写真集を、ご主人を亡くされた友人に1年半程前贈ったことがありました。でもこんな素敵な曲がついたのは、昨日初めて聞きました。

12月16日、法盛寺様の報恩講の最後にこの歌をご披露します。午前中からおまいりもあり、ご法話もありますので、関心のある方は是非おまいりに来て下さい。ご法話は前平安学園校長の遠山先生です。


先ほどの「千の風になって」の詩の内容は、私は死んでも、いつもあなたのそばにいるよという、残った人を励ましてくれるものです。だからといって、生と死が分け隔てないということではありません。最近の自殺のニュースには本当に心痛いです。決して死でもって逃げたとか、命を軽んじていると死者をせめる気持ちはありませんが、私は死に対してこう思っています。


みんな砂時計を持ってこの世に誕生します。自分で選ぶことはできません、砂時計の大きさはみんな
色々です。砂時計の砂は下から上へは移せません。その最後の砂が落ちた時が、「死」です。
だから悲しいけど、時間もかかるけど、その砂が落ちきった現実を受け止めて、死んだ人も残された人も「千の風になって」の歌詞のように思える時がくるのではないでしょうか・・・自殺も寿命かもしれません。でも、砂時計のガラスを自分で割ることはしないでいただきたい・・・心から願います。

いじめによる自殺について思うこと。

相次ぐいじめによる自殺が、テレビ新聞等で報道されてます。つらい思いをした被害者を見て見ぬふりをしてきた大人の責任は否めません。しかし・・・


「先生はいじめに気がつかなかったんですか?」と当事者の親の言葉に、「ちょっと待って!そういうあなたは、我が子の精神的な苦悩に少しも気がつかれなかったんですか?」と私は問いたいです。もちろん、学校・教育現場による先生方の対応には問題ありです。教師の資格もありません。でも、まだ十代の死、そのご家族の悲しみだけにスポットをあてると、正義感をふりかざす一部の報道で、絶対的に学校側を追い詰めています。学校の改善ももちろん必要です。でも・・・


知り合いの保育士のお話で、保育園では友達いじめたりしている子供が、母親がお迎えにくると、コロッと「いい子」に変身する。この子は家で緊張し保育園でその発散をしている。親がどれだけ自分の子と向かい合っているか?子供が「お家が一番」と思う家庭作りをしているか。きょうの中日新聞にも、「帰れる家が救いー」という意見が掲載されてました。全文をご紹介します。


いじめを隠していた学校もいじめた子供も悪いでしょうが、自殺を食い止めれるのは親なのではないでしょうか。私もいじめられた時、母親から「学校にいかなくていいよ」と言われ、とても救われました。親の存在の大きさを感じました。「いつでも休んでいいんだ。嫌なことがあっても、帰れる家があるんだ」と思えたのです。


決して当事者の方をせめる気ではありません。でもこの子たちが自分の死を持って社会に訴えたことは大きいと思います。学校教師の在り方はもちろんですが、親子の関係、家庭環境、命の尊さ・・・いろんな角度から、日本全体で真剣に考えようと受け止めるべきです。決して学校側の改革の任せることではないし、先生方も役人根性をかなぐり捨てる覚悟も要ります、そしてそれができないような先生なら、お辞めになった方がいいです。花や野菜を育てるのと違って子供を育てることは、その子の一生をも左右します。先生もオールマイティじゃないのも解ります。でもまず第一に、人が好き、子供が好きーそこからエネルギーをもらえる先生であってほしいと思います。

一部報道に流されないためにも、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

認め合う

私は自分でも明るい性格だと思っています。多分回りの方もそう思っていただいているようです。でも、よくよく自分を見ると、一人っ子のせいか、本来1人が好きです。人がいると必要以上に意識過剰になって、サービス精神を発揮します。それで自分も楽しい思いをするのですが時々疲れます。自分で一生懸命そんな人になろうと頑張っていた気がします。ドーンと腰の据わった人間になりたいといつも思っていますが、いざ事に当たると、人の評判・評価に一喜一憂する私です。


そんな時、ある雑誌にこんな事が書いてありました。五木寛之さんの話です。
一時流行っていた「ネアカ」「ネクラ」という言葉、日本は戦後頑張って経済復興もとげ、陽気な民族になろうとしました。迷い戸惑う、悩むとか憂いを感じる…そんな言葉を「マイナス思考」という名前で否定し、明るさ、笑い、前向き、元気、ユーモア…こういうことがいいと思わせる風潮がありました。でも人の心はそれだけでは生きていけない。憂いや無力感、心の萎えた状態がすっかりなくなることはありません。逆に心が萎えるのは、菩薩の心、慈悲の心を宿しているからとも言えます。笑うことだけでなく、悲しむことも人間的な心の有り様であり、そんな気持ちになりそうな時は、安心してそういう気持ちになればいい。そういうものを抱かえつつ生きる姿勢が大切なのではないか…


それを読んだ夜、毎月恒例の「心の元気塾」がありました。
「お浄土」の浄とは、分け隔てがない、差別がない、平等で、比較しない、上下をつけない、優劣をつけない、競わない世界だそうです。我々人間世界はその逆が充満してます。だからといって、それがいけない事とは言われない。この世はそれが当たり前の世界です。でも、そんな中で、「こんな私でいいのです」そして「そんなあなたでいいんです」という気持ちになれば、もっとこの世も生きやすくなるのではないでしょうか。…そんなお話がありました。


この五木寛之と心の元気塾のお話、全然関係ないようで、でも共通項もあるような気がします。人にも自分にももっと大らかな気持ちで認め合うようになれば、気持ちを楽〜に生きていけるような気がします。それがなかなか出来ない私は、「そんな気持ちになりたい、なりたい」と思いながら日々生きてます。

ありがたい

知り合いの奥さんがガンになり、親しくしているその娘さんが、時々私にメールを送ってきます。そこには、母親のガンを知って、動揺する思いがつづられていました。たまたま私も同じ病気の経験者ということで、初め手術後の様子など聞いてきましたが、時間が経つと共に、いかにお母さんが自分にとって大切な存在だったか切々と書いてきました。今年大学も卒業して親元離れて就職しています。もう大人のつもりでいたけど、やっぱりお母さんなくして自分は生きられない、今までどれほど大きな愛情の中で育ててもらったか、改めて感じているようでした。


私も返信の中で、今までお母さんは元気で働いているのが当たり前・・・の当たり前が本当にありがたく思えるよね?ありがたいは「有り難い」(むずかしい)ことなんです。でもその歳で気づかせてもらうのは、いいことだと思う。今の気持ちを生涯忘れないようにね・・・と伝えました。


よく初詣などで、「家内安全」「無病息災」とかお祈りしますが、では、病気になったりすることは本当に不幸せなことなのでしょうか?自分自身の経験から言っても、私は病気になったことで、多くのことを学ぶことができました。ガンとわかる前日まで、仕事の人間関係や諸々悩んでいたことが、ガンと言われた瞬間、悩むことも生きているからできること、死んだらそれすらできなくなるんだ・・・そう思ったら、悩むことも言い合うことも、ほのぼのとしたイメージになりました。生きていれば、生きたい、治りたい、只それだけでした。その思いは多分家族も同じ気持ちだったと思います。だから、もう一つ強い絆も生まれるし、どうってことない話題で笑いあうことが、心から幸せ、ありがたいと思える気持ちになるのです。


これは今元気でいるから言えることかもしれません、でも物事は見方ひとつ。できるだけいい風に、前向きに考えることを心がければ、これから先出あうことにも、乗り越える力となるのではないかと思っています。私もこの親子のおかげで、6年前の自分を思い返す機会を得ました。

心から手を合わす体験

時々お話していますが、ちょうど6年前私は子宮ガンになりました。今日まで再発することなく、元気で暮らしています。ただ1年ほど前から、低い数値ですが、腫瘍マーカー数がジワジワ上がり出して、これもブログでお話しましたが、今年3月にペット検診もし、異常なしの診断もいただきました。私は2年程前からアトピーがひどくなって、私の測っているマーカー値はアレルギーも関係することもあるそうで、そのせいだろうとも言われました。それから5ヶ月、数値は以前のままジワジワと上昇です。ちょうど丸6年だし、今度はCTの検査をすることになり今月3日受け、今日結果を聞きに行きました。


「これでガンが見つかったら、ガンて本当に怖い病気やね」と娘が言うほど、私はしごく元気です。でも絶対大丈夫とは言い切れません。「まさか…まさか…」多少の不安はあります。また今日は病院に行く時、平和公園のあたりで道を1本間違えて、お墓の中をウロウロです。「エーッ、くわばら、くわばら」


おかげさまで、今回も「異常なし」。この瞬間は本当に心から手を合わす心境です。後になって、そんなことはないと思ってたーという言葉も、何にもなかったから思えるんです。つつがなく生かせてもらっているという実感を心身ともに感じます。まだ当分1ヶ月1度の検診で、なかなか無罪放免にはならないですが、逆にこの体験が「ちゃんと生きてるか?感謝しないかんぞ」と教えてもらっているように思います。


8月26日(土)市内の法盛寺さまで、《親鸞に聞く集い》が開催されます。その時、法盛寺さまの「歌おう会」に入っている私たちも仏教讃歌を何曲かご披露します。そのうちの1曲は暗譜なので、いま家のいろんな所に歌詞カードをはって練習してます。最近フッと思ったんですが、楽譜で文字をおっている時は、あまり感じることはなかったのですが、字にしてそれを眺め毎日歌っていると、「毎日をこんな風に生きていきなさいよ」…と後押ししてもらっているように感じます。歌詞をご紹介します。
         朝な朝なに  み教え仰ぎ         
         浄き(きよき)勤めに   いそいむ我ら

         朝な朝なに  仏行(みあと)をしたい   
         浄き(きよき)思いを   語らう我ら

         朝な朝なに  仏証(みさとり)たたえ
         浄き(きよき)こころを   やしなう我ら

         めぐみあふるる   貴き一日(ひとひ)
         今日も捧げん    我らの命

1度読んだだけでは、は〜んという感じだと思います。でも毎日、特にメロディつけて歌っていると、段々しみてくるのです。私たちの年齢でも、お経をあげてても、なかなか内容が解からず、口と心がバラバラなことってあります。でもこの口語体の歌は、歌いながら自然に心に入ってきます。機会があったら是非一度聞いて下さい。


 ※2006年度(第36回)仏教・夏期大学「親鸞に聞く集い」のご案内
      日 時 : 8月26日(土) 午前9時〜11時半
      会 場 : 法盛寺(桑名市萱町) ※すぐ前に市内循環バスのバス停あり
      講演会 : 法 題「仏弟子の道」
      講 師 : 西恩寺前住職  池田勇諦先生
      会 費 : 1000円
    

母の役割

お盆休みに入って、大阪で働いている次男が帰省しました。普段はメール1本もしません。帰ってしばらくしてウトウトしている姿に、聞けば帰りはいつも11時頃とか結構ハードです。夕飯はやはり母の手料理が一番のご馳走と思い、腕をふるいました。


先日親しくしている6家族で食事会がありました。その時、ご主人もお料理するという話がでました。ご主人の年齢は50~65才ぐらいです。全く奥さん任せという家とご主人もする家と半々でした。確かに男性も趣味やリタイアして奥さんのために腕ふるうのも悪くありません。その時、今の子供の状況も話題に出ましたが、私は食事と子供(家族)の状態は無関係ではないと思います。


今は男女共同参画とか、女性にも同等のチャンスを...と権利が主張されています。でも私は古いと思われるかもしれませんが、子供を生む機能のある女性と男性は、この世に生まれた役割はそれぞれに違ってあると思います。生まれて間もない赤ちゃんを抱いた時、口元がお乳を捜します。あれは父親の胸を捜しているわけではありません。自分の才能を埋もれさせたくないと思うのなら、結婚はともかく、子供を産むことは放棄するぐらいの覚悟がいると思います。それぐらい母親の担っている役割は大きいのです。


じゃ、かく言う私はバッチリ母親業を務めたかというと、そうではありませんでした。結婚して30年、主人と同じように仕事をし、合間に家事をこなすことで目一杯でした。食事の支度する時間がなくて、3人の子供に500円玉を3つ並べて「適当にー」ということが結構ありました。子供に「よそは塾の時間に合わせて食事の用意をするのに、ウチはできなくて、ゴメン。はい、500円だ」と皮肉言われたことも何度もあります。幸い当時はコンビニがなかったので、自分で何か作って500円をうかして小遣い稼ぎもしていたよういたです。


それが2年程前体調をくずして、薬では無理、体質改善を余儀なくさせました。そして色々学習実践をする内に、食事の大切さ・怖さを身を持って知りました。仕事をセーブして食事を大事にすることを心がけてきました。徹底してはいませんが、野菜中心・化学物質をできるだけ取らないようにしました。そんなたいそうな料理ではありません。でも同じ献立でも、器や盛りつけで工夫はできます。量も控えられます。主人も食事には気をつけない持病がありますので、ちょうどいいです。


そして1年半。ベースである家庭を丁寧に生活して生きる、食事だけではありません。花を生けたり、育てたり...家の掃除もこまめにする、するとインテリアにも気が配れます。家族の気持ちも何か落ち着きます。今までバリバリに働いていた人がいつまで続くか...回りはそんな目で見ていたようですが、私自身は非常に心地よいです。仕事の上で毎日やり残した事があって、いつも追われているような、今思うと足元が上滑りしているような毎日でした。母親がその勤めを担うことで、家族はそれぞれに自分の仕事に集中することができます。

息子が帰る時、「心も体もゆっくりした、リフレッシュした」と思ってくれるよう、母親の勤めを果たしたいと思っています。

治療の選択

私の母が、先日腸から少し出血があるというので、今日大腸の内視鏡の検査を受けました。結果盲腸近くにポリープが見つかりました。今は良性ですが、2センチ以上になると癌になる可能性もあるというので、開腹手術でなく、内視鏡で切り取る手術を来週受けることにしました。そんなに大したことなく、その日だけ1晩入院する程度でいいそうです。


それとは別に、母がずーとお世話になっているホームドクターのような先生でしたので、今回程度ならいいですが、「もしこれから先癌になっても、もう80才過ぎてるし、つらい手術を受けるより、苦しまずに余生生きられる方法をとりたい」と余談のように話しましたら、先生が「例えば大腸ガンだったら、お腹がバンバンにはって腸閉塞を起こす。それでも手術しないというあんたの方が人殺しや」と結構きつく言われました。これは私の考えです。最終的には本人の母が何をのぞんでいるかで決定することなので、それ以上の話はしませんでした。


この後、私の心にずーっと尾を引くものがありました。射的ゲームのように出てきたものを、バンバン撃つだけが治療ではないはずです。60代なら病巣を取れば確かに楽になります。でも70・80代になれば、体全体が老いてきますから、手術やつらい検査で他がガタくることもあります。本人はこれを我慢したらきっと良くなると思って耐えても、予想ほどでもない状態にがっかりします。その精神的なケアも含めて患者とつき合っていただきたい思いがあります。ですから、私の何げない言葉にそこまで反論する医者の様子を見ると、腕の信頼ではなく、心の信頼ができなくなります。


先生も治そうという一心ですから、そんなにネガティブに考えるのは気の毒かもしれません。でも考え方も価値観も色々です。「そうやな、確かにそれも一理ある。でもな・・・」―こんな会話の中で患者や家族が納得しながら治療に当たれる、そんな余裕もあってほしいです。患部の回復経過以上に患者は心や体の不安と戦っています。それが解る医者と巡り会うと会わないでは、心の安定は全然ちがいます。そんな体験談ありましたら、是非お聞かせ下さい。

慢性の病気とつき合う。

先日も1日の3人も人から、「ゴルフ焼け?」と言われました。アトピーの影響で今も赤らんだり、黒っぽかったりします。「いいえ」としか言えなくて、内心自分では良いつもりだけど、目立つのかな?…憂鬱になります。相手も気楽に言うことだし、私も「そうそう、リッチでしょ」とさばけて言える心の太さがほしいなと思います。


でも随分治ってきました。今いつでも出かけれる状態が本当に幸せです。体調はどこも悪くない、だけど顔とか見える所が湿疹状態、それも急に出てくることもあります。約束していても、やっぱり出かけるのがつらくて急に断ることも何度かありました。「ドタキャンのえみこ」とよく言われましたが、行けないことも、そう言われることも本当につらいし、くやしかったです。でも人ってどこまでも望むものです。その頃は見えない箇所ならどんなに症状が出てもいいから、顔だけは治ってほしいと思っていましたが、1年ぐらい経って、顔の方が治まってきて、今度頭皮や体中が痒くてたまらないと、夜も眠れないとか、これ何とかしてほしいと弱音が出てきます。要は辛さに耐えれない、我慢強くない人間なんです。


西洋医学の限界も感じたので、その系統に薬は全部ストップ。そして人がいいと言うことを片っ端からやりました。漢方・岩盤浴や野菜ジュースのデトックス効果・食事療法・整体・水・諸々のサプリメント…一時期は、その1つ1つに賭けるぐらいの意気込みで始め、効果がなかなか出ないと、これもダメかと失望したりもしました。でも今は自分がこれは何かいいと感じたものは、効果を焦らず全部やろうと決め、そのほとんどを平行してやってます。


最近感じていることは、慢性の体質的な病気は自分でしか治せないということです。自己判断に偏りすぎるのも危険ですので、診断はうけてますが、決して薬では治りません。治っていたら、待合室にあんなに一杯患者さんいないですよ。食事はもちろんですが、整体も只受けるばかりでなく、朝晩自分でストレッチをする。すると昨日より今日は体がかたいとか敏感にわかるようになります。今日はコンピューターをしている時間が長かったとか、猫背の悪い姿勢でいたとか気づいてきます。そしてその箇所をいつもより念入りにほぐしてあげる。それだけでも体は喜ぶし気も流れます。だいたい病気を持っている人は気が流れていません。特に自分の弱い箇所で滞っています。縮んでいる関節をのばしてあげて、座禅もいいんです。鼻で息を吸って、丹田(おへその少し下で、背骨の下の部分)に流すイメージで吐きます。これを毎日します。


自分の体に向き合う、体に気や手を入れる、そのことを真剣に、気長にやらないと慢性の持病は治らないと思っています。私も完治したわけではないので、そんなに偉そうなこと言えませんが、腰をすえてかかった時、初めて根が生え育っていく何かが、病に勝つのだと思います。絶対楽な手段を選ばないように…

食事の大切さ

以前にもお話ししたことがありますが、私自身アトピーがひどくなって食事療法を余儀なくされました。もう1年半ほど前です。それまでは仕事中心の生活で、店の状況で自宅に戻れなくて外食が続いたり、当然お昼は市販のお弁当がメインでした。料理しようと意気込んで材料を買っても、全部使い切る前に捨てる時もままありました。


今は仕事をセーブして時間に余裕も生まれ、私にとって料理が家族の健康も支えるメイン仕事です。と言っていつも手の込んだ料理を作っているわけではありません。野菜中心の身体にいい料理です。この形を1年半続けたらいろんな変化が出てきました。まず精神的におだやかになります。1ヶ月半程前からいっしょに暮らしている息子を見ていてもそう思います。食の影響ってすごいです。大根1本パックのトマト3つも、最後まで丁寧に使う思いをもつと丁寧な生き方ができるような気がします。生け花に最後まで水の補給したり枯れた部分を取り除いたり…これが当たり前なんでしょうが、忙しすぎるとそこまで思う気持ちの余裕がありません。気持ちの余裕がないと、それがずーっと続けば多分健康にも影響するでしょう。今仕事バリバリの人を見ると「あぶないな、気をつけて気をつけて」と心で思ってしまいます。


特に我が家は、主人が糖尿病私がアトピーと横着したら結果はてきめんに出ますので、逆にいいバロメーターになります。息子たちも近い将来独立します。でもちゃんとした食事を身につけていれば、外食でも自分でコントロールできると思います。ですから、今子育て中のお母さんも、パートで収入があっても、いつも出来合いの食材を買うのだったら、家にいて手作りのものを食べさす方が、絶対心も体も健康な子に育つと思います。これは私自身の反省もこめたメッセージです。


慢性の病気の回復は一進一退、短時間でとんとんと回復することはありません。50年でついた内臓のアカは、取るのに50年かかると言われます。(だったら今からしても遅いか…と自暴自棄にならないで)一時はよい成分を入れることで、逆にどっと症状が出ることもあります。でも1年半かかって、薄紙をはくように少しずつ回復してくると、気持ちに確信が持てますし励みも出ます。手抜いたり外食が重なると身体がいやがってるなと感じます。漢方の先生の検診を受けると、「最近宿便がとれてきたね、でも甘い物食べ過ぎ、ごちそう食べ過ぎ」と言われます。あまりストイックにすることもありません。でも心の安定が身体の安定につながります。無理することないけど、もう一度ご自分の生活ふりかえってみて、出来ることから始めてみませんか!

桜前線を追って

4月24〜28日、4泊5日で、主人と二人、東北旅行に行きました。
それも桜を追って、コースも宿も決めない気ままな旅です。
今年は寒い日が多く、旅行の間際にも福島で雪が降ったぐらいで、インターネットで情報はリサーチしましたが、たずねるとまだつぼみという所もありました。
結果的に、1日目は、福島で下車、市内の花見山へ行き、白石市の鎌先温泉泊まり、
       2日目は、米沢・山形市内を歩いて、上山温泉泊まり
       3日目は、北上を歩いて、花巻温泉泊まり、
       4日目は、角館を歩いて、角館泊まり、
       5日目は、仙台を歩いて、帰途に。    …こんなコースです。
多分皆さん、東北と言っても、そんなにご存じではないと思いますので、順に詳しくご紹介します。今回は、フェリーやレンタカーも使わず、電車と歩く旅にしました。新幹線も充実していて、30分や1時間も乗れば、次の目的地に到着します。一見楽そうですが、これがなかなか…、だいたい1時間1本か2本しかないんです。(新幹線・在来線含めて)だから1本乗り遅れると、予定が全然変わってくるのです。今回はそれもありの旅のつもりだったんですが、ま、いつもの口げんかです。今回のような目的地も自分で決め、移動し現地を歩く旅をすると、夫婦でもお互いの性格をもろに見るし出てしまいます。なんで言い合いしながら、こんな寒い所歩いてるんやろ,やっぱりハワイでのんびりする旅行の方がよかったかな…フッと頭をよぎります。でも歩いたり、在来線の電車やバスに乗ったりすると、そこの生活を目にすることができます。東北ののんびりさもいろんな所で発見しました。現地の人は、その1時間1本を乗り継いで通勤や通学しているんです。駅からのバスを30分じっと待ってます。クラブなどで遅くなったらどうするんだろう?余計なことを考えてしまいます。また、電車がホームにいる時間が長いんです。多分本数が少ないから、乗り遅れる人がないよう目一杯待って居るんです。その間、電車のドアは閉まっていて、外側からも内側からもボタン一つで開閉ができるんです。きっと寒い時期が長いからでしょう。


かっこいい高校生のお兄ちゃんたちの東北訛りのあるおしゃべりに、ほのぼのしたものを感じます。彼らが成人して都会に出たら、きっと頑張って標準語使うようになるんでしょうね。今のままがいいのに。


次回は、訪れた土地を詳しくご紹介します。お楽しみに!

法話を聴いて

毎月第一日曜日、桑名別院において「人生講座」をいう法話の会が催されます。
今月は今朝あり、北勢町阿下喜の相願寺住職、片山寛隆さまのお話でした。
法題は「輪廻転生のつみ」です。内容はですね...
私いつも思う事なんですが、法話を聴いて、その時は「そうです、そうです」とか「あーそうだな」とか折々感じることあるのですが、いざ時間が経つと「今日のお話は...?」メモを見ても、細切れには記憶にあっても、大筋をつかめないことが多いのです。


ご住職は「それでいいのです。忘れていくのが人です。それより、聴法に多く出会う事の方が大切です」と言われます。先日お話聴いたご住職も「ちくわみたい、あっちから聴いてこっちから抜けてもいいのです。それより、よし理解したと思う方が、今度は自分の解釈にこだわったりする。その方が良くないことあります」と話されました。確かに本堂で聴いている人を見ても、年配の方が多いし、メモとったりしている人も少ないです。でもいつもちゃんと来られてます。頭じゃない、心に体に身につくってこの事かなと思います。


私自身は全く反対で、いつも頭で考えてしまいます。例えば体の動き一つにしても、「力をぬいて」と言われると、自分はそのようにしているつもりですが、「林さんは頭で抜こうとしている」と言われます。小細工が好きなタイプです。だから、折角法話聴くのなら、ちゃんとメモして忘れないようにしようとかします。形を作って満足するタイプで、本当に身についてないように思います。大らかな心になりたい、どうしたらそうなれるかな?

ここまで必要ですか?

先日テレビで一人暮らしの老人を見守るIT関係の技術を紹介していました。
例えば、ガスやポットを利用した場合、遠く離れた子供さんが、携帯電話を通してその利用状況が時間で克明にメールで知らせる、また、居間・台所・寝室等にセンサーを設置し、家の中で動いている状況が一目でわかるというものです。最初はすごい、こういう使われ方もあるのかと感心しました。でもよく考えると、その前にすることあるでしょうと言いたくなりました。当のご老人と何の会話もなく、見守ることの不気味さ。こんなことより、毎朝「おばあちゃん、おはよう!」と電話の1本も入れる、もし電話にでなかったら、様子を見に行ってもらうご近所の方とのパイプを日頃から持つ。そのことの方が大事で、だからご近所のおつきあいも必要になってきます。やはり他人さんに世話になったり、お世話したり…。それを抜きに、「いや、ウチはちゃんとやってます」と関わりを持つことを拒否する人が多い現代に、人情が薄くなるようで、「こんな風でいいのか、いいのか」とさびしくなります。


文明の利器は、今後もどんどん開発されていくでしょう。そしてそれが、案外手に届く範囲にあります。でも、特に子供を育てている間は、「これは本当に必要?いや、なくてもOK。我が家では、こうやっていこう」と判断基準を持つこと、そして、それにも優る心のふれあい、ぬくもりを一杯伝えることが大切だと思います。私自身、子育てに関して、決して十分ではなかったという自戒の思いの中でのメッセージです。

WBC“日本優勝!”

WBC、優勝しましたね。感激しました。試合もドラマチックでしたが、ワイドショーなどで見る一人一人の人間模様にも、すごく興味を持ちました。今回彼らの経験したことは、地位や名声でなく、ものすごい宝物だと思います。王監督のように、巨人時代日本一九連覇やホームランの日本記録を持つ人が、こんな感激は初めてだし、1番うれしいとコメントしています。外国で短期決戦、多くのプレッシャー、そして1度は負けを認める経験をした後のこの優勝です。感慨もひとしおだと思います。


イチローの言葉もいつも心に響きましたね。インタビューされてすぐ出る言葉。「うれしい」とか「感激」だの薄っぺらくありません。多分、彼は常にどの状況でも、理ぜめで物事を考えている人だなと思いました。ちゃんとした表現力があります。そして優勝した時の想像以上のはしゃぎよう、多分マリナーズに入団してのこの4,5年、孤独だったと思います。力の評価しかない世界ですから、黙々と自分を磨くことしかできません。人種の違いが理解できなかったり、理解されなかったり…。それが、言葉の壁もない、国民性の違いもない、1つの目標にむかって、いっしょにくやしがったり、喜んだり…。日本を離れてから久しぶりに味わった輪を離れる寂しさを、翌日メンバーと別れる時の彼の表情に感じました。


昨日のあの歓喜と、今日の祭りの後のような寂しさ…
1時間ほど前、チームは成田空港に着きました。到着・そしてインタビューが放映されました。その時のメンバーの表情を見て、私はびっくりしました。凱旋の喜びは伺えますが、昨日のように浮かれた表情はもうないのです。多分来週始まるシーズンにモードが切り替えられているようです。オリンピックの受賞者とやはり違うように思います。プロですね。

〈モヤモヤ〉の霧が晴れて

3月3日に共立病院でペットCTを受け、先日がんセンターの主治医から検査結果を聞きました。「ペット検査は今のところ異常なし、マーカー数はまた上がっているけどね。」「・・・異常ないんですよね?だったら異常ないと言う所を大きな声で言って下さい。モゴモゴって言わないで。私はその言葉をずーっと待っていたんですから」思わず言っちゃいました。医者の言葉って、「今はね」とか「先はわからん」とかネガティブですよね。


明・暗、天国と地獄…帰りの車の中では、うれし涙が出ました。生かされてる命を実感しましたし、何でもやらせてもらおうと心底思いました。あれから5日間、たったの5日です。モヤモヤが晴れて、スカッとしたら、そのスッキリにもう慣れてしまっている自分がいるのです。「喉元過ぎたら…」と言いますが、本当にそうです。だから、時々トントンと肩を叩かれるのですね。


昨日、「マザーテレサ」のDVDを観ました。あれだけ献身的に相手の立場を思いやる人は特別でしょうが、「神が云われることをしているだけ」「してあげているのではなく、受けた人の喜びが私の喜び」
…すごい人だと改めて思いました。


私も「異常なし」という先生の言葉に、思わず手を合わせて「ありがとうございます」と言った瞬間の、あの時の思いをいつまでも忘れずにいたいです。そして、今までは仕事・家庭・楽しみなど、すべて「私の…」から始まっていたものを、少しでも視点の巾を広げられる生き方をしたいと考えています。


PS:コメントしたいけど、文章苦手で公開されるのは…という方がいらっしゃいました。
   コメントいただいた時は、まず私のファイルに入り、読まさせていただきます。
   今までは、皆さんのご意見をこのブログで反映していきたいという私の思いで
   全部公開させていただいてました。でもご希望で公開×の方は、コメントの中で
   お伝えいただければ、公開致しませんので、その旨お書き下さい。
   私と致しましては、一人でも多くの方とお話したいという思いだけです。

「育てる」と言うこと

一昨日、テレビで“子供が危ない”というテーマで討論会が放送されてました。パネラーは、一緒に生活して子供の更正に携わっている人です。皆一様に言うことは、「親が悪い」でした。子供と真剣に向き合おうとしない親、母親のせいにする父親…そして、親が貧乏で必死で働いていたら、引きこもりもニートもない、なまじ親に余裕があって、親も子も「まあ、いいか」と思っているから、働きもしないでゴロゴロする、食べていける。・・・白熱した討論が続きます。


確かに自分たちがそこそこ贅沢していたら、親は子供に甘くなります。これで普通のレベルがグッと上がります。そしてそれが当たり前。でも、私も時々思います。昔はええとこの坊ちゃんは、そのままええとこの旦那でいけたんです。いわゆる上流階級です。今でもそんな人もいるでしょう。でも、ほとんどの人には絶対一生そのままでいける保証はない。だから、結構子供にはシビアです。


以前次男が5年間ほどアメリカに居ました。日本に帰る3ヶ月程前に、やっぱり1度は訪ねようと、主人とフロリダのクリアウオーターまで行きました。空港に迎えに来た息子の車を見てびっくり。常夏のフロリダでクーラーなし、ガラスに入ったヒビにはガムテープ、シートもボロボロ。これだけのポンコツは日本でも見られません。確かに2年目の頃、車がないと移動が大変だから、買ってほしいと言いました。でも私たちは万が一の事故を考えると心配でした。しかし相当不便な所らしくOKは出しましたが、資金は祖父からのささやかな援助だけでした。車を選ぶ余裕もなかったそうです。その車に3年以上乗っていたようです。最後の方で訪ねて良かった、もっと早い時期に行っていたら、「もっとましな車に…」と私の方から言っていたかもしれません。でも息子にはいい経験だったと思います。


「育てる」と言うことは、体を大きくすることだけではない。花に水やるように、あげてあげて…だけではダメだと思います。そのライン決めが親の役目。今大人になった自分の子供に接する難しさを感じています。

モヤモヤ・・・

今日はがんセンターへ検診に出かけました。
昨年3月・10月と少しずつですが、がんのマーカー数値が上がって来ているので、先月の結果を聞きに行きました。より少し上がってます。自覚症状はもちろんありません。乳ガンも異常なし・・・先生は首をかしげます。私の計っているマーカー数はアレルギーも影響するらしいんですが、この際全体の検査をしようということになり、来月ペットCTを受ける手続きをしました。


こんな事に私弱いんです。(クラーッ、クラーッ)
でも病院出てすぐに、いつも相談している友人に電話しました。「大丈夫、大丈夫。数値はね、気にしているとドンドン上がるよ。帰りデパートへ行って、おいしいもの食べて、ほしいもの買って帰り。検査は健康診断をしてもらうつもりで受けたらいい、もし何かあっても、早く発見できるんだから、ラッキーと思って!」あ〜、心強いお言葉。ええ友達です。


帰りは、ホントにおいしいもの食べて、ほしいもの買いました。デパートを1人で歩きながら色々なことを思いました。50才過ぎれば、誰でも何か心の奥にモヤモヤした悩みやら、心配事持ってはるんやろな。それを心の隅に隠して、みんなといっしょに笑ったり、楽しそうにしているんやろな?私の今回の事は、命に関わることという大義名分をかざして、好きにやらせてもらっています。単純ですが、紙袋が1つ増える事に「私って、幸せやな〜今死ぬとしても、本当に幸せな一生やった」と思えます。まあ、こんな人間ほどギナギナ長生きしそうな気もしますが…。


先日もお話しましたが、「身に起こることは、受けて立つ、腰の据わった生き方」を教えてもらっている気がします。こんなことまで、ブログでお話していいのかな?とちょっと思いましたが、私も含めて、生きていれば何かあるけど、みんなで楽しく頑張っていきましょ─というエールのつもりです。

初体験。

 昨夜12時頃、電話が鳴りました。「彦根市立病院救急センターです。今先生に代わります」・・・・・10秒ぐらいでしょうか?「長男だ。事故?病気?・・・・・」短い時間にグルグル回ります。内容は、息子が9時頃出先で気を失って運びこまれました。とりあえず名前と連絡先は話せたが、今どこにいるとか、何度も説明しても忘れる、すぐ又たずねる状態です。今までの検査ではどこにも異常がないので、すぐ来ていただく必要はありませんが、連絡させていただきましたーということでした。心の中で、振り子を振るな、振るなと自分に言い聞かせながら、先生の言葉を信じました。朝、本人から電話があり、今普通にしているけど、倒れてから朝までのことを、全然覚えていないと言うことでした。上司もすぐ行って下さり、状況を連絡もらったので、彦根までの道中は、もうそんなに心配せずに行くことができました。


 私には、30才の娘と、27才の双子の息子がいます。3人とも事故も大病もすることなく、こんな経験は私自身初めてでした。今回の事で思ったことは、これから色々な事が起こるのだろうな?私みたいに気のちっちゃい人間は、考えただけで「やだやだ・・・そんなことありませんように」ーと祈ってしまいます。思えば、私の祖母は10人の子持ちでしたが、祖母の50・60代は、誰かが病気したり、お産したり、孫が病気だったり・・・それの看病で振り回されていました。ですから、私は一人娘でしたが、「10人いたら、楽しみも10人分だけど、苦しみも10人分(その倍かもしれません)。かかる子は1人。1人いたら充分」と口癖のように言ってました。私は今日の経験で、祖母は大変だっただろうな、強かったなと改めて思いました。


 たまたま、昨日桑名別院で有志の方で、信仰とか体験談とか自由に話す場に参加させていただきました。その中で、「車にご祈祷してシール貼ったら交通事故しない、お札買ったら合格する・・・世の中そんな上手い具合にいきません。信仰の根本には、すべて受けて立つと言う、腰が据わった生き方が大事」というお話を聴きました。その言葉と今日の出来事が合わさって、「こんな事に1つ1つ会いながら、腰を据える体験をさせてもらうのかな」としみじみ思いました。そして、家族はもちろんですが、勤め先の皆さん・内の社員・知り合い・・・多くの方に心配していただいたことを、有り難いな、これはちゃんと当の息子にも伝えようと、先程まで主人と話していたところです。

感動!!!

hpdc0127163.jpg
一昨日、私の入っている会主催で、コンサートを開催しました。
後藤いく子さんといって、クラッシックから、カンツオーネ、ポップス、自作の曲と幅広く歌われる方です。昨年11月、後藤さんが毎年開催しているリサイタルに出かけ、その歌声、曲のジャンルの広さ、そして、トークの温かさに感動して、絶対桑名へお呼びしたい、私たちの会でコンサートを開催したい・・・そんな思いに駆り立てられました。


私たちの思いをご理解いただき、会場や日程もトントンと進み、当日を迎えました。私は何にも知らず、ただピアノとマイクがあればいいと簡単に思っていましたが、音響器材の搬入、設置などなかなか大変です。桑名の名所である六華苑に隣接するレストランを借り切って行いましたが、1時半スタートに、朝の9時から準備・リハーサルです。


いよいよ始まりました。「オー・ソレ・ミオ」の歌に合わせて登場です。
その後、イタリア語による「この胸のときめきを」、事前にリクエストもお願いしてありましたので、その他「早春賦」など唱歌、「月の砂漠」「アメージング・グレイス」・・・ご自身の作による曲も間に、トークも入れながら、プログラムは進みます。60名近い観衆の中で、目頭を熱くしている人もたくさんみえました。プログラム最後の曲が終わって、1度退場される時、私は立ち上がろうと考えていましたら、その最後の曲の途中で、立ち上がって、私の方を振り向き、「みんな立って」というジェスチャーをされる人がいます。スタンディングオペレーションです。手拍子も段々大きくなります。


アンコールで戻って来られて、歌われたのが「イヨマンテの夜」(これも私共でリクエストのあった曲ですが)。これを聴いて、ポロポロ涙する会員さん、後でお聞きしたら、来月お父様の50回忌、そのお父様の大好きな曲が流れて、もう感慨無量・・・私にも、涙声で話してくれました。


そういう私は、11月に桑名へお呼びしたいという思いが、皆さんのおかげで、こんなに早く実現し、こんなにも皆さんに感動してもらえた・・・その喜びの感動で、もうウルウルでした。会員さんの動員・準備など、ちょっと大変でしたが、この手の感動は、何十年ぶりでしょう。疲れも吹っ飛びました。


「こんな事をやりたい。やれる。やろう。」・・・念づれば通ずです。


後藤いく子さんのホームページ、ご覧下さい。
『後藤いく子・夢の旅人』へのリンクはこちら 

大好きなコンサート

昨日、アルフィーのライブがレインボーホールであり行ってきました。座席がアリーナの17列目の真ん中でもう行きの道からルンルンです。チケットは一ヶ月ほど前に送られてくるのですが、受付順でもないので送られて席がわかるのです。がっかりするぐらい、ひどい席(遠い遠い)もあるのです。
アルフィーはもう20年以上、間で時々お休みしたこともありますが、だいたい年に1回か2回行きます。このグループのサウンドにはまって4,5年目頃からは、アルバムはほとんど買ってマスターし、連れを誘わず一人で行くんです。回り知らない人ばかりですから、もうノリノリです。イントロを聴くだけで、今度どんな歌かわかって、それもいい気持ちなんです。そして、帰りの車の中では、CDをバンバンにかけて、ライブを思い出しながら、もう至福の時間です。


こんな話興味のない人には、「ヘえー、ほおー」の世界だと思いますが、日常から離れて自分の好きなことに没頭できる時間って、貴重だし大切です。他にも好きなこと色々ありますが、ライブはこの歳になって、ほとんど立ちっぱなし、腕ふりあげて体を動かすのは、エイーっというエネルギーがないと気持ち的に場に負けます。でもアルフィーは年齢は私より1,2才下のはず。彼らが続ける間は、頑張って行こうと思っています。

お寺さんへ行きましょう。

今日は懇意にしていただいているお寺さんの報恩講の準備のお手伝いに伺いました。大きなお寺さんですが、70〜80名の方が寄って、お磨き、お華束さん作り、本堂・書院・庫裏・境内・お庭の掃除と皆さん手際よく分担されてすすんでいきます。お昼前にはほぼ終了し、お磨きされたお仏具で荘厳され、窓も床もピカピカです。そして皆さん一同にお昼をいただきます。3升炊きで2杯炊かれた五目ご飯、たくさん炊くので、これがまたおいしいんです。


お寺さんのお手伝いというのは、ボランティアなどとは又違う思いがあるような気がします。いつも仏さんが「よう来てくれたな。みんな仲良く頑張ってやってくれよ。ごくろうさん、ごくろうさん。ありがとう、ありがとう」と言ってくれているように思うのは、私だけでしょうか?皆さん同じ思いを持って集まってみえてるので、ベテランさんも新米も上手くかみあい、又それが受け継がれていくのだと思います。


昨今心療内科にかかっている方が多いと聞きます。確かに専門の先生に診断を仰ぐことも必要と思いますが、そんな方は、今日のような行事に参加されてはどうでしょう?お手継ぎのお寺さんでもいいですし、遠方ならお近くのお寺さんでもいいと思います。お寺さんは門徒云々でなく、「ようこそ、ようこそ」の世界ですから、門戸を開けて待っていられます。
私も昨夜から頭痛と寒気で風邪ひきそうでした。ですから、今日はホッカイロを2つもはり、しっかり防寒して行きました。でも無心にお磨きしたり、お茶碗洗ったりしていたら、風邪っけがどこかへ行ってしまいました。ちゃんとお守りしていただいているんですよね・・・

出会いと別れ

昨日(3日)は友人の息子さんの結婚式に出席しました。
最後の新郎のお父様のご挨拶の中で、「この2人のいたらぬ点もあると思いますが、それは私共親のしつけのいたらぬところです。これから歩み始める2人をどうかよろしくお願いします」と言われました。これに続いて新郎は「今日ほど、両親を初め多くの皆さんに感謝した日はありません」と挨拶の中で言われました。


昨今、たくさんの方をお呼びする披露宴を敬遠する向きもあります。
でもこの披露宴に出席して、多くの方が祝福し涙するような熱い思いは、きっとこの若いカップルも肌で実感したことと思います。そんな中で二人が宣言することは、きっと人生の節目には大切なことだな・・・と改めて感じました。


この二人の出会い結婚で、それぞれの家族が2倍の家族に増えるのです。これから赤ちゃんも誕生するでしょう。だから、結婚というのは、好きでいっしょになった、きらいで別れた・・・という簡単なものではありません。それぐらいご縁の不思議・重みをしっかり理解することも大事だと思いました。


そして今日(5日)は叔母の葬儀がありました。遠方(和歌山県橋本市)なので、告別式だけというあわただしいお別れでしたが、行ってよかったです。さよならもちゃんとしないといけませんよね。
私の父は10人兄姉で、1人だけ若死にしましたが、後はみんな夫婦で元気で、今日もほとんど皆さん参列しました。今日の叔母の85才を皮切りに、83・81・80才・・・順に続きます。叔父や叔母を見ていて、5年後・10年後には顔ぶれも変わるだろうな。(自分だって保証はありません)改めて思いました。


期せずして、この2日間に出会いと別れを見せていただき、「回る回るよ、時代は回る・・・」というフレーズを思い出しました。出会いも別れもないとずっと変わらないような気がしますけど、1日として回ってない日はないんですよね。毎日毎日自分も気がつかない所で、ちゃんと時代は回っている。その中にいる自分だし家族や友人なんです。改めて、大切にしなきゃと思いました。

体温と表情

最近読んだ藤本義一の本の中に、こんなことが書いてありました。
「体温と表情が人の成長には必要」と


子供が良いことしたり成績が良かった時、部下が契約をした時・・・そんな時、親や上司のうれしそうな顔と、「よくやった!」と肩に手を当てたりするその時、その人は大きな自信を持ち、喜びを分かち合う。人はその時成長する・・・と言ってます。


確かに言葉も大切です。でも、それはメールなどでなく、ちゃんと眼と眼を見合わせて、豊かな喜びの表情の中での会話、そして、肩においた手や握手などで感じる暖かさがいいんでしょうね。


私が整体のインストラクターの勉強をしていた時、ツボが正しいかどうか自信ないですと先生に言ったら、「恵美子さんのこの人を治したい、楽になってほしいという思いと、受ける人のこの人のおかげで楽になれるという思いが合わさった時、少々ツボがずれていても、チャンと合って、効果でるんですよ。それぐらいハンドパワーってすごいんですよ」と言われ、私は理屈でなく思いだけで勉強しない劣等生でした。(余談)


インターネットやメールが盛んな今の時代、この「体温と表情」の大切さを今一度考える時だと思いませんか?今の状況を黙認していると、変な人がもっともっと増える気がします。だから、公園などで思いっきり遊ばせることもできない。でも外で思いっきり遊んでない子供が10代・20代にどんな人に成長するか・・・想像するだけでこわいと思いません?引きこもりももっと増えるでしょう。


ですから、子育ても昔より今の方が、ずっとむずかしいと思います。「これはいい。これはまずい」というアンテナをしっかりはって、良いことは即実行です。
今日は「体温と表情」について、一度お考え下さい。

みんなで力を合わせるということ

先日の12日と13日、ご縁あって大きなイベントに携わらせていただきました。
12日は、桑名法人会が主催する「子供税金クイズ」です。
今 回で15回目、3〜6年生の小学生が、税金に関する問題を○×方式(昔あった天才クイズと同じです)で行われます。今年は参加児童が850余名、付き添いのご家族を含めると1200人以上の方が参加されました。賞品もコンピューターや旅行券・図書券など豪華版です。
 クイズ終了後は「お楽しみ抽選会」。こちらも会員皆さんの協賛などで、映画券やお花など種類も数も大サービス。最後には、20インチの液晶テレビが当たりました。
 この開催・運営を50名ほどの会員で行います。各小学校へ申込書を届け、後回収。当日の会場運営も参加する人が多いのでたいへんです。
 また、終了後、会議室を借りての打ち上げ、ご苦労さん会。これもテイクアウトと会員さん手作りのお料理で、これが又すごくおいしくて、皆さん食が進みます。2時間あまり、誰も帰ることなく、最後まで盛り上がりました。


私はイベントの成功というのは、そのイベント自身が盛況で滞りなく行われたことでなく、携わったスタッフの皆さんが、喜んでくれ、又やりたいね、と思ってくれることだと思います。こんな大きな行事は、一部の人でできることではありません。そして、それぞれの担当に当たった人が、一所懸命気配りをし、汗を流すことが成功につながります。今回のイベントは、まさしくそんな感じで進んでいきました。皆さんに心地よい達成感を味わってもらえました。そして、そのヘッドにいる私は、本当に皆さんの協力のおかげと心から感謝しました。


また13日は、我が家のお手継ぎのお寺さんの本堂落慶法要と蓮如上人五百回忌御遠忌が行われ、父は総代代表、当社が本堂寺具を担当させていただき、稚児行列の前に在家でお参りいただく宿もさせていただきました。30名余のお寺さんが我が家にみえて、てんやわんや。30分余りバタバタでした。その後、稚児行列に参加して本堂での法要。お手継ぎのお寺さんの大事業に関われることも、やはり幸せなことです。終わって片づけの後、これを機会に門徒の皆さんとも集まろうということになりました。


イベントを開催するということは、本当にエネルギーのいることです。でもみんなで1つのことに向かっていく時って、又別のエネルギーが生まれ、輪がどんどん大きくなっていく喜びがあります。そして、参加された皆さんの中に連帯感も生まれます。このご縁が生きていく上で一番の財産ですよね。連チャンでたいへんでしたが、終わって快い疲れを感じた週末でした。

いいお話(地球の真ん中に関連して)

もう一つ、とっておきのお話をします。
私がガンの治療中の話です。
手術後の回復は順調だったんですが、病理検査の結果が3週間後に出て、どうも元気なガン細胞らしく、飛び回っていたので、放射線を25回受ける診断がありました。事前に先生や何人もの看護師さんから、放射線の副作用の話がされます。照射されたところは、原爆を受けたのと同じで、子宮を当てれば腸にも当たってしまいます。ですから、下痢症状が出ます。体もだるくなります。皮膚は一時ケロイド状態になることもあります。・・・
もう聞いているだけで調子悪くなりそうです。


始めてすぐに、下痢症状があり、日に日にその回数は増えていきます。1週間頃から10回以上・・・すごい下痢です。その頃、話によく登場する整体の先生がこんなことを話しました。「昨日はもう過去。明日はまだ未来。もっと細かく言えば、1呼吸前はもう過去、その過去も未来も何にも考えない、この今だけを考えて。その今の症状、本当に我慢できない?」と正面から私の目を見て身ぶり手ぶりで話しかけられました。「この今・・・」「ウ〜・・・ン???」「ひどい下痢の経験もあるし、お産も経験したし・・・、ウン、がまんできそう」と私はこたえました。

先生の話は続きます。「ネッ、昨日は下痢が12回、今日は15回、明日は何回・・・?、って、自分で過去を思い、未来を憂っている。自分で自分の振り子を振って、実際の症状より重くしているのは、自分自身なんです。振り子を振らない、今をよし!よし!って、過ごし方してみたら?」


病気をしてると、その感覚すごく理解できます。以前はこんな症状でなかったのに・・・そう思っている時って、実際の今の症状以上に大きくして明日を心配してしまいます。そんな経験ってありませんか?
この振り子の原理、病気ばかりではありません。日常の中で色々使えます。何かトラブルが発生した時、「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ・・・」といいながら、自分でドンドン振り子をふって、事態をおおげさに受け止めることって、ありませんか?1つ1つ考えて、振り子を小さくすると、案外大したことでない場合も多いです。一度試して下さい。


おかげさまで、先生の話を聞いてから、照射受ける時も何にも考えない(元々痛くもない治療ですから)、大きな放射線室で一人受けている時は、ずーっと、童謡を歌ってました。「○回終了」と力んでカレンダーに×印つけるのも止めました。そうしたら、20回すぎた頃、全く副作用がない状態になって、医師にたずねたら、「珠にこんな人いるんです。体に変な抵抗がないから、順化するんです」と言われました。


心の振り子を振っているのは、他でもない、自分自身です。

叔父の話

ネタに困ると、身内の話を持ち出すクセがあります。
今日は、私が初めて子供を産んだ時お祝いに来てくれた時の叔父の言葉をご紹介します。


「子供はな、5つか6つまでに一生分の親孝行してるんや。こんなちっちゃいまだ物言わん子でも、この子が笑っただけで、家中みんながニコニコや。これが歩いた、しゃべた・・・じいちゃんなんて言われたら、もうメロメロや。この子のおかげで一生懸命働く気にもなる。そやのに、中学や高校になって反抗し始めると、誰のおかげで大きなったんやの、文句の1つもでてくる。もう、それまでに子供からいっぱい幸せもらった事忘れてな。子供はな、20才か、大学卒業したら社会にお返しするつもりで、育てなあかん。親の為やない、社会で充分通用する人にするために・・・と考えたら、おのずと躾ないかん事、教えないかんこと、はっきりしてくる。今は親の思う道に進めたいがために、躾もようせん親が多い。ずーっと自分の子と思ったらいかん。」


確かこんな事を話していたように思います。その時は実感ありませんでしたが、この言葉は子供の成長の節目節目に思い出します。いくら優秀な頭脳であっても、社会性が育っていなければ、その子は不幸です。私はなぜか、親が死んでもちゃんと生きていける子に育てようーと言う思いがありました。だから、小学生の頃、雨が降ると学校へ傘持っていく親さんもいますよね。歩いても10分足らず、一度濡れて帰ってくれば、こんな時は用意がいるということも、身を持って知ります。又、友達に頼んで一緒に帰ってきたりします。車で送って行ったりも、もし私が死んでやってもらえなくなったら、子供は余計に不幸と思う。ならと、余程の事がない限り、他のことについても、これは自分の判断で、親がでるべき、手を貸すべきでないと思う事はしませんでした。自分でするのが当たり前なことに、親が手を出す必要ありません。


おかげさまで、子供3人とも独立精神旺盛です。叔父がお祝いにきてくれた時の長女も来月で30才になります。もう充〜分、親孝行してくれました。だからそろそろ・・・と思うのは、親の勝手な思いでしょうか。

ガン検診してますか?

今日、半年ぶりに検診でがんセンターへ行ってきました。
手術して2,3年は、もっと頻繁にきてましたし、自分の庭のように誰か知ってる人いないかと思いながら闊歩してました。それが、5年経ち、半年に1度になると、久しぶりのせいか、フッとこわさを感じます。色んな科にいる多くの患者さんを見ていると、この人たち一人一人にドラマがあり、涙があったんだろうな、ここに入院している患者さん(すごい数ですが)すべてに、いろんなドラマがあるんだろうな・・・と思うと、自分の身近にいないのが、不思議なくらいです。今3人に1人はガンになると言われています。でも、ガンは発見が早ければ、そんなにこわい病気ではなくなりました。


私自身も、再検査要という友達の話を聞いた翌日、市民病院の近くに仕事があり、ちょっと気になる事があったので、その帰り診てもらおうと立ち寄ったら、即答「ガンです」と言われたんです。ガン家系でもないし、本当にひっくり返るぐらいショックでした。でも、今思うと、友達の話やその仕事がなかったら、多分病院へ行かなかったし、もっと発見が遅れていたと思います。ですから、皆さんも検診をちゃんと受けて下さい。寿命はあると思いますが、悔いは残したくないですものね。

義父のこと。

先日は、私の祖母のお話をしました。今日は、義父(主人の父)ことを話します。義父は15年前、74才で亡くなりました。地位や肩書きの関係ない、農家のお父さんでした。お酒が入って、気分良くなると戦争の話になりました。多分父の人生の中で一番スリリングなスポットを浴びた時期なのでしょう。いくつかのエピソードの中で、父の人となりを知っていただきたいと思います。


今も展示会は行なっていますが、父が元気な時、いなべ方面(主人の実家方面)で開催すると、その搬入搬出に手伝いに来てくれました。父と私で下働き程度のことをやりまして、「お父さん、一段落したら、送っていくからね」「おいおい」・・・そんな会話をして、しばらく、「さあ、帰りましょか」という時には、父はこっそり帰っていないんです。


長女の入学祝いをいただいた時も、孫を連れて、自宅から15〜20分自転車に乗り、そこから電車で1時間かけてきてくれました。車なら30分程でいける距離です。「帰りは途中で自転車も車に乗せるから、送っていくよ」といっても、「ええよ、この子も電車乗るのを楽しみに来たから」・・・まだ寒い時期でしたが、桑名駅まで送って、孫と手をとって帰って行きました。


元気な頃は、古仏壇の焼却も頼んでやってもらいました。それも「あいてる畑でやってくれる?」「オイオイ」。すぐに実行です。本当は結構大変なことです。大きさも色々、そのままでは、炎が大きくなるので、ある程度分解して、金物もはずしてから焼却します。焼却後も灰と金物などちゃんと分けてありました。
でも、お父さんの口から、大変だとか、やってあげてるという言葉はありませんでした。


まだまだ色々なエピソードがありますが、本当に自然体で、いっしょにいてもすごく気楽に接せれる人でした。「我が、我が」のない人でした。私も子を持ち親ではありますが、こんなにも見返りも評価も求めず、義父のような親業ができるか?自信ありません。ですから、この遺伝子は、是非主人から子供たちへ、受けついでいってほしいと願ってます。

祖母のこと。

今日は私の祖母のお話をします。22年前、82才で亡くなりました。
父は10人兄弟。貧乏人の子沢山です。
祖母は子供が病気になっても治療費が払えないから、病気や怪我をしないよう
必死で祈りました。それが信仰に入るきっかけです。
私は一緒に住んでいましたが、私が物心ついた頃は、毎朝食事前に1〜2時間かけてお参りしてました。別院さんの役もしてました。おかげさまで、叔母が1人50代で亡くなりましたが、後は83才を頭に9人みんな元気でいます。


このばあちゃん語録がいくつかあります。3つ紹介します。
�@人間にはみんな生まれた時から決まった「おだい」がある。 
       ※「おだい」って、食べたりお金使ったり、生まれていただくものという
         意味と思います。
    だから、若い内に使い過ぎないように、分相応で使うように。
�A「物には慣れよ、人には添うてみよ」
    人は接してみないと、性格は解らない。
�B「人のために汗流せ」
    自分のことや、金儲けで汗流すのは当たり前。
    他人さんのために汗流すことが、「徳を積む」ということ。
    このお徳は自分の為やない。子や孫の代になるとちゃんと出てくる。


そして、信仰を持っていたせいか、老いや死の受け入れ方も見事でした。旅行も好きだったし、元気で明るい社交的な人でしたが、最後の数年は、ほとんど部屋で糸紡いだり、裁縫したりしてました。でも、元気な頃と比べて情けないと愚痴ることもなく、「お与え」が口癖の人でした。 
 老衰で亡くなりましたが、余程体がつらい時は往診もお願いしましたが、最期の時は、医者もいいと言い、朝「おだいがなくなった」とポツリと言って、その夜、引き潮の時、本当に眠るように息を引き取りました。お見事でした。当時幼稚園児だった息子が、焼き場の鉄の扉を閉められた時、天国へ行く扉だと、ふっと言った言葉が印象に残っています。


私も、私が生まれた頃の祖母の年齢になりました。だからでしょうか。最近よく祖母のことを思い出します。少しでもあやかりたいです。

 

無碍(むげ)

時々話題に出しますが、私はアトピー体質です。今季節の変わり目もあってか、調子悪い時も多いです。今もそうです。そして、明日から3日間家族で北海道へ行きます。「治れ治れ」焦るほど、遅々としてます。そんな思いを持って、別院さんの彼岸会の法話を聴きに行きました。今日は以前から聴きたかった菰野町の翠巌寺ご住職です。1時間半色んな角度からお話されましたが、今の私の心境に「ピタッ!」ときたお話を2つご紹介します。


1つめは、「無碍(むげ)」という言葉です。先生の解釈では、生まれて今までにいただいたもの、身についたものが「業」です。その業を業として認め、引き受ける、背負うことが、無碍といいます。


2つめは、ある人が「どうしてご本尊は蓮の上に立っているのか?」とたずねたら、ご住職の師にあたる人が「あんたは、どこの上にたってるか?」と逆にたずねられました。その時、ご住職はドキッとしたといいます。どこの上に立って物事判断しているか、ソロバンの上に立っていないか、人と比べたり、物で判断したりしていないか、そして、そこに立っている自分に気づいているか・・・


私はこれを自分が時々悩むアトピーと合わせて考えてみました。他人が見たら大したことなく思えても、特に顔に出ますから、不快だし、自分で見れない分、今どんな状態かすごく気になります。なんで・・・と今だに思います。でも、今日のお話を聴いて、これが私の業なら、もう50才も過ぎたんだし、認めて引き受けなきゃ仕方ないか。少しですが、思い始めることができました。


もう1つ、私がこんなに外見にこだわるのは、多分自分が人を見る時も、そんな判断の上にいるからだろう。私が外見にこだわらない、本質で人を見ることができるようになったら、私自身も楽になるだろうと思ったことでした。

この時期、いいお話を聴かせていただきました。これもご縁ですね。

代々受け継ぐということ

あるお寺さんで本堂修復工事をいただき、今日その引き取りがありました。このお寺さんは父の代からご愛顧いただき、引き継いで私達も懇意にしていただいてます。そして、今日の引き取りには、職人として修行中の息子も同行させていただきました。


私は跡取り娘でしたが、女ということもあって、そういった関わりはなく、結婚した主人がやってくれてましたので、私自身に引き継ぐという意識は店頭でしかありませんでしたし、特に若い頃は結婚やら子育てやらで、大きな経験もあまりありませんでした。。でも、駆け出しの息子が関わらせていただいたお寺さん、彼が一人前になり、その後もずーっとお守りさせていただく・・・これが代々のれんを守ることなのかなーと息子の姿を見ながら思いました。本堂修復というお寺さんにとって一大事業のこの重みをしっかり受け止めて、経験を積み重ねていってほしい・・・我が息子に願う思いです。

「バラバラでいっしょ〜みんなちがって、みんないい〜」

これは、平成10年に行われた、真宗大谷派(お東)蓮如上人五百回御遠忌のメインテーマでした。ここに関連する金子みすずさんの一編の詩があります。

「私と小鳥と鈴と」
  私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥は私のやうに、地べたを速く走れない。
  
  私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
  あの鳴る鈴は私のやうに、たくさんな唄は知らないよ。

  鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。


この詩を読むと、ホッとしませんか。そうなんだよな・・・
親子、兄弟、夫婦もそれぞれが個性の輝いた命をいただいて、
生きているのです。そこから出発しているのです。


普段何げなく使う言葉に「お兄ちゃんはいいけど、この子はね・・・」言いますよね。
他にも、みんなと一緒なことに親としては安心することもあります。
また、職場などで、私がこんなに一生懸命やっているのに、あの人は・・・
誰でもこんなこと思う時あります。
その時、「みんな違って、みんないい」この言葉を思い出すと
自分がフッとやさしくなれるような気がしませんか。
その後に思うこと、『バラバラでいっしょ』

ブログを初めて2ヶ月。

このブログを初めて、そろそろ2ヶ月になります。
「何かおもしろそう」でスタートしましたが、途中でネタがなくなったらどうしよう、
私の熱しやすく冷めやすい性格でいいかな?・・・とか当初思いました。
話しかける対象者があるようなないような、当社のホームページ開けてくれる
人が果たしているのか、まして「かわら版」なんて・・・
そんな時、ホームページやブログについて体験もふまえて色々教えて下さった
小林結納店のご夫妻から、「5年続ければ、きっと成果は出てくる」とアドバイス頂き
ました。小林さんはもう10年、すばらしいホームページです。
http://www.yuinou.com/

またブログの担当の方に、3ヶ月すると、同時期スタートの数の3分の1になるとも
言われました。「よ〜し!」やる気がメラメラと湧いてきます。
おかげさまで、書きたいことは、今のところ結構浮かんできます。

初めて1ヶ月ほど過ぎ、続けれそうと思った時、友人や従姉妹たちに「こんなの
始めたから1回みて」とこちらからPRしました。見ていただける人も少しずつ増えて
いきました。

最近では私のつたない文章にコメントをいただけるようになってきました。
この管理画面でコメントの件数が前日より増えていると、めっちゃうれしくて
ワクワクしながら、画面を開きます。その文章も公開させていただいております
ので、[コメント]をクリックして、ご覧なって下さい。
このコメントが多くなると、1つの発信から、色々な意見を聞くことができそうで、
深い展開ができそうな気がします。
是非、皆さんもドンドンご意見お書き下さい。

選挙から1週間。

誰もが予想しなかった自民党の大勝から、早1週間。
ワイドショーや報道番組で、注目の選挙区にスポットをあてた番組も、評論家といわれる人の意見も出尽くしたように思います。比例区での思いもかけない当選者の出現に、この選挙法も知り、その疑問も持ちました。


また、一昨日は民主党に前原新代表が誕生しました。43歳ということで、若すぎるのではないか、管氏のように以前の代表をひっぱり出す程、民主党には人材がないのかという声もあります。が、この前原代表、話を聞くほどに、いい線いってます。野党というと与党の批判か反対というイメージがあったのですが、氏は外交・安保にも精通していて、与党と同意見の部分もはっきり言うし、同じであっても切り口で異なる事も、ちゃんと説明されます。理路整然と端的に話され、同席していた評論家が「彼はウソ臭いくない」という表現をしていましたが、成長楽しみな人物だと思います。


私は、正直この2ヶ月前まで、政治にもそんなに興味はありませんでした。今回の解散劇・その後の選挙までを関心もってみていく内、そして、今度の結果を見て、21日に招集される特別国会、その後の国会中継も録画して観よう、新聞もよく読もう、選ばれた国会議員の活躍・動向に関心を持とうと思ってます。


選挙時だけ関心持つのではなく、これから次の選挙までちゃんと見守ることが、間違った方向にいかないために国民が唯一できることです。(何かすごい偉そうなこと書いて自分でもびっくりですが)無党派層の若者が感心を持った今回の選挙、その思いをブームだけで終わらせたくないというのが、私の心境です。

親になる準備

一昨日、初めて万博に行ってきました。ニュース通りすごい来場者で、60分待ちはまだましな方、その上暑くって、本当に疲れました。会場で目についたのは、子供連れの方が多かったことです。当然平日ですから、子供さんも小さくって、2.3才、1年に満たない子もいます。あんな小さい子に万博の楽しさはわかりません。まして、1時間も2時間も待たされて、汗びっしょり。ぐずる子もいれば、グッタリの子もいます。子供がいい迷惑です。

ちょっと見、娘さんのようなお母さん、お母さんのようなおばあちゃん、みんな若いです。でも気持ちまで若いというか、未熟です。ここは子供を連れて来るには小さ過ぎる、おばあちゃんが孫の面倒をみて、若夫婦だけに行かす・・・グッと我慢することも必要なのでは。


こんなことを思っていたら、ある講演の話を思い出しました。布おむつと紙おむつの違いです。おむつとは、母子のコミュニケーションで、布はちょっと濡れても不快なので、泣いて訴えます。親も替えたばかりでも、濡れているとわかれば、1時間も経っていなくても替えます。布ですからその後、洗濯して干して畳むという手間もかかります。これが親の忍耐力を作るそうです。赤ちゃんも訴えれば心地よくしてくれる存在を認識します。

でも紙おむつは、質も良くなって、少々の濡れぐらい本人も気になりません。親も3時間は大丈夫と思っています。すると赤ちゃんも段々訴えなくなります。確かに手のかかり方は楽になるでしょう。でもその講師の方が言われるには、その手間が親になる準備期間だと言われました。


その時期は問題なくても、10代や20代でおかしくなる人も多いです。後で泣かないためにも、今しっかり親をする必要あるとおもいませんか?

祝5年!

私は5年前がんセンターに入院してました。入院中、乳ガンの人は朝夕
入院患者用の玄関ホールで体操したり、近くの公園を散歩したりしてました。
私は子宮ガンでしたが、なぜか1人いつも参加していて、皆さんと仲良くなりました。
ですから、その後毎年行く1泊旅行にも声かけていただいてました。


そして今年は「祝5年!」ということもあって、この10.11日で10人の方と出かけました。私の中では「よし、5年。ガンよさらば」でした。
でも集まったみんなの話は、薬の話や他の人たちの情報でした。
帰りがけに聞いた話では、乳ガンの場合、5年間のホルモン投与などがあり、
最近やっと薬が終わり、その後の色々な情報を知りたいという事もありました。
実際抗ガン剤の治療を受けている人もいました。その中で、毎月会って食事会を
している人もいました。


以前、2年目頃にこの仲間で旅行に行ったことを、私の主治医の先生に話したら、「順調に回復したら、ガンから離れた方がいいよ。体調に自信がついたら、早く現場復帰して、ガンを忘れて発病前のつきあいをした方がいい」と言われました。聞いた時は、ドライな先生だな、あの時のつらさを分かり合える仲間がいることはいいことなのに・・・と思っていました。


今でも、ガンを患ったことを忘れることはありません。でも、今元気だから言えることかもしれませんが、いい経験をさせてもらったと、ガンに感謝してます。まして、5年元気でいれた今、再発の恐怖に怯えることより、今の健康を喜ぶ毎日の方が体にもいいと思います。今回同行した皆さんも思いは一緒なんですが・・・何か違うんです。先生の言葉の意味が解ったような気がします。
今回を一つの区切りにしようと、心の中で思いました。

「愛」の反対語は?

以前ご紹介した「お寺に嫁ぐ娘さん」の結婚式が今日執り行われました。
間衣(かんえ=ご住職が着られる黒い上衣)を着た方が多く、どんな結婚披露宴
かなーと思っていましたが、祝福する心は皆同じです。
ご挨拶の中で印象に残ったお話を二つご紹介します。


一つは、マザーテレサの言葉だそうですが、「愛の反対語は・・・?」
答えは、「無関心」です。
人は関係を持ち、関わり会いながら、愛をはぐくんでいくーのだそうです。
この説明を聞くと、普段何げなく使っている「無関心」という言葉が
すごく冷た〜く感じませんか?


二つめは、「畳みのような存在」
畳みの上の人でいる内は、あの人が好きだの、きらいだの・・・
仲良くもするけど、争いもあります。
もし畳のような存在になれたらーみんなを受け入れる、なくてはならない存在です。
今、母親に求められているのは、「畳のような人」かもしれません。

お寺へ嫁いだ(嫁ぐ)娘さん

昨日、お寺へ嫁いで5年目、もう1人は来月嫁ぐそんな娘さん2人と私の3人で
食事をしました。年齢は2人とも20代後半です。
私の立場からお寺というものを見ると、普通のお家よりはたいへんだよな・・・
と思います。でも彼女たちの話を聞いていると、なんせ明るいです。


たまたま好きになった人が、お寺のひとだったという感じ、2人とも在家の
娘さんですから,想像以上、以外だったこともたくさんあると思います。
「えーッ!」「どうするの・・・?」そんな局面とあったはすだけど、
「やらなきゃ、仕方ないしね」「何とかなりますよ」ーそんな言葉が無理でも
背伸びでもなく、自然体で出てくるんです。


よく雑誌の特集なんかに「私の人生」「私が○○」・・・など
いつも自分が中心で、自分が納得して、人生生きたいなど書いてありますが、
葬儀はもちろんですが、急な来客、家を留守にしないよう・・・
色々な成約がある中で、それも全部ひっくるめて、私の人生と本当に肩の力抜いて
言っている彼女たちを、私は感心して眺めていました。


「経典の勉強はむずかしくて、わっからへん」と言いながら
「こんな時代に寄付をしていただく門徒さんに、私たちの見せる誠意は・・・」
ーそんなことを、真剣に考える彼女たちが、頼もしく見えました。


きっと、この若夫妻たちは、いい住職・お庫裏さんに成長するだろうなと思います。
心から、エールを送り、応援したいと感じました。

絶対感と相対感

“岩盤浴”の記事の中でもお話しましたが、私はアトピーでこの1年本当に苦しみました。
最近も夏バテで抗体力が落ちているせいか、時々出ます。
その状態を見ながら、フッと思ったことがあるのです。
例えば、悪い状態を段階的に�Dとします。そしていい状態を�@とします。
�Dから段々回復してきて�Bになった時は本当にうれしいです。少しずつ治ってきたと
希望が持てます。でも�@を経験してから�Bになると、ドッと不安になるんですね。
又出てきた。もっと悪くなってきたら、どうしよう・・・
同じ�Bなのに・・・です。


これは、いつも何かと比べて感じているからなんですよね。
「きのうより悪い。以前とは比べものにならない・・・」
症状で一喜一憂している自分が、ちっちゃいなと思います。
でも皮膚って、本当にメンタルな部分がすごく作用しますので、てきめんなんです。


他の事でも言えますよね。
例えば、経済的にたいへんな人が一生懸命がんばって、すこし余裕出てきて
5000円のフルコースのお料理を食べたとします。その時、すごくおいしいと
感激すると思うんです。でも、いつも10000円のフルコースを食べている人は
5000円のお料理を食べでも、「こんなもの、まあまあかー」と感じるんじゃないでしょうか。


常に絶対感を持てる自分になりたいと思っています。

今回の選挙によせて

毎日のように、ニュース・ワイドショーで、「どの県に○○が刺客として登場!」
「新党結成!」と次々に発表されて話題に事欠きません。
私も何十年来、こんなに興味深い選挙も初めてです。


   色々な情報が飛び交う中、一番大事なことは、私たち国民一人一人が、ちゃんと
   情報収集し、考え自分の判断に従うということです。
   今までのように、地元の人だから、取引先と関係しているから…
   そんな安易な考えで、この緊迫した状況下で選挙する事自体、それこそ、
   後に何言っても仕方ないです。


私は刺客と言われている方たちの投票結果如何で、従来の選挙自体のやり方も
変化すると思います。「地元で生まれ育ち…」「地元密着」そんなことも
言えなくなるかも・・・イギリスでは、立候補者は本部で選挙地を決めるそうで、
あくまでも出身地ではないそうです。
逆にその方が、冷静な判断ができるようにも思います。
1日に何台しか通らないような所に、立派な立派な道路を作る必要性?
日本全体を眺め、優先順位をつけ、理解できる国会議員、国民が大切です。

  
   10人10色、見方考え方は様々です。
   結果がどう出るか私もわかりません。
   でも今回の色々な報道を、息子が非常に興味を持って見ている。
   多分今までこんなに興味をもったことはなかたはずです。
   選挙もいくでしょう。この変化を見るだけでも、
   今回の選挙の影響力はすごいです。


棄権なんていうのは、以ての外。報道に耳を傾け、新聞もしっかり読み、
それでも納得いかなければ、直接候補者の集会に参加して、どんどん質問しましよう。
「仕方ないけど仕事上…」「お世話になった方に頼まれたから…」―そんな
自分のない事はやめて、自分なりに納得いく投票をするためにも、
後20日足らずですが、多くの人の声を聞きましょう。

仏教讃歌によせて

私は仏教讃歌を歌うコーラスに入ってます。昨日も練習がありました。
仏教讃歌というと、何か宗教色の濃いイメージがあるかもしれません。
私も始める前はそんなイメージがありました。
でも、歌うと普通の歌にはない心地よさがありました。

私には忘れられない1つの思い出があります。
毎年桑名別院の報恩講でも「ひかり」合唱団が歌っています。
五年前も私はその一員として歌っていました。
何曲目かで「生きる」という歌をうたいました。その歌詞は
     ①生かされて、生きてきた      ②このままの、我が命
      生かされて、生きている       このままの、我が心
      生かされて、生きていこうと     このままに、頼みまいらせ
      手を合わす、南無阿弥陀仏     ひたすらに、生きなん今日も
私は、その2ヶ月前まで、ガンで入院していました。
その頃は、おかげさまで順調に回復していました。
でも、その歌をうたっている時、本堂に隅で聞いていた両親が泣いていました。
それを見た私も、たまらず楽譜をひろげたまま、うつむき加減で
その楽譜に涙をポタポタ流していたら、両サイドの人がそれに気づいて、もらい泣き。
又そのとなりの人...順に涙が伝わっていきました。

仏教讃歌はつらい時、つらかった時を思う時、特に心に響くように思います。
指導には専門の先生がついていただけるので、声も段々でてきます。
宗派には関係しません。
もしお気持ちのある方はご返事下さい。